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アルトリウス家の使用人  作者: 夕影草 一葉
帝国軍の負の遺産
13/32

来客

「あぁ、ふたりともここにいたのか」


 ふいに背後からかけられた声にリフィアとマリーが振り返れば、ルキウスがいくつかの手紙を片手に立ち尽くしていた。掃除に集中していたマリーは慌てて服装を正すと頭を下げ、リフィアも遅れて煩雑に頭を下げる。


「ルキウスさん、おかえりさない! いつお帰りになったんです?。 お散歩から帰ってきたのなら、教えてくれればいいのに」


「帰ってきたのは、ほんの少し前なんだ。 別に報告するようなことでもないと思ってな」


 少し前という言葉を聞いたマリーは、換気のために開け放たれた窓の外に浮かぶ太陽の位置を見て小首をかしげる。

 本来ならばこの時間は、ルキウスが日課の散歩に出かけている時間でもある。その間に屋敷の主だった部屋の掃除を済ませるというのがマリーとリフィアの日課だったのだが、今日に限ってはその時間道理に事は進んでいなかった。

 

「ごめんなさい。 お掃除はまだ終わってないんです。 すぐに終わらせるので……。」


 時間配分を間違えたのかとマリーが不安げに表情を曇らせるが、ルキウスは手に持った手紙を見せるように振る。その中には箔の押された、一目で重要だとわかる手紙が混ざっていた。


「すぐに片付けたい書類が届いてたんで、早く戻ってきたんだ。 マリーの仕事が遅いわけじゃないから、そう慌てんなって」


 言いなだめるようなルキウスの言葉に嘘偽りは含まれていない。

 すでにリフィアの指導を受け始めて十日あまりが過ぎたマリーは、順調に仕事をこなせるほどに使用人としての成長を遂げていた。

 両親を見つけてくれるという大魔女アリーシャの到着まで、仮とはいえ使用人として働くことになった彼女の仕事ぶりには、ルキウスだけでなくリフィアも密かに感心するほどだった。 


「でも、リフィアはもう終わってるみたいだし」


 いつの間にか作業を終えていたリフィアを見て、マリーがしょんぼりと頭をうなだれる。


「こいつは元々、そういう関係の教育も受けてるからな。 マリーはマリーのやり方で、慣れて行けばいいさ」


「随分と甘いじゃない。 わたしはそんな事一度だって言われたことないわよ」


「気遣えばそれだけ付け上がるだろ、お前は。 それでやる気を出すのは結構だが、その分俺への風当たりが強くなるのも遠慮したいんだよ」


 むくれるリフィアを言いくるめると、ルキウスは手持ちの束から一通の手紙を抜き出す。箔の押されたそれが、貴族や階級の高い軍人が愛用する書簡だとリフィアはすぐに見抜く。つまりその内容もまた、格式高い人物からの書面ということになる。

 訝しげにそれを睨み付けるリフィアと、手紙に押された蝋封を物珍しそうに見つめるマリーに、ルキウスは咳ばらいをして言葉を続ける。


「実はさっき言った書類がこれなんだが、近日中に俺の知り合い……というか部下だった奴が訪ねてくるらしい。 こういっちゃなんだが、部下ながらにお世話になった相手でな。 もてなすために貴賓室の用意を頼みたい」


「貴賓室自体はいつでも使えるよう、清潔を保っているわ。 急な来客も無いとは言い切れないもの」


「えっと、大切なお客様ならお茶とお菓子も用意しておいた方がいいのかなぁ。 リフィア、お茶の備えはまだ余裕があったよね?」


 自慢げに無い胸を張るリフィアと不安げに首を捻るマリーだったが、ルキウスはすぐに来客の性格を思い出して首を横に振った。

 

「あぁ、そういうのは用意しなくて大丈夫だ。 なんせ相手は堅苦しい軍人気質な奴で、茶菓子を出したところで手も付けないだろ。 余計な気を遣わせるだけだ」


 経験上、ルキウスの知る帝国軍人の中で茶や菓子の細かい味が理解できる人間は多くない。実家が茶葉を生産していただけあってリフィアの入れるお茶はお世辞抜きで美味いのだが、その味が理解されない事をリフィアは極端に嫌う。

