守人
宵闇が広がる森の中で咲く、炎の花々。
響き渡る金属の悲鳴と、荒々しい息遣いだけがその存在を浮き彫りにしていた。
紅い眼光を宿したルキウス・アルトリウスと、それを迎え撃つ巨剣を操る古風な騎士。
炎剣が振るわれるたびに熱風が荒れ狂い、巨大な剣が風を巻き込みながら振るわれる。
斬り付け、受け流し、弾き返し、打ち付け、踏み込み、斬り返し、斬り返す。
目で追えない程の斬撃の嵐が吹きすさぶ一進一退の攻防を、ルキウスと騎士は短くない時間続けていた。
すでに騎士の甲冑に多くの傷を刻んでいるルキウスだが、その表情に余裕の色は見えない。
一方の押されているであろう騎士は、当初からの動きを維持しつつ黙々と巨剣で風を斬り続ける。
「しつこい野郎だ!」
振り上げられた巨剣。
繰り出されたのは上段からの一刀。
まるで流星のように天を裂く一閃を搔い潜り、剣戟が煌いた。
魔剣から作り出される紅蓮と共に一撃が、意匠の施されたとても実戦用とは思えない甲冑にぶち当たり、豪快な炎をまき散らす。がしかし、騎士は一瞬たりとも動きを止めずに反撃に転じた。
単調に、凄まじい速度で振り上げられる刀剣から飛びのきながら、ルキウスは腰のポーチをまさぐる。
長い戦闘の弊害か。急な魔力の消費の影響か。鋭い痛みと共に視界が揺れ動く。魔法薬の効力が切れかかっているのだ。
「こんな時に……ッ!」
無言の騎士は、ルキウスの言葉には答えず剣を振るい続ける。
見よう見まねでルキウスが作った魔法薬は、一時的に外部の魔力を取り入れる事を阻害する効力を持っている。それによって有害な魔力の過剰摂取を回避していたのだが、戦闘によって一定量の魔力が失われたことで身体が再び魔力の吸収を始めてしまったのだ。
ルキウス自身もこの事態を恐れていたのだが、かといって手加減をして勝てる相手でもない。全力の魔法で森をいたずらに傷つければ、魔女との敵対もありうる。様々な条件下でルキウスは最善を尽くしていた。
しかし激しい運動をすると息が上がるのと同様、魔力も消費に比例して周囲の魔力を吸収しようとする。再び魔法薬を摂取したとしても、効力があるかは定かではない。しかしここで動けなくなれば、間違いなく目の前の騎士に殺される。
取り出した薬の種類を確認することもなく口を付けたその瞬間。
「うわぁ。 あのアンクと正面から斬り合ってるなんて、信じられないなぁ」
ひどく間延びした声音がルキウスの耳を打った。
それに続けて、別の無機質な少女の声が森に響く。
「アンク、止まって」
それは、おおよそ感情の感じられない一言だった。
ルキウスは魔法薬の瓶を投げ捨て再び魔剣を構え直すが、そのか細い一言によって、先程まで猛威を振るっていた騎士は巨剣を片手に静止する。魔剣の炎と攻撃に晒され続けてなおも行動を続けていた騎士がである。
難敵だった騎士が完全に停止した事を確認すると、ルキウスは改めて声の主へ視線を移す。
殺気に満ち溢れた空間では想像もできない声の持ち主は――
「もう少し早くきてくれよ、フィオナ。 危うく殺されるところだった」
緊張を解き、大きなため息ををつくルキウスの視線の先。
大樹ではなく普通の木々が生い茂る、魔女達が住まうとされる森の中に彼女はいた。
見合いなどで美しい娘を見慣れているルキウスをしてなお、美しいと思える少女だった。
黒く輝く大きな瞳と、腰まで届く艶やかな黒髪。暗闇に浮かび上がるほどに病的に白い肌。小柄な身に纏うのは、黒と白で彩られた古風な衣装だ。その頭には衣装と同色の、大きすぎる尖った帽子を載せている。その足元にはやけにルキウスを興味深そうに眺める一匹の黒猫。
ルキウスの嘆息をどう受け取ったのか、その魔女の少女は無表情のまま小さく小首を傾げるだけだった。
◆◇◆
フィオナと呼ばれた少女は黒猫を伴って、動きを止めた騎士――アンクの傍まで歩み寄ると、そっと優しい手つきで傷ついた甲冑を撫でる。慈しむその手元に蒼白い輝きを纏い、甲冑から激戦の傷跡を跡形を消し去る。ものの数瞬で騎士はルキウスの目の前に現れた時と同じ、完璧な風貌に戻っていた。
その魔法を見てルキウスは密かに息を飲む。無駄な魔導具を介さず、そして詠唱など一切唱えずに古代の魔法を行使する存在。それが魔女。
見た目では幼く見える少女であり、そして正真正銘の魔女でもあるフィオナは騎士を治し終えると、ルキウスへ向き直り、一言。
「久しぶり。 元気だった?」
「元気だったさ。 たった今、殺されかけるまでな」
軽い皮肉を混ぜたルキウスの返答にフィオナは、隣で姿勢を正したアンクを眺める。そこから何を思っているのか読み取るのは非常に難しかった。
フィオナの声は、低くもなく高くもない、少女らしい耳当たりのいい声音だ。それでいて外見に反して大人びた印象を受けるのは、そこに感情の起伏が感じ取れないからだろう。終始無表情の彼女は、会話中も口を動かすだけで感情を表に出す事は無い。
