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アルトリウス家の使用人  作者: 夕影草 一葉
帝国軍の負の遺産
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禁忌

 湧水で出来た湖畔を眺め、伸びる小川を辿り、木々の間の小道を進む。

 鬱蒼と生い茂る木々や植物は濃い魔力によって巨大化、あるいは特殊な進化を遂げていた。

 例えば花弁が結晶のように透けて見える小さな花。例えば岩と見紛う程に硬化した樹皮をもつ大樹。例えば人面にみえる実を着ける果物。

 時おり顔を覗かせる動物達はジッと目線を合わせると、そのまま静かに立ち去っていく。そこには明らかな知性や理性が含まれており、その純白の姿はどこか神聖性を伺わせた。

 そこには濃い自然の匂いと、力強い生命力が満ち溢れていた。

 

「凄く、綺麗な場所だね」


 大きく息を吸ったマリーの口から、そんな言葉が零れ出る。

 荘厳とも言える自然を見渡し、フィオナはその言葉に頷いて見せた。

 

「だから、ずっと守ってる。 私も、彼も」


 薄く霧掛かった小道を進みながらフィオナは背後へと視線を向けた。

 それに釣られてマリーも顔を向ければ、口数少ない魔女より更に無口な騎士が、淡々と背後を守っていた。フィオナの騎士であり、幻想の森の守人でもあるアンクだ。


「大切な場所なんだね、この森が」


 マリーは、それを素晴らしい事だと思っていた。

 故郷と呼べる場所が無いマリーにとって、帰る場所や守るべき場所があるというのは、とても素晴らしい事なのだ。そう無邪気に話すマリーを見て、フィオナは問いかける。


「マリーは、どうして森にきたの?」


 フィオナは魔女であると同時に、幻想の森の守人でもある。だからこそ、この場所が一歩間違えれば命を落としかねない危険な場所だと知っていた。濃い魔力は吸収するだけでも人体には毒になり、いくら魔族とは言えど無事ではすまない。

 そもそも無断で立ち入れば、ルキウスのように迎撃されて当たり前の場所なのだ。そして、ルキウスだったから無事だったものの、例えばマリーの様な少女であってもアンクは容赦なく剣を振るっただろう。守人の役割とはいえ、フィオナもそんな事は望んではいない。

 そんな危険な場所に戦いを知らない少女がいる事は、不自然を超えて異常でもあった。確かに荘厳な光景が広がる幻想の森は美しいが、それでも物見遊山に向いているとはいいがたい。

 楽し気に風景を楽しんでいたマリーは、視線を前に戻し、恥ずかし気に笑った。


「うーん……実は、そこらへんは詳しく知らないんだよね。 ルキウスさんが、家に残していくのは心配だからって連れてきてくれたの」


「家に残す? ふたりは、同じ家に住んでいるの?」 


「ううん、リフィアも一緒。 3人で一緒に住んでるよ」


 そしてマリーは、自分がルキウスやリフィアと共に暮らしている経緯を語る。

 両親と望まない別れを経験したこと。知らぬ間に奴隷として売られたこと。そして、ルキウスが自分を助けに来てくれたこと。

 辛い思い出のそれらを気丈に話したマリーを見て、リフィアは小さく呟いた。


「変わってない。 ルキウスは」


 過去の出来事を振り返れば、フィオナにもマリーと同じような経験は幾つかあった。

 そして最後にはルキウスがそれを打ち破り、今の道を歩く理由を与えてくれた。

 容易く他人の運命を変える力。良くも悪くも働くその力は、それはある意味本人には気づき得ない、尊い才能なのかもしれないとフィオナは考えていた。


「そういえば、フィオナとルキウスさんってお知り合いなんだよね?」


「そう。 古い、恩人」


 そもそもフィオナは王国貴族の娘であり、魔女という存在とは無縁の人生を歩むはずだった。不自由なく育ち、好意と打算の交じった婚約をして、出来るだけ幸せな家庭を築くはずだった。下級貴族だが、恋愛結婚に憧れてもいた。恐らく無理だと思っていたが、両親はそれでも構わないと笑っていた。

