元凶
空が太陽に赤く照らし出される頃、ルキウスとレイナは緑色の大地を駆け抜けていた。
前を走るルキウスは強い向かい風を切り裂きながら、片手で愛用の帽子を押さえ、馬を急かし続ける。しかしすでに馬は限界が近く、呼吸は酷く荒い物になっていた。
それをしり目に見ていたレイナは強い違和感を抱き、ルキウスへと問いかける。
「説明してください、兄さん! なにがわかったんですか!?」
レイナが質問に答えた途端に、ルキウスは威圧さえ感じる程の勢いで馬を走らせ始めた。
自分の言葉の中に答えがあったのかとレイナは考えてみるも、それを見つけ出す事は出来なかった。
代わりにルキウスに問い返すがその答えが戻ってきたのは長い沈黙の後。強い烈風に混じって聞こえるルキウスの言葉に耳を傾けた。
「お前の言う通りなら、当時は軍全体がエルドに懐疑的な目を向けていた。 違うか?」
「違いません。 リカード前将軍へ一番反発していたのは、エルドでしたから。 じゃあ、やはり……。」
「いいや、それも違う。 エルドじゃない。 代わりに、その状況で最も自由に動ける人物がいる」
「えっと、他の師団長、でしょうか」
途切れ途切れで答えるレイナの言葉には、少しの迷いが混じっていた。
ルキウスという絶対的な指揮官を失った混乱を収めようとしたのは、次期将軍に指名されたリカードだ。しかしリカードは信頼されてはいるものの、指揮官としての素質があるとは言い難かった。
絶対的な統制が取れていたルキウスの時代に比べ、比例して発言権を増したのは師団長達。つまり、リカードの落ち度によって師団長達は発言権を増したともいえる。
後任に指名したルキウスへの申し訳なさからレイナは小さく俯くが、ルキウスは首を横に振る。
「そいつも違う。 表面上は師団長の力が増した様に見えたかもしれないが、それも本質じゃない。 いうなれば、ソイツは――」
瞬間、轟音と共に夜明けの空を流星が切り裂いた。
ルキウスの言葉をかき消し飛来するそれらは、ふたりの視線をくぎ付けにするには十分だった。
耳をつんざくような音と共に、再び飛来したそれらを見上げレイナは驚愕に目を見開く。
「あれは!?」
「ロロが帝国軍に攻撃を始めやがったんだ!」
藍色の空に次々と流れていく流星を目で追いながらルキウスは叫ぶ。
それは魔女が扱う魔法のひとつ。過去、占星術を取り入れた魔女が広く普及させたという、天を操る古代の魔法。自然へ干渉する魔法を編み出したエルフとは違い、古の魔女は星や空といった天上の存在と共鳴する魔法を生み出した。空を飛び、星を流し、天災を巻き起こす。その恐るべき存在が帝国軍と衝突しようとしていた。
「どうするんですか!? このままでは、魔女と帝国の全面戦争に………。」
「そうはさせない! まずはロロの所まで戻るぞ!」
レイナの不安げな言葉を遮りながら、ルキウスは再び馬の速度を上げる。
古代魔法は強力だが万能ではない。威力や規模が上がれば上がる程、その制御は複雑化していく。流星も的確に帝国軍を狙い撃った訳ではないのだろう。恐らく居るであろう場所をいくつか選出して、撃ち込んだに過ぎないのだ。その証拠に、流星の角度や方向に統一性が見られなかった。
しかしそれでも帝国軍側の被害が皆無とはいかない。あの規模の魔法が偶然にも近くに落ちれば少なからず犠牲者は出る。本来ならば出る必要のない犠牲者が。そう考えたルキウスは、沸々と沸き上がる怒りとも焦りとも分からない感情を押し殺す。その代わりに、すでに潰れかけの馬に無理を利かせ、さらに加速しようとした。その瞬間だった。
視界が暗転する程の衝撃。
目まぐるしく天地が入れ替わる。
堅い地面の感触と土の味に、ルキウスは自分が馬から弾き飛ばされたのだと瞬時に理解する。
「兄さんッ!」
響く馬の嘶きと、レイナの短い悲鳴のような声。反射的に受け身を取ったルキウスは、遅れて地面に落ちてくる帽子をしり目に視線を奔らせ、そして目を見開いた。
「なぜ、こんな場所に……!?」
視線の先に佇むのは、無骨な甲冑に身を包んだ騎士達。
魔導騎士のアンクとは違い、甲冑には装飾が施されておらず、純粋に実戦を目的とした代物である事が見て取れた。そして手に持った盾の正面に印された、唯一の装飾に目が奪われる。
魔法を得てもなお、信仰の対象として崇められる大空の覇者。飛竜の紋章。それは即ち、王国騎士の紋章である。
しかしその姿には不自然な部分が目立っている。王国騎士最大の特徴でもある、その甲冑が酷くさび付いている事。そして、10人はいるであろう騎士達が、誰も声を上げない事。
そんな不気味にさえ思える騎士達を前に、レイナがルキウスの前へと躍り出た。
「ここは、ボクにお任せください」
腰の軍刀を抜き放ち、その切先を突きつける。
「だが、いくらお前でもこの数は……。」
王国騎士の数は、目測でも10はくだらない。完全に実力で階級が定められる王国軍の師団長とも言えど、レイナはたったひとりでそれらを相手するつもりでいた。
