深意
街道からそれた、とても道とは言えない行路を進むこと数日。当初はひどい酔いに悩まされていたリフィアが騒ぐ元気すら無くした頃、一行の馬車は深い木々に囲まれた道に入っていた。
それはひとの手が及ばない領域に踏み入ったことを表しており、同時に目的に近づいていることを意味している。万緑の地に入ってからというもの、ルキウスの隣はマリーではなくレイナが座っており、常に周囲の警戒をおこなっていた。
そしてついにリフィアの我慢が限界を超えようかという朝に、馬車はその進行を止めた。
◆◇◆
そこはまるで、天然の城塞というべき場所だった。
古くから根を張っているであろう木々は高濃度の魔力を摂取し続けていたことで、凄まじい大きさへと成長しており、それらが森を守るかのように周囲を覆いつくし、部外者を頑なに拒む閉鎖的な空間を形成。見える限りでは木々の間には日の光が差し込む事もなく、不用意に近づくことすら躊躇わせる不気味さを醸し出している。
停車した馬車から飛び降りたマリーや、それに付き添うレイナは見上げる程の大樹に感嘆のため息をついていた。
「なんだか懐かしい気持ちになる場所ですね。 わたし、ここに来るのは初めてのはずなのに」
「殊更不思議な事じゃないよ。 幻想の森に漂う魔力には過去回帰の副作用があるんだ。 マリーは魔族だから、より敏感にその効力を感じ取っているのかもしれないね」
レイナは自分のこめかみを指先でしめし、マリーの巻角を示唆した。
魔族にとって重要な器官でもあるその角は、周囲に漂う魔力を非常に効率的に体内へ蓄える機能を備えている。それだけ魔力に近い種族という事もあり、マリーはすでに幻想の森の異常さに気付き始めていた。
一方、御者席で数日間も手綱を握り続けていたルキウスは、身体のあちこちを摩ってため息をつく。現役時代には珍しくもなかった遠征だが、自分で馬車を操りながら周囲を警戒し続ける数日間は精神的な疲労感をもたらしていた。
「やぁっと到着だ。 久しぶりの長期遠征で腰が痛いが、それ以外は特に問題は……。」
そういって振り返るルキウス。その視線の先には、心なしか元気のない金髪が巨木の根本でうずくまっていた。数日前から体調不良をひっきりなしに訴えていた、リフィアである。
最初こそ何でもないと強がっていたものの、終盤に差し掛かるにつれて休憩を挟む回数が目に見えて増加していった。今では人目もはばからず、しゃがみ込む始末だった。
「こ、こんな長くなるなら、もっと準備してくれば、よかったわ……うぷっ……」
「まさかリフィアがここまで乗り物に弱いとは思わぬ誤算だ。 というか、今までは我慢してたってことか。 無意味な意地を張るのが好きな奴だな」
珍しく弱気なリフィアを見て、ルキウスは呆れた様にため息をつく。
すでに自宅と帝都をなんどか行き来しており、そのつど馬車での移動を繰り返していた。帝都ではいつもおとなしいと思っていたルキウスだが、その理由が解明された瞬間だった。
「もう馬車の事は、考えたくも、ないわね……。」
心情を吐露するリフィアに、大樹を見上げていたマリーは笑顔で振り返る。
「わたしは、いろんな景色をみれて楽しかったな。 それに馬車って乗ってるだけだから疲れないしね」
「アンタは元々、いろんな場所を移動してたから、慣れてるんでしょ。 少しだけ羨ましいわ」
じゃれつくふたりをしり目に、ルキウスは馬車の荷台から自分の荷物を取り出す。
真紅の鞘に納められた剣と、使い古されたコート。腰に下げられる小さなポーチに、それに詰め込まれた色とりどりの薬品の数々。ひとつを取っても莫大な金額で取引される魔導具を、慣れた手つきで身に纏っていく。
「和気藹々としてる所悪いんだが、レイナは周囲を警戒してくれるか」
「警戒、ですか?」
「マリーとリフィアはひとまず馬車の中で待機だ。 もの珍しいからって、勝手に出歩くのは禁止だぞ」
一通りの確認を終えたルキウスは、自分の装備の確認に入っていたレイナを制止する。ルキウスを見習って荷台から荷物を下ろそうとしていたマリーとリフィアも、その命令を聞いて動きを止めた。
訝し気に視線を送るリフィアに変わり、レイナが険しい表情で口を開く。
「そういう兄さんは?」
「俺は少しばかり友人と話を付けてくる。 下手についてくるなよ?」
「ひとりは危険です! せめてボクも!」
「対策も無しに中へ入れば、酷い魔力酔いで廃人になる可能性もある。 そうなればお前は邪魔なだけだ」
何気なく言い放たれた、脅し文句。
その言葉に嘘偽りが無いことをレイナは知っていた。知っているからこそ、何も言い返すことができない。ここまで近くにいながら、いつまでも力になれない。レイナは人知れずに奥歯を食いしばる。
なにも反論が無いとわかると、ルキウスは踵を返し大樹の群れへと進んでいく。
「ルキウスさん!」
その背中を見て、マリーは咄嗟に声を上げていた。
何かを考えていたわけではない。しかし、そうしなければいけない気がして。
振り返ったルキウスはレイナとリフィア、そしてマリーを眺めて小さく頷いた。
いつもと変わらないその様子が、なぜかひどく不安を引き立てる。
「そのっ……気を付けて、くださいね?」
そんな言葉が、無意識のうちに飛び出していた。だからこそ、それが自分の本心なのだとマリーは理解した。
ただ、なにかを返すわけでもなくルキウスはもう一度だけ小さく頷き、そして木々の隙間へと消えていく。そして先程まで感動していたはずの大樹の存在が、マリーの瞳には恐ろしい物に映る。そしてようやく、その森の本当の恐ろしさを理解する。
生い茂る木々の群れは、立ち入る者を跳ね除ける壁と、入った者を逃さない牢の役割を果たしているのだ。
闇の蠢くその奥に、ルキウスがいるのだと信じ、マリーは食い入るようにその闇を見つめ続けていた。