 しかし魔法の才能があると知れると、周囲の見る目が変わった。幼かったフィオナの元へ、今まで見向きもしなかった上級貴族が集まり、来る日も来る日も貴族の息子と面会を重ねるようになった。最初はそれも楽しかったが、徐々に感情は恐怖へと染まっていった。魔力適正の高い女性からは、同じく適性の高い子供が産まれる。それは魔法大国の王国貴族として力を付ける為にも、必要な資質だった。


 王国の為に子供を産み、王国の為に力を使い、王国の為に命を散らす。それを想像し、フィオナは全てを捨て去る事を決めた。家系も血筋も、家族でさえも。母親と懇意だという魔女の住まうこの土地へと移住し、静かに暮らすのだと決めたのだ。

 そして親元を離れたフィオナを、優しき魔女エルマはまるで我が子の様に育ててくれた。そのおかげでロロとフィオナは血の繋がっていない姉妹として扱われていた。魔女としての自覚を覚えた今、それはとても光栄なことなのだと実感していた。


 しかし、エルマはいなくなってしまった。

 アリーシャという高位の魔女の作戦によって追い詰められた王国軍との戦いで、エルマは帰らぬ人となった。自分が出て行けば王国軍が攻撃を中止すると踏んだフィオナを守って、エルマは死んだ。そして魔女としての、初めての魔法を発動させた。

 痕跡からも、極めて残虐な魔法だった事は想像できた。しかし、当初はその事を気に掛ける余裕など、ありはしなかった。

 そんな絶望の深淵へと沈んでいくフィオナを引き留めたのがルキウス、そのひとだった。


 お前の母は、お前が死ぬ事を望んで死んだのか、と。


 師であるアリーシャへの怨嗟は消える事は無い。しかし、半狂乱で魔法をまき散らす自分を制止したルキウスに、フィオナは今でも感謝していた。恐らくあのまま戦っていれば、フィオナもエルマと同じ道を辿っていただろう。

 命の恩人。そう言い放ったマリーの言葉に、フィオナは今一度頷いて見せた。


「ルキウスは良いひと。 きっと、マリーも導いてくれる」


 自分がそうだったように。フィオナはそう締めくくると、腰から下げた大きな本を手に取り、そのカギを開け放った。

 日はまだ高いが、幻想の森の中では日光を光源と出来る時間は限られている。マリーが不思議そうに眺める先で、フィオナは本の一節を目で追い、自分の目線の高さに蒼炎の炎球を生み出してそっと浮かべる。それは冷たくも美しい輝きで薄暗い森の中を照らし出した。


「それが、フィオナの魔法? ルキウスさんが使ってるのを見た事あるけど、全然違うね」


 マリーが思い浮かべたのは、ルキウスが煙草に火をつけるために生み出す小さな炎。

 しかし記憶にあるそれと比べると、フィオナの生み出した炎はあまりに幻想的だった。

 純粋な感想を聞いたフィオナは当たり前だと、マリーに伝える。 


「私は禁忌の魔女。 だから、私の魔法は他の魔法と少し違う」


 手に持った巨大な本に再び鍵をかけ、腰へと戻す。

 その不可解な本に目を取られながらも、マリーは言葉の端を捕まえる。


「禁忌って?」


「死者に干渉する魔法。 死者を冒涜する魔法のこと」


 自分で言いながら、フィオナはそっと腰の本の背表紙を撫でた。

 魔導書と呼ばれるそれは、魔女が持つ知識と技術が記される最大の秘宝。その魔導書を完成させる事が魔女の最終的な目的と言われており、そのために魔女は知識と知恵を集め続ける。その過程で他者との接触は劇的に減り、人との関わりよりも研究を優先するようになる。結果、人と距離を置く魔女像が完成した。

 そんな魔女として覚醒したフィオナが手に入れたのは『死者の書』と呼ばれる、生死を司る魔法を主とした、禁書と呼ばれる魔導書だった。大切な人の死を切っ掛けに魔女となった自分にお似合いだと、フィオナは感じていた。