そして再び、人形のように作り物めいた魔女は口だけを動かした。
「ここに勝手に入るの、悪いことだよ?」
「まあ、そうだな。 それに関しては言い返す言葉も弁解もない。 悪かった」
その真っ当な言葉にルキウスは苦笑を浮かべ、頭を下げる他なかった。
守人とは読んで字の如く、この幻想の森を守る者達を指す。それらは森に無断で立ち入る招かれざる客を迎撃、あるいは撃破するための存在だ。森の中を強行しようとした結果、守人に攻撃されても文句は言えないだろう。
ただ、そうするだけの理由があったルキウスはしかしと言葉を続ける。
「少しばかり急ぎの用事があってな。 誰か俺の知ってる魔女に会おうと森を彷徨っていたら、お前のお友達と遭遇したってわけだ」
ルキウスの視線は目の前の魔女から、徐々に隣で静かな威圧感を放つ騎士へとずれていく。
戦闘時とは違い不動を貫いている騎士に、ルキウスは微かな不気味ささえ感じ取っていた。
今にも動き出しそうな古風な騎士と、それに守られた魔女。おとぎ話にでも出てきそうな取り合わせを前に、ルキウスの意識は自然とフィオナの足元へと向けれる。そこにいたのは、長い尻尾と真黒な身体、紫水晶のような瞳をもった黒猫だった。
その黒猫は不思議なことに、まるでルキウスを嘲笑うかのような視線を向けていた。
そしてその猫が普通ではない事を、ルキウスもまた知っていた。
「まさかうちの可愛いフィオナを愛でるために、わざわざ幻想の森に来たわけじゃないんだろう? 早く要件を言って、さっさと帰るといい」
激戦の最中聞こえた、間の抜けた声が毒を吐く。
沈黙の騎士が放った言葉ではない。ましてや感情を感じさせない魔女の声でもなかった。
その声の主は、魔女の足元にいた。
「その軽口は相変わらず健在か、イニア。 よくフィオナも長年お前を傍に置いてるな」
長い尻尾を楽し気に揺らす黒猫のイニアは、ルキウスの皮肉にも笑って答える。
「ボクはフィオナの使い魔で代弁者だからね。 いなくなって困るのは誰か、聡明なフィオナはちゃんと理解しているのさ」
ね?と楽し気に主人を見上げるイニア。
黒猫の様子はどちらかといえば保護者というより、監視者のようにも見えた。
その黒猫の主人であるフィオナは広がった袖口から一本の瓶を取り出し、ルキウスへと差し出す。淡い緑色の液体に満たされたそれは、ルキウスが事前に持ち込んだ魔法薬にとても良く似ている。しかしそこに秘められた効力は全くの別物だった。
迷いなく怪しげな液体を飲み下したルキウスは、徐々に痛みが引いていくのを感じていた。
「やっぱり本業者の薬は効力が違う。 見よう見まねで作ったのは、全く役に立たなかったな。 やっぱり俺にはこっちの才能が欠けてるみたいだ」
ルキウスがポーチを叩けば、瓶の擦れる音が漏れだす。
騎士の肩に飛び乗ったイニアは、そのポーチの中を見て目を細める。
「魔法薬を真似て作れる時点で、十分に凄いことだよ。 フィオナもその薬を作れるようになるまで、長い時間が必要だったんだ。 といっても、無許可で魔法薬を作るのは王国では違法だけど」
「俺は善良な帝国市民だから関係ないな」
皮肉を返しながらも、ルキウスはそういえば、と続ける。
「フィオナと友達になれそうな子を連れてきたんだ。 後から魔法薬を持っていくときに、話してみるといい」
待ちぼうけているであろう馬車に残った三人を思い浮かべながら、ルキウスは笑う。
再び袖口をまさぐっていたフィオナが小首を傾けると、その背中でイニアが目を丸くする。
幻想の森という閉鎖的な空間で、新たな人間関係を築く事は非常に難しい。だからこそ魔女はごく稀に外部から客人を呼び、『茶会』と呼ばれる集会を開く。しかしそういった集会も、名の知れた老練な魔女が開く物で、魔女になりたてのフィオナには少し荷が重かった。
人間としての人生の方が長いフィオナにとって同年代の、それも外部の客人というのは非常に珍しい物でもある。
「どんな子なんだい?」
思わず、といった様子で問いかけるイニア。
逡巡して、ルキウスはそのままを語った。
「マリーって名前の魔族だ。 フィオナと同じ頃の娘だから、話も合うだろ。 少し天然なところもあるが、まぁそれは個性ってことで流してくれ」
ルキウスの知る限りでは、フィオナとマリーは相性がいいように思えた。
保証はないが、ふたりの性格は非常に似ている。そして、その生い立ちも。
「それは楽しみ。 でも、まずはロロの所にいく」
無表情な彼女は一言いうと、踵を返す。その進行方向は森の中心部へと向いていた。
それに連れ添う様に歩き始める騎士と黒猫。そしてルキウスも、その珍妙な一行へと加わる。
目の前を揺れる真黒な髪を眺めながら、ルキウスは大きくため息をついた。
「あぁ、今日はロロに……お前たちの女王様に会いに来たんだからな」
そう、古の魔女の名前を口にするのだった。




