不和
来賓室。
本来なら賓客が訪れた際に使われるはずのその場所で、家の主であるルキウスは注がれた珈琲を前にソファへ腰を下ろしていた。
その珈琲も半分ほどなくなり、長い時間を待ち続けていたルキウスは一服しようと煙草に手を伸ばし、その手を戻す。理由は不明だが、リフィアの命によってその場での喫煙は禁止されていたのだ。
どうしたものかと、テーブルの上に置いてあった帽子を片手間に弄っていると、ようやくリフィアが姿を現す。
「ほら、早くしなさい。 何のためにわざわざその服を用意したと思ってるのよ」
「で、でも……こんな服着るの初めてだから、その……恥ずかしいし……。」
「これからその恰好で働くんだから、それじゃあ仕事にならないでしょ。 それに、わたしも同じ格好してるんだから、恥ずかしがることないじゃない。 というか、それってわたしの恰好も恥ずかしいって言いたいわけ?」
煙草を吸いたい衝動に駆られているルキウスをよそに、扉の陰で何かと格闘しているリフィアは、数日前に特注で作らせた使用人服に身を包んでいた。
白と黒のレースが特徴の少女趣味な衣服だが、機能性と耐久性を兼ね備えた逸品らしく、リフィアの強引な勧めで購入に至った。
採寸から布の質まで細かく指定したそれが届いたことでご機嫌だったリフィアだが、今だけは不機嫌な様子だった。
「なぁ、リフィア。 俺がここにいる意味を理解できてないんだが」
すでに日課となっている散歩を済ませ、いざ本を読もうというとき、使用人に呼びつけられる哀れな主人。ルキウスは読みかけの本の内容が気になり、暗にもういいかと問いかけるが、リフィアは柳眉を逆立てて怒りをあらわにした。
「いまからマリーのお披露目会なのよ? 煙草の匂いが付いたらどうしてくれるわけ? あんたはそこに座って、感想を言えばいいのよ」
「お披露目会ったって、たかが使用人服に大げさじゃないか? それにリフィアと同じ格好なら感想も何もないと思うんだが」
「いいから、そこに、座ってなさい」
使用人とは思えない眼光に恐怖を覚えたルキウスは、扉の向こう側にいるであろうマリーに同情した。
強気な性格とは裏腹に少女趣味なリフィアの使用人服は、見た目がフリフリした作りになっている。おそらくマリーもリフィアと同じ趣向の服を着せられているに違いなかった。まるで着せ替え人形のように。
それに戦場育ちのルキウスにとって、服装の感想を要求される事は若干難易度が高い。
「ああ、もう! ほら、いい加減諦めて、出てきなさい!」
出来るだけ妥当な感想を考えていたルキウスの前で、しびれを切らしたリフィアは渋るマリーを強引に来賓室へと引きずり込んだ。
白銀の輝き翻し部屋に入ってきたマリーはルキウスと目が合うと、頬を朱色に染めて恥ずかしそうはにかんだ。
「あの……どうですか? 似合わないってわかってたんですけど、リフィアさんが、どうしても着なさいって……。」
「どう? マリーを一目見た時から、こういうのが絶対似合うと思ってたのよね」
意外にもと言ってはリフィアに失礼だが、ルキウスはマリーの姿を見て驚きを隠せずにいた。
自分の少女趣味な趣向が理解できているのか、マリーの着ている服はリフィア自身の物とは違い、黒を基調に必要最低限の装飾と清楚な刺繍を施した、落ち着いた物だった。
こういった衣類に疎いルキウスでさえ、見る物に儚げな印象を抱かせるマリーに良く合った服装だと理解できた。
「似合うよ。 マリーの銀髪には黒い服が良く映える」
「あぅ……その……ありがと、です……。」
ルキウスは素直に感想を口にすると、マリーは嬉しそうに控えめな笑顔を浮かべる。
今までの劣悪な環境から抜け出し、アルトリウス家で生活を続けるマリーの容体は、以前とは比べ物にならない程に回復していた。
蒼白い肌の色は少しずつだが生気を取り戻し、傷だらけだった手足も殆どは治りかけている。特に長い銀髪は月の輝きにも似た光沢を放ち、自然と目が引き寄せられる不思議な魔力を放っている。
リフィアの掲げる相応の立場には相応の服装をという言葉の意味を、ルキウスは実感していた。
「でも、こんな高そうな服、もらっちゃっていいんですか……?」
「いいのよ、別に。 使用人が使用人服をもらって、なにが悪いのよ」
用意された服を完璧に着こなすマリーを見て、無い胸を張るリフィアは満足そうに頷く。
「まあ、そういうことだ。 選んだのは俺じゃないが、気に入ってくれたのならよかった」
マリーの生い立ちはさておき、今までの生活は決して裕福なものではなかったことは想像に難くない。それが不幸だということではないが、金銭的な問題というのは生きていく中で避けえぬ問題だ。
ルキウスはそれだけでも解決することで、彼女が少しでも幸せを感じてくれるのならばと考えていた。おっかなびっくりに、服の裾を掴んでは微笑みを浮かべるマリーを見て、思わずルキウスの頬も緩む。
しかし、その様子を見ていたリフィアは蒼い瞳を細め、ルキウスに詰め寄った。
「……それだけ? 可愛いの一言もないわけ? このわたしが選んだ服装に、そんな一言も出てこないわけ? へぇ……あぁ、そう」
「急に怖えよ。 それになんで仕事するための服装に、可愛さ求めてんだ。 そこは動きやすさとかだろ、普通」
「服装が可愛い方が、使用人も見ている方もモチベーションも上がるでしょ。 そんなこともわからないのかしら」
「ならまず服装以前に使用人らしい振る舞いを覚えてくれ。 お前を見てると、使用人の概念が根本から覆されそうだ」
ため息交じりのルキウスの懇願にも、リフィアは小さく鼻を鳴らすだけにとどまった。
この邸宅で過ごした時間は長くないが、それでもリフィアという少女の使用人らしからぬ態度を目の当たりにしている。ルキウスとて絶対服従とまではいかずとも、一定の常識や敬意をもってほしいとは考えている。リフィアという聡明な少女にそれが理解できていないとは思えなかった。
それゆえに、今現在の彼女のふるまいに頼られているとも信用されているとも違う、微妙な距離感に少なからず戸惑いを隠せずにいた。
「少しだけ、他人を信用する事を覚えてくれよ。 いつまでそのままじゃ、こっちが気疲れする」
「そういうのはマリーに覚えてもらったら? わたしはわたしでこのままで行かせてもらうから」
代わりにリフィアが指さしたのは、これから使用人として働く事となるマリーだった。
条件付きで雇う事となった彼女だが、今はまだ使用人としての仕事は与えられておらず、先日まで傷の治療に専念していた。それは家族との訣別においても、時間が必要だと判断したルキウスの判断だった。
現在では当初の痛々しいまでの姿からは想像もできない程、マリーは笑顔を見せるようになった。
「えっと、よくわからないけど、頑張ります!」
ぐっと胸の前で拳を作るマリーを見て、リフィアも小さく肩を上げる。
無邪気な微笑みを浮かべるマリーと、それを見て冷たい微笑を浮かべるリフィア。そんな二人を見て、ルキウスは小さな違和感を感じ取らずにはいられなかった。