「大丈夫です。 ボクは最強と名高い帝国軍の第二師団長レイナ・レイズベルト。 たかが王国の騎士如きに遅れは取りません」
その言葉が強がりである事は、ルキウスにもすぐに理解できた。
王国の抱える騎士団は王国兵団の中でも精鋭と呼ばれ、死の危険が常に付きまとう訓練や鍛錬を常日頃から行っている、王国最強の剣達だ。いくら師団長とも言えど、気を抜ける相手ではない。
しかしそれでも、時間がない現状を打開するには、その強がりを頼るほかなかった。
「悪い、頼めるか?」
絞り出すような言葉だった。
割り切れない思いを無理やり断ち切る、そんな痛みを伴う言葉。
呟く様な弱々しい言葉を放ったルキウスを、レイナは揺れる瞳で見返していた。
「そうじゃないでしょう。 貴方の言葉で、言ってください。 将軍だった頃の、あの言葉で」
レイナが思い起こすのは、常に戦場で先頭に立ち、相手を屠っていく最強の存在。
敵には悪魔として映るが、仲間から見ればそれほど心強い存在は無かった。実力無き者達はその存在に絶対の信頼を預け、実力ある者達は憧れと羨望の眼差しを向けていた、最強の将軍。そんな赤毛の悪魔にして最強の将軍、ルキウス・アルトリウスの言葉を待っていた。
そしてその期待に応えるように、ルキウスは言い放った。
「眼前の敵を撃滅しろ、レイナ師団長」
その言葉には不思議な力が宿っている。
その言葉を受ければ、自然と強くなれる気がしていた。
レイナはルキウスの言葉に耳を澄ませ、気を静めると目の前の敵に集中する。
「了解しました。 帝国軍の、誇りかけて」
帝国の突出した製鉄技術によって打たれた刃に気持ちを載せる。
そして目の前の敵へと、ルキウスの敵へと肉薄し、その刃を振り下ろした。
◇◆◇
レイナの覚悟を無駄にすまいと、ルキウスは出来る限りの速度で幻想の森へと戻ってきていた。
森の前には数十人という数の魔女達が集っており、再び流星の魔法を放つ用意を済ませている。流石の魔女とは言えど、あの規模の魔法を扱うには多少の時間を要するのだろう。一抹の安心と共に、すぐにでも攻撃を再開しそうな雰囲気にルキウスの背筋に冷たい汗が流れる。
そして魔女達の先頭に立ち、魔法の起動に取り掛かっているロロへとルキウスは駆け寄る。
「今すぐ帝国軍への攻撃を中止してくれ! ここで争ってる場合じゃないんだ!」
「中止してくれ? 私の聞き間違いかしら。 随分と自分勝手な事を言われたような気がするのだけれど」
古代魔女の証である杖を振るっていたロロは、叫ぶルキウスの姿を一別するとあざ笑うかのように鼻を鳴らす。そしてその周囲にいた魔女達もまた、魔女王と同じように冷ややかな視線をルキウスへと向けていた。
「人間から攻め込んできたというのに、魔女には攻撃をやめろですって? 冗談にしても笑えないわ。 でも、フィオナの新しい友人を連れてきてくれた事に免じて、殺さないであげる。 今すぐ私の前から消えなさい」
ロロは静かな言葉遣いの中に怒りを滲ませて、ルキウスへと言い放った。そこには強い拒絶の色が見て取れる。しかしルキウスも自分の言葉が容易に届くとは考えてはいない。
魔女は認めた相手や同族には寛大だが、自分に害するには一切の容赦はしない。しかし、そのふたつの優位性は、酷く感情的な物だ。同族の恩人となれば、多少の無礼は許される。
だからこそルキウスは、魔女達を束ね、目も眩むほどの魔力で強大な魔法を起動させるロロに食い下がった。
「戦うべき相手は帝国軍にはいない。 俺の予想通りなら、この状況を作り出した奴は幻想の森の中に入り込んでる。 そして恐らく、ソイツの狙いはフィオナの持つ魔導書だ」
ルキウスの仮説を聞いたロロは、訝し気に眉をひそめた。その仕草は、無言でルキウスに先を促していた。
幻想の森攻略戦という夢物語の話をレイナの持ってきた手紙で知った瞬間から、ルキウスは過去の作戦を思い出していた。攻防戦自体は悲惨な結果に終わったが、フィオナの魔法の調査に必要とされた魔導書『死者の書』の写本が、アリーシャの伝手によって帝国軍に収められた。それは彼女のなりの罪滅ぼしだったのだろう。
それを研究していたのが医療機関を内包する第四師団。つまりリカードの師団という事になる。軍医部隊すら存在する第四師団の研究の元、リカードという優秀な医師と魔女の知恵もあり魔導書の解析は順調に進められた。そして、エリクシア計画においても、研究機関と合同で実験を行っていたのが第四師団。結果的に計画は凍結されたが、第四師団がその保管や監視を受け持つ事となった。
それらの事実が示す答えはただひとつ。あくまで仮定。そして推測に過ぎないが、それでもルキウスは確信にも似た感覚を得ていた。
「その話、詳しく聞かせなさい」
自信に満ちたルキウスの言葉にロロも耳を傾ける。
しかし、その先をルキウスが話す必要は、すぐになくなった。
「流石は、ルキウス将軍。 いいえ、今は元将軍と言ったほうがいいのでしょうね」
その男の声によってルキウスの推測は、事実だと立証されたのだから。




