登場人物:シレジア王国
※順不同
フランツ・シレジア
大陸暦594年生まれ。シレジア王国第7代国王。凡君。親バカ。
宰相カロル大公とは仲が悪く、水面下で対立している。そのために人事に口出しをすることがある。
カロル・シレジア
フランツ・シレジアの弟として大陸暦596年に生まれる。636年時点の階位は大公。親東大陸帝国派の筆頭で、独自のパイプを持っている。エミリア王女の暗殺を謀ったこともある。
貴族学校を首席卒業し、剣の腕前も一流な文武両道。貴族学校在学時から公明正大な人物と評されている。王国宰相として転落寸前のシレジア王国をその政治手腕で支えている。ただし国王である兄とは、政治方針の違いから水面下で対立している模様。
イリア・ランドフスカ
大陸暦618年、内務尚書ランドフスキ男爵の次子長女として誕生。大陸暦636年時点での階級は中尉、軍務省魔術研究局所属。茶髪ポニーテールで快活な性格という、およそ研究者には見えない容姿をしている。バストサイズはユゼフ曰く伯爵レベル。
内務尚書の娘として、エミリア王女らを影から補佐している。
ヘンリク・ミハウ・ローゼンシュトック
大陸暦611年、ローゼンシュトック公爵家の嫡男として誕生。大陸暦637年時点での階級は少佐、国宰相府国家警務局王都警務師団所属。刑務所の看守然とした容姿によって、睨んだだけで犯罪者を気絶させることができそうな雰囲気を醸し出している。
プラヴォ・タルノフスキ伯爵
タルノフスキ家現当主。シレジア王国法務尚書。国王派の中核的人物。4人の息子がいる。
ランドフスキ男爵
内務尚書。タルノフスキ伯爵とは旧知の仲。国王派。
センプ・タルノフスキ
タルノフスキ伯爵家の四男。大陸暦631年、士官学校在学中に女子寮へ無断侵入を謀り退学処分となる。退学後も士官学校内で「勇敢にも女子寮に突撃し玉砕した英雄」として長く語り継がれたそうな。ハゲ。
ザモヴィーニ・タルノフスキ
タルノフスキ伯爵家の次男にしてシレジア王国軍士官。シレジア=カールスバート戦争では第3師団第33特設連隊第7歩兵小隊隊長として従軍、当時の階級は中尉。王女護衛の武勲により大尉に昇進。
その後も順調にエリートコースに乗り、636年時点の階級は中佐、637年時点には大佐に昇進し、ヨギヘス中将の幕僚として活躍している。
イダ・トカルスカ
エミリア王女の近侍。ロリコン。シレジア=カールスバート戦争時に王女を庇い戦死。
ジグムント・ラクス
シレジア王国軍の高級士官。636年時点での階級は大将。シレジア=カールスバート戦争では地形的不利の中、多数の犠牲を出したもののコバリを防衛し切った。ラスキノ独立戦争でも増援部隊を指揮。ただし戦闘と呼べるものは殆どなくシレジアに帰還した。
その後637年の春戦争においては、王国軍副司令官として参戦。オスモラ会戦やガトネ=ドルギエ会戦で友軍の被害を最小限に抑えつつ、東大陸帝国軍に出血を強いた。
マリアン・シュミット
636年時点での階級は准将。ラスキノ独立戦争ではタルタク砦司令官と第38独立混成旅団司令官を兼任した。オゼルキ会戦では6,800の兵力で東大陸帝国軍3個師団の攻勢を凌ぎ切った。終戦後少将に昇進。
637年の春戦争にも従軍。得意の防御戦闘によって、王国軍の作戦を成功に導いた中核的な人物。
ヤヌス・マエフスキ
ラスキノ独立戦争時に第38独立混成旅団第33歩兵小隊隊長として従軍、当時の階級は中尉。前線指揮官として、そしてラスキノ防衛司令官の副官として勇名を馳せるも、出番をユゼフら士官候補生に取られた。
637年時点での階級は大尉でクハルスキ軍団第58歩兵中隊隊長として637年のシレジア防衛戦に従軍。ウィグリ湖畔の戦いで、軍団長に非礼を承知で意見具申をし採用されている。
王都シロンスク貧民街の乞食の少女/ユリア・ジェリニスカ
ユゼフが王都貧民街で出会った少女。その後サラに拾われて名付けされる。
一度ユゼフに見捨てられているためユゼフのことが少し苦手だったが、マリノフスカ事件を契機に徐々に態度が軟化してきている模様。
ルーカス・スターンバック
在オストマルク帝国シレジア王国大使館駐在武官。階級は准将。中老の男性で白髪、体は筋肉質でガッシリしている。大公派。
レオ・ダムロッシュ
スターンバックの首席補佐官。階級は少佐。20代後半の黒髪オールバックのヤンキー。それなりにキレる人物。
モリス・ルービンシュタイン
637年時点でシレジア王国軍総合作戦本部長にして元帥の将軍。実質的な軍部のトップ。政治に興味がないが、軍人としての才能は確かである。
ハリー・ロジンスキ
ルービンシュタイン元帥の副官。階級は637年時点で中佐。
ポール・ドレシェル
637年時点で階級は大佐、近衛師団第3騎兵連隊の連隊長。儀礼と典礼を気にするあまり、部下に対する実戦形式の訓練を怠っていた。
春戦争において旗下の連隊が多大な武勲を立てたため、終戦後は准将に昇進している。
ダリウス・ミーゼル
637年時点での階級は中佐、近衛師団第3騎兵連隊副連隊長。春戦争において武勲を立て終戦後大佐に昇進、連隊長となる。
ジミー・キシール
シレジア王国軍総司令官にして元帥。637年の春戦争において自ら前線に立って帝国軍を迎撃した。分け隔てなく、偏見なく多くの人物から意見を聞く。
レオン・ウィロボルスキ大将
シレジア王国軍総参謀長。大公派の軍人だが、祖国防衛のためにエミリアの作戦に従う。
ルネ・コヴァルスキ
637年時点で近衛師団第3騎兵連隊第15小隊所属の曹長。サラの部下で馬の扱いに長ける。
デヴィッド・サピア
637年時点の階級は中将で、近衛師団の師団長。また伯爵家の当主でもある。
ヘルマン・ヨギヘス
29歳で中将にまで昇進した軍事的才幹溢れる宿将。適確で緻密だが時に大胆な命令を下す男として有名。友人のザモヴィーニ・タルノフスキを幕僚として迎えている。
アルトゥール・クハルスキ
637年時点での階級は中将で、春戦争では開戦当初タルタク砦を防衛していた。帝国軍に出血を強いていたものの、帝国軍が増援を出したため砦を放棄した。その際にも、帝国軍に強かに損害を与えている。
ロランダス・マズロニス
中佐。637年の春戦争においてはヨギヘス師団第9歩兵連隊を指揮していた。
レギエル北街道の遭遇戦において、帝国軍セルゲイ少将の罠にかかって多大な損害を被って敗走した。
ヴァルダス・パクサス
大尉。637年の春戦争においてシュミット師団第12歩兵中隊を指揮していた。
レギエル北街道の遭遇戦において帝国軍セルゲイ師団所属の歩兵隊と交戦、その後マズロニス連隊の指揮下に入った。だがマズロニスが罠にかかったため、あおりを受けてパクサス中隊も少なくない損害を被った。