遺産
月さえ眠りにつく真夜中、馬を走らせていたふたりは黒い大地へと到着していた。
幻想の森の大樹が地平に隠れる程度には馬を走らせた場所にあるなだらかな丘。そこを登り切った先。本来ならば草原が広がっていた大地は、黒一色で統一された軍用の天幕によって埋め尽くされていた。
夜の闇に溶け込みそうな天幕の大群は、必要最低限の松明ではとても全貌を暴き切れず、もしや永遠に続くのではと錯覚させられた。
その中でも特別豪奢に作られた広い天幕へとレイナとルキウスは通される。作戦会議の為に設置される上官専用の天幕だ。案内されるがままに天幕の中へと入れば、ひとりの男が大きな地図を前に腰を下ろしていた。
自分と同じ装いをしているその男を見て、レイナの表情からは温度が消え去る。露骨な嫌悪感の表れにルキウスは苦笑を浮かべるも、木の柱を叩き男へ自分たちの存在を伝える。
思考に耽っていたのか、男は伏せていた顔を上げるとすぐにふたりを視界に捕らえ、歓迎するかのように立ち上がり大げさに声を上げて見せる。
「まさか英雄様が、俺の様なゴロツキの所へ訪ねてきてくれるとは光栄だ」
「急な訪問で悪いな。 一度は辞退した作戦への途中同行も、迷惑をかける」
「さすがのルキウス・アルトリウスも、この作戦にはビビッて逃げたんだとばかり思ってたんだがな」
「エルド、貴様!」
挑戦的な言葉と図太い声音に、レイナが思わずといった様子で噛みつく。
しかしその一方で、ルキウスは懐かしささえ感じていた。過激派として知られている第一師団長エルド・ラグバインは、まさにルキウスの記憶のままだったからだ。
「抑えろ、レイナ。 これでもこいつは、将軍代理なんだからな」
「そのとおりだぜ? 第二師団長殿。 本来なら帝都防衛の任に就いてるはずのお前が、この場所にいる事を不問にしてやってるだけ、俺の懐の広さをありがたいと思えよ」
余りにも太々しい態度のエルドと睨み返すレイナ。ふたたび言い争いになる前にルキウスはそのふたりの間に入ると、レイナの視線を遮った。
決して小柄ではないルキウスが見上げなければならない程の巨躯と、鍛え抜かれた岩の様な四肢。周囲に威圧感を振り撒く顔には、幾重もの傷跡が残されている。
その傭兵然とした軍人の纏っている制服には、師団長の証と将軍章が輝いていた。それを確認すると、ルキウスは大きなため息をついた。
「リカードが死んでお前が代わりに就いたと聞いたが、どうやら本当だったみたいだな」
「だったら、なんだってんだ?」
「いや、やけにあっけなくリカードが戦死したと聞いてな。 引き継いだお前の身を心配して確認しに来ただけだ。 よりによって、幻想の森攻略作戦とは、思い切った作戦を決行したようだからな」
目を細めたルキウスの歯に衣着せぬ言い方に、エルドは剣呑な眼光を向け、鼻を鳴らしてせせら笑った。
「俺だって好き好んでこの作戦を立案した訳じゃねえよ。 そりゃお前もよく知ってんだろ、レイナ」
「とぼけるのもいい加減にしろ! 貴様が師団長会議で、賛同しない者は死を覚悟しろと言ったのだろう!」
「そうだ。 だが、俺が殺すとはいってねえだろ。 ったく、ルキウスがいなくなったからって、惚けてんなよ。 軍議の内容を覚えてねえなんて、笑えねえぞ」
「この、どこまでボクを馬鹿にすれば……!!」
今にも飛び掛かりそうなレイナは、不意に動きを止めた。
その目の前に、ルキウスが手を差し出したからだ。静止を意味するそれを見て、レイナはエルドを一度睨み付け、忌々し気に視線を逸らす。レイナ自身にも、このいがみ合いが何ら意味をなさない事は理解はできていた。だが、許せなかったのだ。退役したはずのルキウスを戦場に引きずり出したエルドが。そして、それに不覚にも加担した自分自身も。
「頭を冷やしてきます」
言い捨てると、レイナは静かに天幕を後にする。
静寂を取り戻した天幕の中でルキウスはエルドへ問いかけた。
「エルド、その話を詳しく聞かせてくれ。 お前が立案した作戦じゃなければ、誰がその作戦の実行を命令したんだ?」
静かだが、逆らえない強い力を秘めた言葉だった。
エルドは獰猛な笑みを浮かべると、こめかみに人差し指を当てて見せる。
「おいおい、隠居生活でここが阿保になっちまったんじゃねえのか? ちっと考えりゃあ、分かる事だろ。 将軍代理に命令できる奴なんざ、ひとりしかいねえってな」
そういってエルドは胸の将軍章を指さした。
帝国の繁栄を支え、力の象徴として周辺国に名を轟かせる帝国軍。その師団長や将軍の発言権は国内の貴族と同等かそれ以上とも言われている。ルキウスも国政に口出しする機会などなかったが、それでも貴族たちの要求を跳ね除ける事に不便はなかった。それはつまり、どちらが上かという明らかな証明となっていた。
権力者達でさえ口を挟むことのできない帝国軍人に唯一命令できる存在。最強と呼ばれる軍の将軍に命令できる存在を、ルキウスはたったひとりだけ知っていた。
「まさか、冗談だろ。 帝国軍の全権は最高司令である将軍に任されてる。 帝王が直々に命令を下すことは、ありえない」
「そのまさかが今起こってんだよ。 面倒なことに、いくつかの作戦が帝王に進言されてたみたいでな」
「つまり……その作戦を将軍代理のお前が、帝王の命令で決行してるってことか」
