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登場人物:東大陸帝国

※順不同

【東大陸帝国】


 イヴァン・ロマノフⅦ世


 大陸暦564年生まれ。東大陸帝国第59代皇帝。


 政治より絵画、改革よりも美女を好む。50歳以上年下の寵姫が8人おり、ひとりひとりに大きな肖像画がある。

 皇太曾孫を帝位につかせようと画策し、636年末にシレジア征伐を決定。637年4月に春戦争を起こす。

 しかしシレジア王国軍の抵抗と、オストマルク帝国の非難声明によって敗北。敗戦によるショックで病床に伏し、638年に崩御する。

 なお、春戦争中に皇太曾孫ヴィクトル・ロマノフⅡ世が誕生。



 セルゲイ・ロマノフ


 大陸暦619年生まれ。東大陸帝国第59代皇帝イヴァンⅦ世の大甥。


 イヴァンⅦ世とは正反対に、政治・経済・軍事などあらゆる面において優秀な人物。637年の春戦争にも従軍するが、戦果は思ったようにあげられなかった。

 637年、春戦争敗戦とイヴァンⅦ世の体調悪化から帝国宰相に任命され、次々と新政策を打ち出して帝国の大改革に乗り出す。


 ただし、口は相当悪い。



 アレクセイ・レディゲル侯爵


 軍事大臣。階級は632年時点で帝国軍大将、636年時点では帝国軍上級大将の地位にある。

 軍政の手腕も高いが、それ以上に権謀術数に優れると言われている。東大陸帝国で何かが起きたらだいたい侯爵が何らかの形で噛んでいる。

 セルゲイ派の筆頭。春戦争敗戦により辞表を提出されるも慰留され、軍事大臣職に留まったまま元帥に昇進している。




 モデスト・ベンケンドルフ伯爵


 皇帝官房長官であり、かつ秘密警察である皇帝官房治安維持局の長でもある。カールスバート政変から始まる一連の出来事は彼の提案である。




 デニス・シュレメーテフ


 平民出身の高級士官。ラスキノ独立戦争では討伐軍5個師団を指揮する。階級は中将。能力は高いのだが、オゼルキを必死に防衛する独立派反乱軍の抵抗を受け積極攻勢を断念。持久戦に持ち込み、飢えたところで攻勢をかけようとしていた。だが、シレジア・オストマルク連合軍が増援を出したため作戦中止、帝都に帰還した。終戦後敗戦の責任を追及され1年間の減俸処分。

 637年のシレジア征伐においてバクーニン軍団に所属。総司令官ロコソフスキ元帥の激励に批判的な考えをしたが、口に出すことはなかった。




 ユーリ・サディリン


 貴族出身の高級士官。父親は伯爵。ラスキノ独立戦争に従軍し1個師団を率いる。当時の階級は少将。堅牢な防衛線を構築したラスキノに対して突撃を繰り返した無能。その結果4割の損害を出している。終戦後敗戦の責任を追及されたが、伯爵家であることを考慮されて4か月間の減俸処分で済んだ。

 637年のシレジア征伐においてロコソフスキ軍団に所属。1個師団を率いて王国軍相手に果敢に突撃を繰り返したが、王国軍の伏兵に側背を突かれ師団は全滅。サディリンもこの時戦死した。




 ウラジーミル・シロコフ


 貴族出身の高級士官で、636年時点の階級は少将。父親は男爵。サディリン少将よりは能力が高いが、年齢と爵位の問題からラスキノ攻略戦の指揮権を取られた。ただしその高い能力によってシロコフが指揮するラスキノ南部戦線の被害は、北部戦線のそれより小さかった模様。そのためか終戦後に敗戦の責任を追及されることはなかった。