「もしかしてアンクも、フィオナの魔法で動いてるの?」


 終始無言を貫いていた騎士を見て、マリーが問う。

 常識から逸脱した戦闘能力を誇るルキウスと戦い、一時は追い詰めさえしたアンクは常に甲冑を身に纏い、その素顔はおろか素肌を見せていない。

 常々疑問に思っていたマリーはフィオナの話を聞いてその理由を察していた。


「そう。 ここで死んでいった戦士の経験や技術を、アンクに付与してる。 だから、ルキウスとも戦える」


 守人は自分の居場所を守る為に戦い、そして時として相手を殺める事を強要される。

 皮肉にも守人という立場で戦い続けるアンクという死霊の騎士は、殺した相手の記憶を糧に強くなり続けた。そして今では、赤毛の悪魔と呼ばれたルキウスと渡り合う程の手練れとなっていた。

 

「悍ましい力。 忌み嫌われる力よ」


 それが異常な事は、フィオナにも理解できていた。

 しかし止めるわけにはいかない。殺した相手の生きた証を、アンクの技術という形で残す為。大切なこの森を守る為。そして、自分を育ててくれた、エルマに報いる為に。

 だからこそ、死者を操ると知れば魔女ですら忌避する自分の存在を受け入れていた。本来ならばそれを悲しむであろう感情ですら、失ってしまっているのだから。拒絶の言葉を受けたとしても傷つく事は無い。悲しみも、怒りも、無くしてしまったのだから。

 母と共に感情を殺されたフィオナの言葉を受けて、沈黙を続けていたマリーは素朴な疑問を投げかけた。 


「でもそれって、誰にもできないことが、フィオナにはできるってことでしょ?」


 反射的に、フィオナはマリーを見返していた。

 それはフィオナが今まで一度も受けたことのない無垢な言葉だった。

 じっと見つめるフィオナの視線を受けても、マリーはただ微笑みを返し言葉を紡ぐ。

 

「禁忌とか難しいことはよく分からないけど、それは誇りに思っていいことだと、わたしは思うな」


「怖くは、ないの?」


「はっきり言うと、よくわからない、かな。 でも、その力が怖いからって、フィオナを怖く思う理由にはならないでしょ?」


 そう言い切るマリーからは、憐みや同情といった感情は読み取れなかった。

 そしてフィオナは愕然とした。マリーという魔族の純粋すぎる心にもだが、それ以上に無意識のうちに自分が相手の感情を推し量っていた事に気付いたからだ。

 人間らしい感情は全て失った。そう思い込んでいた。だというのに、相手に嫌われる事を恐れていた。そんな醜い場所に、感情は残っていたのだ。

 

 沈黙を続けるフィオナの顔からは感情を読み取ることはできない。

 しかしマリーの目には、リフィアが怯えているように見えた。他人に拒絶される事を恐れているように映っていた。顔に出ずとも、声に乗らずとも、マリーにはリフィアの感情が理解できた。

 マリーの紅い瞳から目をそらすように、フィオナは呟いた。

 

「変なひと」


 小さく呟いたはずの言葉は、予想に反して大きく木霊した。

 それを聞き取ったマリーは再び笑みを浮かべ、声を上げて笑った。


「あはは、同じことをルキウスさんにもよく言われる。 やっぱりわたしって変かな?」


 小鳩のようにマリーは小首を傾げる。

 そんな問いかけにフィオナは胸が熱くなるのを感じていた。

 久しく忘れていた、人と接する事の暖かさ。そして、楽しいという感情。

 知らぬうちに張り詰めていた心の緊張が弛緩していくのを実感する。

 返事の代わりにフィオナは首を小さく横に振った。

 再び上がる笑い声。それが薄暗い森の中に木霊し、反響する。

 リフィアにとってその時間は、どんな宝物よりも大切な瞬間に思えた。


 だから、だろうか。

 

「おや、これは早速当たりを見つけたようですね」


 その存在に気付けなかったのは。

 不意に聞こえた異物の声色に、ふたりの少女は反射的に視線を奔らせた。

 がしかし、それももう手遅れだった。

 その瞬間、幻想の森に闇が降り立った。


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