書面
茶葉の香りに満たされた一室で、ソファに深く腰掛けたふたりが対面する。片や軍属時代は赤毛の悪魔と呼ばれたルキウス・アルトリウス元将軍。そしてもう片方は、現帝国軍第二師団長を務めるレイナ・レイズベルトそのひとだった。
帝国軍の制服を纏ったレイナの訪問がけっして個人的な用件でないことは事前の手紙で理解していた。しかしその詳しい内容までは推測でしか計り知れない。ルキウスは長くなるであろう話の前に、リフィアの入れた上質な紅茶で口を湿らせると、目の前の元部下と視線を合わせる。
「お久しぶりです、ルキウス元将軍。 以前と変わらず、お元気な様子で安心しました」
出された紅茶には目もくれず、姿勢を崩さず腰掛けるレイナをみてルキウスは微笑を浮かべる。それは久しぶりに会うレイナが、あまりにも変わらない事への安心による物だった。
「その堅苦しい性格は、前のままか」
「はい、そのよう祖父に育てられましたので。 不愉快と感じるのであれば、すぐにでも治しますが」
「そんな必要はないだろ。 それより、その性格をお前に刷り込んだレガドの爺さんは元気か? 俺の引退を聞いて怒り狂ってるのは想像できるが」
リフィアやマリーの前とは違い、堅い反応を返すレイナ。そんな元部下を見てルキウスはひとりの老人を思い浮かべる。
ルキウスの前任者として将軍を務めたレガド・レイズベルト。またの名を『帝国の鬼将』。常に戦場で先頭に立ち、その剛腕を振るい続けた生粋の戦人。そして現在の帝国軍のイメージを民衆に植え付けた張本人とでも言うべき人物でもある。その戦いぶりにはルキウスをしても戦慄を覚える程だが、その一方で非常に軍人としての立ち振る舞いに厳しいことでも有名だった。
そんな彼の孫でもあるレイナが、元とは言え上司を前に身を固くしてしまうのは致し方のない事だった。
「それは、お察しください。 祖父は将軍に全幅の信頼を寄せていましたので……。」
「将軍はよしてくれよ。 俺はもう引退した身で、お前は現役の師団長なんだからな。 それにしても、レガドの爺さんがよく殴りこんでこなかったな。 張り倒されてもボコボコにされても文句は言えないと考えてたんだ」
後任者としてルキウスを推したレガドは退役と共に潔く剣を置いた。だがそれも、ルキウスが長く軍を率いてくれるという一種の信頼があったからだ。一切の理由も話さず、唐突に退役したルキウスの行動を聞けば、義理堅いレガドが激怒する事は想像に難くない。
しかしレイナはそんな皮肉を聞いて、寂しそうな笑みを浮かべた。
「祖父は……病に臥せっているので」
「そう、か。 さすがの爺さんも齢と病魔には勝てないか」
呟くルキウス。その口調には一抹の哀愁が含まれている事に、レイナは気付いていた。
厳しくもあり常に正しくあろうとした偉大なる人物。それがルキウスが尊敬の念を抱く数少ないレガドへの評価だった。
軍で生まれたルキウスの才能にいち早く気付いた彼は英才教育を施すために大魔女を誘致し、ルキウスに教育を施した。そんな自分の恩人ともいえる人物が病に臥せっている。その事実がルキウスを無自覚に責め立てる。
同じくレガドの教育を受けて育ったレイナはルキウスの微妙な変化を察知し、そういえばと話を移し替える。
「先程も思いましたが、随分と可愛らしい使用人を雇っていますね。 現役時はそういったことに興味が無いと思っていました。 悠々自適な隠居生活に華を添えることを、悪く言うわけではありませんが」
「そう言ってくれるなよ。 俺だって好みであのふたりを選んだわけじゃないんだ。 ただ、探していた条件に見合うのが、あのふたりだったってだけの話でな。 そのお茶も用意したのは、リフィア……金髪の娘だ」
「そうでしたか。 あの娘が……。」
「生意気だが、なかなか面白い奴だ。 もうひとりの使用人……マリーもよく働いてくれてる」
刺々しい言葉遣いの少女と月色の髪を持った少女を思い浮かべ、レイナはカップに注がれた紅茶を眺める。その隣にはつい先程、ふたりに渡した焼き菓子が添えられていた。
「あの魔族の少女を競り落とすのに、随分と危ない橋を渡ったようですね。 レンドルとも諍いを起こしたとか」
「意外と憲兵も口が軽いみたいだな。 確かにレンドルは危険な相手だが、その分保身にも長けてる。 俺とやり合えばどうなるか、向こうも十分理解していただろうさ」
そう自虐的に笑うルキウス・アルトリウスは、決して良家の生まれではない。血筋すら不明の、全く無名の存在だった。しかし、貴族や富豪が騎士となれる王国ならばいざ知れず、帝国に置いて血統というのは殆どと言っていいほど役に立たない。全てを飲み込み、肥大化し続ける帝国では血の歴史ではなく、純粋な力が人生を左右する。
実力だけで最強と呼ばれた帝国軍を上り詰めたルキウスと、凄まじい財力を誇る大貴族レンドル。その力は拮抗しているが、小競り合いに置いてどちらに分があるかは自明の理だった。
「それで、俺とそんな与太話をするためにここまで来たわけじゃないんだろ? レイナ・レイズベルト師団長殿」
久しいレイナの気遣いに感謝しつつ、ルキウスは話の先を促す。
魔族と人間の長く続いた戦争が終結し、これからさらに領土を拡大していくであろう帝国。その帝国軍の師団長が直々に訪れる理由が穏やかでないことは、想像するまでもなかった。
「相も変わらずのご慧眼ですね」
それまでの和やかな空気が一変。レイナは軍服の胸元から一通の手紙を取り出し、テーブルの上に差し出す。そこには十字を囲む剣の印、帝国軍の紋章が刻まれていた。それは、将軍にのみ使う事が許された、ルキウスにとってもなじみ深い物だった。金の箔が押されたそれを手に取り、ルキウスは目を細める。
「引退した俺に対して、帝国軍最高司令の蝋封とは恐れ入る。 一介の軍人だった人間に充てる物の限度を超えているようにも見えるが、この際は置いておこうか」
「お察しください。 内容が内容ですので」
「という事は、お前もこれの中身を知ってるのか。 なら口頭で伝えればいいだろ。 対面しておきながら、内容を伝えるに手紙を通してでないといけない理由でもあるのかね。 リカードの奴が、そんな回りくどい事を好む奴だったとは、知らなかったが」
生真面目ながら情に厚い性格の部下を思い浮かべながら機密を封じ込めていた封蝋を剥がす。
そして中から出てきたのは、外と同じ紋章があしらわれた数枚の手紙。丁寧に折りたたまれたそれを開こうとして、そしてルキウスはその手を止めた。
「――待て。 ひとつ、質問に答えろ」
不意に放たれたのは、凍り付く様な、情を感じさせない声音。
静かにルキウスの動向を見守っていたレイナの表情が強張る。その様子は、まるで叱られる前の子供のようでもあった。
「はい……なんでしょうか」
落とされた視線の先。ルキウスが見つめる先には、既に開け放たれた封筒があった。しかし、注目している先は、豪奢な箔でも、機密を示す蝋封でもない。背面に書かれた、機密事項と書かれた文字。
それを指で示したルキウスは、固い表情のレイナを見て、問いかけた。
「リカードは、どうした? 俺が将軍の後釜に据えてきたリカード・テイラーは、いまなにをしている?」




