師弟
ある日の昼下がり、リフィアとマリーはルキウスの書斎へと足を踏み入れていた。
そこには歴史的価値の高い古文書から、子供の読むような童話までが一緒くたに積み上げられ、一般人が立ち入ることをためらう不思議な空間を作り出している。
ふたりは恐る恐る本の山を描き分けて進むと、呼びつけた当人のルキウスは古ぼけた木箱を漁っている最中だった。
「確かこの辺に置いたはずなんだが……あぁ、あったあった。 使うのは随分と久しぶりだが、大丈夫だろ」
訪れたふたりに気付かず、ルキウスが独り言と共に木箱から取り出したのは緻密な装飾が施された紫色の水晶玉。それを背中から見ていたマリーとリフィアは思わず首を傾げる。
「えっと、ルキウスさん。 それは?」
そこでようやくマリーを見たルキウスは、その水晶に付いていた埃を払い、ふたりにも見えるよう机の上に置いて見せた。磨き抜かれた水晶は妖艶な輝きと共に少女達の顔を映し出す。
「これは使用者の魔力を消費して、対になる魔結晶と会話が出来る魔導具だ。 元々は軍で使われてた道具だったんだが、便利だったんでひとつ拝借してきた。 これを使えば遠方の友人を呼ぶのも訳ないからな」
ルキウスはこともなげに言うが軍の備品は帝国の所有物であり、それを無断で持ち出すのは犯罪である。しかし藪をつついて蛇を出しても困るので、リフィアはルキウスの言葉を無視して話を続けた。
「その友人ってのも軍人なわけ?」
「いいや、違う。 違うがえらく偏屈な奴で、あの世界樹海の中にひとりで住んでる。 話を聞くのも気分次第で、引き受けた後には必ず相当な見返りを要求されるから、正直言えばあんまり関わりたくはなかったんだが」
顔をしかめるルキウスを見て、リフィアは内心で一抹の不安を抱いていた。
あのレンドルを前にしても表情を崩さなかったルキウスがそこまで忌避する相手なのだ。どんな変人が飛び出してきてもおかしくはないと警戒を強める。だが、逆を言えばそこまでしても協力を仰ぎたい相手という事でもある。そこでリフィアはひとつの考えにたどり着く。
「つまり……その友人ってのがマリーの両親を見つけてくれるのね」
「そ、そうなんですか?」
「うまくいけば、な。 だが、俺の話を聞いてくれるかどうかは相手次第だ」
目を輝かせるマリーに曖昧な笑顔を返すルキウスは、早速その魔水晶に手を添える。ぞわりとルキウスの赤髪が蠢いたかと思うと、徐々に水晶の輝きが増し始める。
魔力の流れに敏感な魔族のマリーはそっとリフィアの手を握りしめた。それに気づいたリフィアも、優しくその手を包み込む。
そして短くない沈黙の末に3人の声ではない声が、ふいに部屋に響いた。
「なんだ、誰かと思えばルキウスの坊主か」
唐突に聞こえた声にルキウスは背筋を伸ばすが、固く手を握り合っていたリフィアとマリーは顔を見合わせていた。その声は、下手をすればマリーと同じか、それ以上幼く聞こえる物だったからだ。しかし水晶を前にするルキウスの表情はいたって真剣だった。
「久しぶりだな、アリーシャ。 その坊主って呼び方も相変わらずか。 人間で言えば、俺はもうガキを卒業してる歳なんだが」
「魔女の儂から見れば、おぬしもまだまだガキ当然よ。 それで、この儂になに用か? つまらんことだったら、承知せんぞ」
強気で話を進める結晶の向こう側にいる魔女――アリーシャはその幼い声音とは裏腹に、高圧的な態度を貫いていた。その頑固な老人の様な話し方に、ルキウスの後ろにいたリフィアは顔をしかめ、マリーは困ったような笑顔を浮かべる。
「まぁ話だけでも聞いてくれ、少しばかり頼みがあるんだ。 魔鏡を使っての人探しを依頼したい。 それなりの報酬は約束するが、ちょっと事情があって俺の方からそっちへはいけないんだ。 だからその、言い難いんだが、こっちに来てもらう事になる」
懇願するようにルキウスは水晶に語り掛ける。魔法を使ってのひと探しにおいて、アリーシャ以上に適役な人物をルキウスは知らない。広範囲にわたって探索の魔法を掛けるのには、それ相応の魔力と練度を必要とするためだ。
すでにマリーが両親と別れてから長い時間が経過している。下手をすれば別の国や大陸へ渡っていた場合、それを見つけられるのはアリーシャ以外にいないだろう。
その長い沈黙の末に、少女の様な魔女は息を吐きだした。
「……おぬしからの頼み事とは、随分と珍しいこともあったものだ。 今は忙しいが、引き受けてやる」
「ほ、ほんとか? よかった、助かる」