 そもそも軍人の殆どは遠征中ならば雨水を、帝都にいたとしても酒か酔い覚ましの水しか飲まない連中ばかりである。だがそんなことを知る由もないリフィアは、そのつり目を更につり上げて気色ばむ。


「その客人っていうのがどんなひとか知らないけど、お茶は出させてもらうわよ。 客人になんの持て成しもしないっていうのは、わたしが許さないわ」


「っていっても、そういうのは一切興味がないと思うけどな」


「それでもせめて素性と年齢ぐらい教えなさいよ。 出すだけにしても、振る舞うお茶の参考にしたいわ」


 それでも渋るルキウスに、リフィアが詰め寄る。頑ななリフィアの性根を少なからず理解していたルキウスは、微苦笑を浮かべて小さく肩をすくめて見せる。


「帝国軍人の家系レイズベルド家出身の生粋の軍人だよ。 確か齢はお前たちと同じくらいだったと思ったけどな」


 帝国で広く知られる軍人の姿。それは戦場に立てば鋼の如き闘志を滾らせ、圧倒的な実力と戦術で敵を粉砕する、強力無比な戦術兵器としての姿。

 それを想像したリフィアは無意識の内に身を固くしていることに気付く。マリーはそんなリフィアの手をそっと優しく握りしめるのだった。

 

 ◇◆◇


「帝国軍所属のレイナ・レイズベルトです。 急に押しかけて悪いね」


 故に、軍服に袖を通したレイナなる人物を前にしたリフィアの思考は真白となっていた。その隣で驚きを隠しきれていないマリーもまた、口元に手を当てて目を見開いている。

 慌ててふたりは顔を見合わると、予想外の客人に聞こえないよう小さな声で作戦会議に入る。


「ちょ、ちょっと! なんか聞いてた話と違うんじゃない!? 聞いていた話の流れから男だと思ってたけど……。」


「え、えぇっと、どうなんだろう? 男のひとにも見えるし、女のひとにもみえるから……。」


 驚愕と疑念の交じったふたりの視線に気付き、ルキウスの言うところ生粋の軍人であるレイナ・レイズベルトは、その傷ひとつない端正な顔に屈託のない優しい微笑みを浮かべた。

 狼を思わせる灰色の長い髪。翡翠の様な透き通る瞳。小ぶりな口と通った鼻筋。どこを見ても色白で輪郭の整った美人であることに変わりはない。しかしいかんせんふたりは性別を判断しかねていた。

