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アルトリウス家の使用人  作者: 夕影草 一葉
帝国軍の負の遺産
23/32

陰影

 不思議な茶葉の香りが漂う室内で、リフィアは机の上でミルクを舐める黒猫を眺めていた。

 隣にはレイナが座っているが、その向こうの椅子にはマリーの姿は無い。お茶を振る舞われたマリーが、ぜひ外を歩きたいと言い出したのだ。それに連れ添う形でフィオナも席を外している。

 結果的に魔女の家には使い魔のイニア、招かれたリフィアとレイナが残されていた。

 

「さて。 ふたりはフィオナが魔女になった理由を知りたいんだったね」


 とりあえずミルクには満足したのか、前足で顔を洗い終わったイニアは、静かにお茶を楽しむリフィアを見てゆらりと長い尻尾を揺らす。

 始めて飲む紅茶に感激しながら、リフィアは訝し気に卓上の黒猫を睨み付けた。


「なに? 教えてくれるわけ? さっきはわざと話を逸らしたくせに?」


 リフィアの棘のある言葉に、たまらずといった様子でイニアは弁解を始める。 


「あれは仕方なかったんだ。 フィオナにとっても聞いていて楽しい話ではないからね。 マリーが連れ出してくれて本当に助かったよ」


「よく言うわ。 散々、マリーをそそのかしたくせに」


「そんな人聞きの悪い事を言わないでほしいな。 ボクはただ、この森の素晴らしさを彼女マリーに紹介しただけさ。 それをどう受け取るかは、本人次第だけど」 


 そういうイニアは、首輪に付けられた鈴を鳴らしながら、愉快そうに小さな笑い声を上げる。 

 さすがのリフィアも猫の表情までは読めないが、きっとイニアが意地の悪い笑みを浮かべているであろう事は容易に推測できた。

 睨まれながらも、イニアは達者に言葉を続ける。


「でもこれで、心置きなく君らと語り合うことが出来る。 フィオナが魔女になった理由と原因をね」


 魔女となる理由と原因。その言葉に部屋の空気が張り詰めた。

 いつの間にか冷めていた紅茶で口を湿らせながら、リフィアはイニアの言葉を待つ。

 しかし、黒猫が喋る以前に異を唱える者がいた。魔女の家に来てから口数の少なかったレイナだ。

 出された紅茶には一切手を出さず目を伏せていたレイナは、卓央に座る黒猫へ非難の視線をむけた。

 

「余り感心しないな。 当人のいない場所で過去の話をするのは。 せめて本人の口から説明してもらうべきだと思うけど」


 それは非常に道理の通った異論だった。

 そして堅気なレイナらしい言葉だったともいえる。

 しかしイニアは意に介さずに切り返す。


「はは、君がそれを言うのかい? 君は帝国軍に不利益な情報を隠しておきたいだけだろう。 それに、この場所での作戦が知られる事は避けたいようだしね」


「それは、どういう意味かしら。 フィオナが魔女になった理由と帝国軍に、なにか関係があるってこと?」


 その問いに、イニアは紫色の瞳を向けるにとどまった。

 代わりに隣に座るレイナを見るが、先程と同じように顔を俯かせて言外に話す気が無い事を表していた。

 異議を唱える者がいなくなったことで、黒猫の言葉は続けられた。

 

「リフィアは、幻想の森で行われた帝国軍と王国軍の攻防戦を知っているかな?」


「知らないわ。 そもそも幻想の森を知ったのが最近だから」


 そうだろうね、とイニアは再び黙り込むレイナを一別して、続ける。


「まぁ知らなくて当然さ。 史実には残らない、歴史の陰に葬り去られた戦いだよ。 軍人なら、知っていると思うよ。 それも、上層部のごく一部に限られるけど」


 リフィアはそこで自分が幻想の森を知らなかった本当の意味を理解した。

 馬車の中でレイナは一般人が知ることのできないよう箝口令が敷かれていると言っていた。その理由をリフィアは、金に目が眩んだ市民が危険な場所へ向かう事を防ぐためだと思っていたが、真実はそうではない。

 最強と言われ帝国の象徴ともいえる帝国軍の不利益となる何かが残っているからこそ、誰も近づかせないために箝口令を敷いているのだ。

 黙り込んだリフィアの推測がまとまるのを待っていたかのように、目を閉じていたレイナは軍服の襟首を整え直し、そして語り始めた。


「当時、圧倒的優勢だった帝国軍は国境近くまで戦線を押し上げていた。 まだボクの祖父、レガト将軍が軍を率いていた頃の話だよ。 不利な状況での戦いが続き苦戦を強いられていた王国軍は、その状況を打破するために大規模な古代戦術魔法を再現するのに必要な魔力結晶を大量に集めていたんだ」