 ニキタ・タラソフ


 ラスキノ独立戦争に従軍した士官。当時の階級は中佐。南西戦線で精鋭の剣兵隊を指揮して勇名を馳せるものの、落橋によって退路を断たれ反乱軍に降伏、捕虜となる。

 その後はラスキノ自由国に亡命、カリニノの行政官として働いている。




 メンコフ


 帝国軍少佐。第52師団第3工兵中隊隊長。サディリン少将から「架橋できるか」という問いに対して「難しい」と答えた。





 ヴァシーリー・ロマノフⅤ世


 イヴァンⅦ世の異母弟。27歳の時に事故で早逝。




 ドミトリー・ロマノフⅡ世


 ヴァシーリーⅤ世の息子、イヴァンⅦ世の甥。32際の時に病死。




 マリヤ


 イヴァンⅦ世の長女。故人。




 ルイーゼ


 イヴァンⅦ世の次女。子供を2人設けたが、いずれも女子。636年時点での年齢は42歳。




 アンナ


 イヴァンⅦ世の三女。未婚。レズ。




 アレクサンドラ


 イヴァンⅦ世の四女。結婚しているが子供はいない。636年時点での年齢は30歳。




 エレナ


 ルイーゼの長女。636年の時妊娠が発覚し、騒動となる。未婚。

 637年5月にヴィクトル・ロマノフⅡ世を出産する。




 マリナ


 ルイーゼの次女。未婚。




 セルゲイ・ロマノフの母 / ドミトリーⅡ世の正妃


 ザイフェルト公爵家の遠戚にあたるレーヴィ男爵家の娘。




 オルズベック・ロコソフスキ


 元帥にして帝国軍総司令官の地位にある将帥。レディゲル侯爵は「戦場外は勇猛だがいざ戦場に立つと途端に臆病になる男」と評している。事実、637年のシレジア征伐の最初の戦いであるザレシエ会戦において、よく言えば慎重、悪く言えば臆病な指揮を執り、見事全滅の憂き目にあっている。この時元帥も戦死したが、宮廷内で悲しむ者は居なかった。




 ゲンリフ・クリーク


 上級大将にして帝国軍軍令部総長の地位にある軍人。自称中立主義、他称日和見主義者の男だが、軍令部総長らしく戦略的な視野から戦場を見ることはできる。

 春戦争後、敗戦の責任を取って軍令部総長を辞任。




 ミリイ・バクーニン


 皇帝派の元帥。637年のシレジア征伐において副司令官に任命される。

 シレジア王国軍が戦力を集中させてロコソフスキ軍団を壊滅させたことを知ったバクーニンは、戦力の集中化を図って北に転進した。ロコソフスキ元帥戦死後、一時的な措置として帝国軍総司令官となる。




 ワレリー・ポポフ


 皇帝派の上級大将。637年の春戦争において総参謀長に任命される。ザレシエ会戦において、戦死したロコソフスキに代わって軍団を指揮したが、唯一発した命令は降伏勧告の受諾だった。自身は降伏勧告受諾後に自害。




 ジョレス・アーヴェン


 中将。ザレシエ会戦において王国軍に包囲され戦死した。




 ルイス・グロモイコ


 皇帝派の上級大将。自身の功績の宣伝と身の安全を守る事に関しては誰にも負けない人物。

 カレンネの森の戦いにおいて王国軍の降伏勧告をあっさり受諾したばかりか、ヤロスワフを攻撃中の帝国軍5個師団に対しても武装解除命令を出している。




 エルキ・ロパトニコフ


 中将。カレンネの森の戦いにおいて陽動部隊として1個師団を指揮した。指揮官としての能力は悪くはなかったが、王国軍近衛師団に背後を襲われて潰走した。その後ヤロスワフにおいてグロモイコの武装解除命令を受けて戦意を喪失、王国軍に降伏した。




 ヴァレンチン・キリエンコ


 大将。637年のシレジア征伐においてはシレジア北東部アテニ湖水地方方面軍団の司令官だった。だが、ウィグリ湖畔の戦い及びガドネ=ドルギエ会戦において王国軍に敗北している。

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