過去、辛辣な言葉と共に依頼を突っぱねられた経験のあるルキウスは安どのため息をつき、その背中では2人の少女が小さな喜びの声を上げる。
しかし水晶の向こうにいる気難しい魔女は言葉を続ける。
「ただし、厄介なのが家にいて、思う様に外出できんのだ。 少しばかり、時間をもらうが――」
そして、唐突に訪れた一瞬の沈黙。
ルキウスが眉をひそめた次の瞬間、今までとは別の声が水晶を通して書斎に響いた。
「へぇ? 師匠の恋人って、人間なんですね。 なんか意外です」
内容はともかく、その凛とした声音は、先程まで聞いていたアリーシャの声とは似ても似つかない。
混乱して言葉を発することもできないまま、水晶の先では会話が進められていた。
「せ、セレナッ!? お主、なぜここにいる! 許可なく入ってくるなとあれ程言い聞かせたというのに!」
「意中の男と話しているからって無防備すぎますよ、師匠。 まぁ、そういうところが可愛いんですけどね。 それにしても、師匠の恋人なのでどんな相手かと思ってましたが、声は意外と普通ですね」
「何を馬鹿げたことを言っている、この痴れ者めが! 魔結晶を返せ!」
「またまた、恥ずかしがらなくてもいいんですよ? 相手から見えないからって、さっきまで乙女の顔でニヤニヤしてたじゃないですか。 ここは素直になりましょうよ、師匠」
「き、貴様ぁあッ!」
結晶越しに聞こえた激昂するアリーシャの怒気が、ようやくルキウスの混乱を打ち消した。
いまだに雑音交じりの音声に、恐る恐ると言った様子でルキウスは話しかける。
「驚いたな。 アリーシャが弟子を取ったのか」
アリーシャが取り乱している事もそうだが、彼女が弟子を取っている事に関してもルキウスは驚きを隠せなかった。知っている限りでは、アリーシャは弟子を二度と取らないと公言していたからに他ならない。
気難しく、気分屋の彼女が何かの拍子に心変わりしたのだろうかと、ルキウスは首を傾げた。
しかしその問いかけに答えたのは気難しく自由奔放な魔女ではなく、それを上回る弟子だった。
「あ、わたしはセレナっていいます。 混血のエルフなんですけど、数年前に師匠に弟子入りしたんです」
「ふん。 此奴が家の前に居座るものだから、しょうがなく取ってやっただけだ。 他意はない」
「それで、恋人さんは師匠になんの用事ですか? もしかして愛の告白ですか? それならどうぞ、わたしの事は構わず師匠に愛を囁いてください。 わたしはそれを聞いて赤くなる師匠を見ていますので」
純粋に楽しそうに話すセレナの声に交じって、遠くからアリーシャの怒声が水晶を通して聞こえてくる。
これ以上、この奔放な魔女の弟子を好き勝手させては、こちらにまで気難しい魔女の怒りが飛び火しかねないと判断したルキウスは、急いで話を進める。
「おい、アリーシャ。 さっきの要件は至急頼みたいんだ。 いつ頃こっちに来れる?」
「……分からん。 この馬鹿弟子の面倒を見なければいけないのでな」
「本当は今すぐにでも飛んで行きたいんですよね、師匠」
「あぁ~、アリーシャ?」
「わかっとる! 数日待っておれ!」
もはや限界と言わんばかりに怒鳴りつけ、アリーシャは一方的に通話を打ち切った。
残されたのは置いてきぼりにされていた、マリーとリフィアの沈黙だけだった。
しかし緊張の糸が切れたのか、それまでルキウスの背中で黙って見ていたマリーが小さなため息をはく。
「なんというか、凄いひとでしたね。 あのお弟子さんも、お師匠さんも」
マリーの率直な感想にリフィアは小さく肩をすくめて見せた。
「凄いというか、酷いって感じだったけど。 あれで本当に役に立つわけ?」
帝国でも魔女という存在は重視されており、その強力な力は軽視できない事は国民ですら理解していた。
しかしその一方で気分屋であり気難しい存在としても広く知られている。あの調子ではとてもではないがこちらの期待に応えることなどできないだろう、というリフィアなりの心配だった。
だがルキウスは後頭部の赤毛を撫でつけながら、大きく頷いた。
「ああ見えて、アリーシャは大陸一の大魔女だ。 腕前は保証するさ」
その言葉には、そうであってほしいというルキウスの願望も少しばかり含まれていた。
それはアリーシャの過去を知るルキウスも、あれ程に怒り狂った彼女を見たことがなかったからだ。
新たな弟子という存在に若干の不安を感じつつも、ひと時の平穏を楽しもうとルキウスは決めていた。