「王国の戦術魔法って……あの」


 戦術魔法。その言葉を聞いたリフィアは目を見張った。

 例え魔法や歴史に疎い者でも、その言葉を知らない者はいないとされていたからだ。それは今や帝国においても語り草となっている王国の伝説。まだ現代魔法が完成していなかったとされる大昔に、異種族との戦争で無理やりに起動させた王国の最終兵器。

 当時、王国に有った魔力結晶の全てを消費して放たれたとされる、その凄まじい魔法の名前は――


「――そう、『王者の剣』。 なんとも王国らしい、傲慢な名前の魔法だよ。 前に使われた時は不完全な威力で放たれたとされているけど、それでも敵国は地図から消滅した。 魔法学が進んだ現代で使われれば、間違いなく帝国を滅ぼすだけの力を発揮するだろう。 それを起動するために、王国は幻想の森に埋まる魔力結晶に目を付けたんだ」


 全てを無に帰す魔法。その標的にされていたと知り、リフィアの表情が凍り付く。

 しかしその動揺も長くは続かない。手元にあった紅茶で冷静さを取り戻すと、様々な疑問点が浮かび上がってきた。


「でも帝国どころか帝国軍も残ってるわ。 つまり、王国の目論見は失敗したってことなんでしょ? なんで歴史に残ってないのよ」


 その作戦が成功しているのなら、リフィアはこの場所に存在していない。

 もっと言えば、帝国という大陸の覇権を争う大国はとうの昔に消滅し、王国が大陸を治めているはずだ。しかし帝国は未だに王国との冷たい戦争を続けている。それはつまり、理由は分からないが王国が魔法の起動に失敗したということだ。

 ならばなぜ、それが歴史に残っていないのか。帝国が消滅するかもしれなかったという、一種の教訓がなぜ忘れ去られようとしているのか。

 

「そこには、ここに住む魔女との複雑な関係で、伝える事が憚られているんだ……。」


「というのが、帝国軍人の言い分さ」


 尻つぼみになるレイナに代わって、イニアが面白そうに話し手をとってかわった。

 真実を知る事を求めるリフィアは、目を逸らしたレイナではなくイニアの言葉に耳を傾けた。

  

「ここに住む魔女は外部からの干渉をひどく嫌っていた。 だから当然のように迫りくる王国軍を迎撃したんだ。 そりゃ当然だよね。 自分たちの住んでいる場所を荒らそうとする連中を迎え入れるわけがないよ。 だから王国軍はボロボロのグダグダ。 もう戦う力なんて残っていなかったんだ」


 その軽い口調から王国軍が魔女達に圧倒されていた事は、容易に想像できた。

 真剣に聞き入るリフィアは、無言で話の先を促した。


「でもそこに帝国軍が現れた。 いや、王国軍が疲弊する所を見計らっていた、と言えばわかりやすいかな。 帝国軍に退路を断たれた結果、王国軍から撤退という選択肢が消えた。 死ぬことを迫られた王国軍は、せめて僅かな逆転の一手に掛けようと、守人との闘いを選んだよ。 万一にも魔力結晶を手に入れる事が出来れば、憎き帝国軍を粉砕できるのだからね」


 その後の戦いは凄惨な物だったとイニアは語った。

 この幻想の森は立場上中立ではあるが、領土という括りで言えば帝国領に入る。そしてレイナの話によれば当時は、帝国軍の前線が両国の間にある中立地帯を遥かに超え、王国の国境近くまで押し上げられていたという。

 遠く離れた王国領から帝国の前線と防衛線を突破し、その後に古代魔法を行使する魔女との戦いを繰り広げる。それだけでも、どれだけ王国軍が消耗していたかは想像に難くない。

 ならば一縷の望みに掛けることも、ことさら不思議な事ではないのだ。


「その王国軍は、どうなったの?」


「もちろん、全滅したよ。 ひとり残らず、死に絶えた」


 先程と全く変わらない口調で、イニアは答えた。

 まるで、それが当然だったかのように。


「損失を出さずに勝利を手にした帝国軍は浮かれていた。 でも大きな誤算があった。 ひとりの年老いた魔女が王国軍に殺されてしまったんだ。 それに怒り狂った魔女達がまき散らした魔法が暴走して、帝国軍にも甚大な被害が出た。 まあ、当然の報いってやつだよ。 本来ならば出なくていい死人が、無関係だった魔女側から出たんだからね」