 女性にしては落ち着いて、男性にしては若干高い声色は、相手を惑わす蠱惑的な旋律を奏でている。


「ボクのことはあんまり気にせず、レイナって呼んでくれると嬉しい。 下の家名は重すぎて好きじゃないんだ」


 そういって照れ笑いを浮かべるレイナに、ふたりは身だしなみを整え、歓迎の意を込めて腰を折る。


「はじめまして、レイナ様。 使用人を務めているリフィアよ。 ようこそ、アルトリウス邸へ」


「お、おなじ使用人のマリーです。 はじめまして」


「リフィアにマリー、ふたりに似合っていい名前だ。 こんなかわいい使用人をふたりも雇っているなんて、ルキウス様も隅に置けないなぁ」


 そろって頭を下げる使用人を、レイナは珍しい物を見るかのように見つめていた。

 というのも、ルキウスが高級な娼婦を買うのならば高級な煙草を買った方がマシだと言い捨てたことは、今では軍隊で語り草になっているからだ。

 そんな彼が使用人に見目麗しい少女を雇っているとなれば、なんとも面白い話ではないか。少しばかり意地悪な笑みを浮かべるレイナを見て、リフィアは形の良い眉をひそめた。


「わたし達はそういうんじゃないわ。 的外れな勘違いはしないでほしいわね。 不愉快よ」


「リフィア!? お客様に失礼だよ! ごめんなさい、レイナさん!」


 まさに驚愕とでもいうべき表情を浮かべたマリーは、銀色の髪を盛大に翻し、レイナに深く頭を下げた。

 客人であるレイナに失礼があれば主人であるルキウスに迷惑が掛かる。咄嗟にマリーが考えたのは、自分たちがルキウスに失望されないかという事だった。

 一方のレイナも一瞬だけ目を見張り、そして翡翠の瞳を静かに伏せた。


「謝るのはボクの方だ。 リフィア嬢の言う通り、無粋な勘ぐりだった。 許してほしい」


「い、いえ! その……ごめんなさい!」


「ふふ、では互いに落ち度があった、という事で手を打とう。 リフィア嬢、済まなかった」


「ふん。 わかればいいのよ」


 鼻を鳴らしたリフィアはそれ以降口を開くことなく、踵を返す案内を続ける。それは言外についてこいという意味でもあった。再び頭を下げようとするマリーを手で制止し、レイナは静かにその後を歩き始める。

 ルキウスの選んだ邸宅は辺境に建てられただけあって、都市部にある邸宅とは多少なりとも構造が異なる。例えば貴賓室に使われる比較的大きな部屋は入口から近い場所に設けられるのが普通だが、この邸宅ではルキウスの使っている二階奥にある書斎の向かいに設けられている。これは来客の少ない場所にあるからこその構造と言えた。

 たった三人しか住んでいない閑散とした邸宅の長い廊下を進みながら、マリーは時おり隣を歩く灰色の軍人の様子を伺う。

 

「魔族を軽蔑しないのか、そう言いたげな表情をしているね」


 悪戯っぽく片眼を瞑るレイナに、マリーは思わず口ごもる。


「えと……。」


「帝国には魔族を蔑視する人間は多いが、理解を示す人間も少なからずいる。 君たちの主人のようにね」


 どこか誇らしげなレイナは、そっと持ち前の灰色の髪を撫でる。

 すでに終戦したとはいえ、魔族と人間との戦争は長い歳月の中で決して埋まることのない溝を生み出した。帝国に置いて魔族と言えば憎むべき相手としての代名詞として広く知られている。それはマリー自身が嫌という程に身をもって実感した。

 その殺し合いの最前線に立っていた軍人という職業にありながらも、魔族を受け入れるレイナという人物に、マリーは自分を救い出した赤毛の主人を重ねていた。

 そしてふと心に抱いた疑問。それを口にする前に、前を歩くリフィアが静かな歩みを止めるのは同時だった。 


「こちらでお待ちください」


 リフィアはその不愛想な言葉とは裏腹に貴賓室のドアを優雅な手つきで開け放つ。

 落ち着いた調度品でまとめられた室内を見渡して、レイナは満足げに頷いて見せた。そして使用人のふたりをみて、思い出したかのように腰に下げられたポーチから可愛らしい包装の袋を取り出す。


「案内をありがとう。っとそうだった。 お土産に帝都で有名な焼き菓子を持ってきたんだ。 さっきのお詫びと言っては何だけど、良かったらふたりで食べてくれると嬉しい」


 リフィアに袋を渡すと、最後にもう一度だけ鮮明に残る笑みを残してレイナは扉の向こうに消えていった。

 呆然とそれを見送ったマリーはおずおずと、隣で扉の向こうにいるであろう美丈夫――もしくは美少女を睨み付けたまま、動かずにいるリフィアを覗き見た。


「凄い良いひとでしたね、レイナさん。 それにルキウスさんに会いに来たんだよね? もしかして、ルキウスさんってホントは凄いひとだったんじゃ……。」


 唇に指をあてて首を捻るマリーは、そのままルキウスのいるであろう向かいの書斎へ。

 その声を聴いてリフィアもやっと扉から視線を外し、手元にある焼き菓子の入った袋に向ける。そこにはリフィアも一度は食べてみたいと思っていた、帝都で人気の色とりどりの焼き菓子が詰め込まれていた。


「どこが『堅苦しい軍人気質な奴』よ。 まったくあてにならないわね、アイツの言葉は」


 そうつぶやいたリフィアは、レイナに振る舞う茶葉のランクをひとつ上げることを密かに決めるのだった。 

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