神妙な面持ちでルキウスが繰り返す。
「あぁ、そうだ。 律儀な事に作戦の成功で生まれる損益まで計上してあったみたいだぜ? あの色ボケ帝王は大層にその作戦を気に入ってるみたいだ。 そりゃ大規模な領土拡大と貴重な資源が大量に手に入るなら、乗り気にもなるだろ。 そんだけ期待させた手前、今さら背けば将軍代理だろうと首がぶっ飛ぶだろうけどな」
首を搔き切るような仕草をするエルドは、吐き捨てるようにそういった。
急遽決行された作戦の立案者はエルドではない。帝王の命令ではあるがその立案者は不明。つまりそれは、帝王を利用した軍務への介入だ。
それも、将軍という立場にあるエルドに強制力を持たせた命令を下せるとなれば、それは帝王と同じ権限を持つ存在と同意義となる。
一気に露呈した事実を頭の中で整理しつつ、ルキウスは話の先を促した。
「その作戦の立案者は調べたのか?」
「調べてねえと思ったのか? 少しばかり俺を舐めすぎだろ。 まぁ、結果的に誰の作戦だったのかは分からなかったけどな。 帝王へも宰相を通して進言したらしいな、ソイツは。 最終的な名義はリカードになってたが……。」
「じゃあリカードが……いや、それはあり得ないか……。 名義を偽った誰かが帝王に進言したと考えるのが妥当だろうな」
リカードの人となりを知るルキウスは、即座に自分の考えを否定する。
元医者という過去の経歴からも分かるように、リカードは犠牲が出る前提の作戦や無意味な殺傷をひどく嫌っていた。そんなリカードが無謀な作戦を立案する理由が見当たらなかった。
ならば考えられるのは、リカードの名前を名乗る偽物の可能性だ。それには賛同したのか、エルドも頭をかきむしりながら頷いた。
「だが、とうの本人が早々にくたばっちまった。 生きてりゃあ帝王に作戦の中止を頼めたんだが、今さら俺が作戦を取り消すよう言っても帝王は聞く耳を持たないだろうよ」
良識派として知られるリカードと良くも悪くも軍人なエルドの対立は周知の事実だった。
今さら帝王に作戦を中止するよう進言したところで、過去の因縁の当てつけと思われるのが落ちだろう。
そして帝王へ言葉が届かないこの状況を打開するために残された策はただ一つ。帝王に嘘の作戦を進言した犯人を見つけ出し、作戦事態を無かったことにすることだ。
軍事に疎い帝王も、伝えられたのが虚偽の作戦内容だったとわかれば、作戦を中止しない訳にはいかないだろう。
「エルド。 リカードが死ぬ前に、軍で何か変わったことはなかったか?」
「あの貧弱野郎が死ぬ前に? さあな。 やたらと魔族を帝都で見かけたぐらいだ。 その中でも、成熟した番が問題を起こした事があったか。 理由は知らんが、捕縛するのに憲兵団共がまごついてたのを覚えてるな」
「魔族の暴動か……。 その個体はどうなったんだ?」
「そこまでは知らねえよ。 誰かが買い取ったか、殺されたんだろうよ。 部下の話じゃあ若い個体が人気らしいが、そいつらは成体さんだったからな。 どっちにしろ、俺には魔族なんざ害獣にしか見えないが」
魔族の天敵として知られるエルドへの暴動かとルキウスは考えたが、エルドはそれを否定した。
無駄な混乱を防ぐため、リカードが死んだことやエルドが将軍代理となっている事を一般市民は知らないという。つまり、他の原因があって魔族達は暴動の数を増やしているという事になる。
しかしそれも有力な情報とは言い難かった。
「他には? なんでもいい、どんな些細なことでも構わない」
「あぁ、そういやあの野郎が死ぬ間際に、古い研究資料が盗まれたとか第四師団の連中がほざいてたな。 たしか、エリクシア計画の資料だったか。 そういえば、お前が居なくなってすぐにも魔導書も無くなって俺が疑われたな。 本も読まねえのに、魔導書なんざ盗んでどうすんだっての」
その名前を聞いた瞬間、ルキウスは自分の耳を疑った。
なぜならば、その名前は二度と聞く事はないと思っていたからだ。
それを今、この状況で再び耳にする事に、ルキウスは只ならぬ忌避感を抱いていた。この話の裏にとてつもない力が働いているような、嫌な予感。頭の中ではうるさい程に警鐘が打ち鳴らされていた。
「エルド、質問に答えてくれ」
「今までも答えてるだろうよ」
茶化すエルドに頭を寄せ、今一度問いただす。
「リカードはお前が立案した征伐中に野盗に襲われて死んだ。 それで合ってるか?」
その事実確認に、エルドは躊躇いなく頭を縦に振る。
それは肯定の意味を示していたが、それでもルキウスの不安は消える事は無かった。
「あぁ、間違いない。 たかが魔物の征伐で将軍様が死ぬのは、思わぬ誤算だったが」
死者への皮肉を交えながらも、エルドはただ、と言葉を続けた。
「あの野郎の死に顔を見れなかったのは、少々悔やまれるけどな」
「どういうことだ?」
食いつくように聞き返すルキウスに、エルドは挑戦的な笑みを浮かべて返す。
「簡単な事だ。 肝心のリカードの死体が魔法か何かで消し炭にされてたんだ。 周りに転がってた物から、『それ』がリカードってことで落ち着いたんだが、ありゃ見ものだったぜ? なんせ将軍が早々に消炭になっちまったんだからなぁ」
壮絶な笑みを浮かべて、エルドはそう言い放った。