「魔女が殺されるなんて、ありうるの? 無敵とまでは言わないけど、話を聞いている分だと人間に殺されるなんて考えられないんだけど」


「魔女の本当の恐ろしさは秘伝の古代魔法にあるのさ。 目の届かない場所から壮絶な威力を誇る魔法を放つという、圧倒的な制圧力を魔女は持ってる。 でも、いくら強力な魔法を使えても生き物である事には変わりないんだ」


 手負いだったとしても、その王国軍は帝国の布陣を食い破って突破してきた、精鋭部隊と言えるだろう。何かの拍子に接近を許せば、例え老練な魔女にとっても剣技に特化した王国の兵士達も脅威となりうる。そもそも王国軍の目的を考えれば、魔女との戦いを想定した装備を持っていたと考えるのが普通だ。

 それでも魔女という絶対的な存在の敗北は、リフィアに少なくない衝撃を覚えていた。


「いくら凄い力を持っている魔女でも斬られれば死ぬ、ってことね」


 たとえ長寿であったとしても、不老不死ではない。

 その当たり前の事実が、リフィアに魔女という存在を再認識させる。

 神妙な面持ちのリフィアが小さく頷くのを確認して、黒猫は話を再開する。


「その時に戦死したのが、綠眼の魔女エルマ。 先代のハイドランジア当主だったひとなんだ。 そして、それと同時にフィオナを育ててくれた、母親でもあった。 この森で最も優しく、そしてとても暖かな魔女だったよ」


「その言い方はつまり、フィオナの産みの親は別にいるって言いたいのよね」


「彼女の両親は王国の人間だよ。 あの黒髪は、王国貴族の証なんだ。 ボクはとても気に入っているけれど」


「捨てられたの?」


 揺れる瞳を向けるリフィアに、イニアは目を細めた。


「なかなかどうして、君もだいぶ物騒な考えをするね」


「似た境遇の子が近くにいれば、自然とそう考えるようになるものよ」


「フィオナは預けられたんだよ。 才能のある子供が王国にいては、戦争の道具として扱われてしまうからね。 だからエルマと面識があったフィオナの母親はこの森に我が子を託したのさ」


 魔法大国であるがゆえに、魔法によって人生を歪められる。それは帝国の抱える闇と同様に、王国が抱える闇。

 現在は膠着状態だが、未だに王国と帝国の戦争は続いている。その中でも王国の魔導士という稀有な存在は、ひとりで戦況を左右するほどに強力であり、帝国にとっては最悪の敵と言っても過言ではない。それでも、相手はただの人間なのだ。 

 リフィアから見れば、フィオナという少女は自分と大差ない年齢にみえた。長寿で知られる魔女にとって外見で年齢は判断できないが、それでも振る舞いの端々から少女の片鱗を感じ取っていた。

 そんな少女が、戦争で多くの物を失っている。そう考えるだけで、行き場のない怒りが胸の奥で暴れ狂う。


「マリーやフィオナを見ていると、戦争なんて無くなればいいと心底思うわ。 無駄な殺し合いなんて、やめてしまえばいいのに」


「戦争が起こるたびに、同じ事を言う人は多い。 それでも、戦争は無くならない。 そういう愚かな種族なんだよ、人間は」


「それで、その愚かな種族の戦争に巻き込まれたフィオナは、どうなったの?」


 自嘲気味にリフィアは呟く。


「フィオナは母を失った。 家を捨て、両親の寵愛を受けきることのなかったフィオナに愛情を注いでいた、唯一の存在であるエルマを失ったんだ。 その時、フィオナは感情を失う代わりに魔女として覚醒を遂げた。 深い絶望の中で、魔女としての産声を上げたんだ」


 そしてリフィアは、想像していた通りの結末に、口を閉ざさるをえなかった。

 家を投げ出し、遠く離れた未知の土地で生きる不安は、リフィアにも痛いほどに理解できた。

 そしてその場所で出会った大切なひとを、再び失う辛さと絶望。フィオナが感情を失ったというが、それも無理はないとリフィアは首を横に振った。


「それで、なぜその作戦が帝国の記録に残っていないのかしら」


「簡単だよ。 帝国はそれの関与を否定したかったんだ」


 こともなげにイニアは言った。


「その作戦を立案したのが、帝国軍の顧問魔女を務めていたアリーシャ・アルストロメリアだったからね。 前線を押し上げていたせいで、総司令のレガド将軍は不在だったんだよ」


「アリーシャ……って確か、ルキウスの」


「そうさ。 ルキウスの師であり古代魔女である彼女と、また同じく古代魔女のハイドランジア家。 両者の間には少なからず因縁があった。 だからこそ、飛び火を恐れた帝国は関与を否定したんだ。責任の全てを、アリーシャに押し付けてね」

 

 卓上で語るイニアはただ、そうつぶやいて、楽し気に笑うだけだった。

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