Act.0 小さな喫茶店
はじめまして、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。更新速度は遅いと思いますので、気長にお待ちいただくと嬉しいです。
「え?休講?」
俺は唖然と休講の文字が躍る掲示板を見上げた。寝坊して朝食もとらずに遅刻寸前で駆け込んだ1コマの講義室の前にある掲示板の前で立ち、うそだろうと思う。
普段ならばラッキーと喜ぶことだが、俺にとってその講義は自身の出席率が悪く去年単位を取り損ねた学部生必修講義である。月曜1コマという1番出るのに気合がいる講義で、今年も欠席がかさんでいて、今日の講義の出席にかけていたとっても過言ではない。
やられたと思った。今日になっての突然の休講掲示なんて・・・。
さて2コマまでのぽっかり時間が空いてしまった、1度家に帰るべきか、それともどこかで朝食をとるべきか・・・そんなことを考えて家までの道をふらふらとがっかりしながら帰っているとふとある看板が目に付いた。
「Café」と書いてある看板の下に「Open」の文字。
それが俺のその小さな喫茶店との出会いだった。
からん、からん
ドアの内側についた古めかしい鐘がなる。
おそるおそる中を覗くと、ぷ~んと香るコーヒーの匂い。
小さな店だった、カウンター数席と、2人がけのテーブル席が4つ。
「いらっしゃいませ。」
カウンターの中にいた店員が俺に気がついて小さく笑って言う。俺のほかに客はいなかった。どこか懐かしさを感じる木でできたカウンター。店内は静かで落ち着いた雰囲気。
へぇ~こんな喫茶店がこんなところにあるなんて今まで気がつかなかったな。
俺は入り口に1番近いカウンター席に座った。
目の前に立てかけてあるノートサイズくらいのメニューをとった。ぱらりと開く。
「どうぞ。」
俺が席に着くと店員がお絞りとお冷を銀の丸いお盆に載せて、俺のところにやってきた。
メニューを見る前は高いかなと思ったが、そうでもない価格だったので、
「ホットコーヒーをひとつ。」
コーヒーを頼んだ。喫茶店となるとコーヒーはかなり高いものだが、ここの値段は350円。大学生でも飲める値段だ。
「かしこまりました。」
小さく頭を下げて、店員はカウンターの中に下がっていく。どうしてこの店に入ったかわからないが、今は眠気覚ましにコーヒーなんていいかもと思い始めていた。起きてすぐに大学に駆け込んだのでまだ頭が覚醒していない。休講になったことだし、少しのんびりする時間できていいかもなと思う。
時計を見ると次に講義が始まるまでまだ1時間以上あった。
カウンターの中からガリガリという音が聞こえてきた。へぇ、豆から挽いて淹れるコーヒーを出す店なのかと思う。350円の値段だとそこまでは期待してなかった。
思っていた以上にしっかりとした本格的なコーヒーを出す店なんだなと思う。お絞りと一緒に出されたお冷の中にも輪切りレモンが入っていて、なんだか気遣いを感じた。
店内には音楽も流れていない。とても静かだった。
あるのはコーヒーの匂いとコーヒーを淹れる音だけ。
無言が嫌じゃないと思った。こんな穏やかな気持ちは久しぶりに感じる。
窓から差し込む朝の光。この店にはその穏やかな光がとても似合っていた。
「お待たせしました。」
ことっと俺の目の前にコーヒーの入った少し厚めのカップが置かれた。いい匂いだった。
そして、もう1つ白いお皿にパイみたいなものが載ったものをその隣に置かれた。
え?と持ってきた店員を座ったままで見上げる。
「サービスです。今焼きたてなので、よかったらお食べください。」
パイみたいなものはまだ湯気が立っていた。
「いいんですか?」
「ええ。もちろん、御代は頂きませんよ。きのことジャガイモのクリームキッシュです。」
いいのかなと思いつつ、聞くと店員は小さく笑って頷いて、俺からはなれカウンターの中に戻った。何事もなかったかのようにカウンターの中で作業を始める彼を、俺は見てからカップを持ち上げコーヒーを一口飲んだ。
へぇ、おいしい。ブラックでも飲めるかもしれない。
いつもはブラックが苦手で、カフェオレばかり飲んでいる俺だったが、このコーヒーはおいしく感じた。そして、横のお皿に置かれたその、キッシュと言われたものをつまみ小さく齧った。
「・・・。」
店員が言ったとおり焼き立てなのだろう、熱々でおいしかった。なるほど生地はパイと同じみたいだから、パイみたいに甘くない、軽食みたいなものをキッシュというのだろう。
大変美味だから、ゆっくり味あうように食べた。ちょうど朝食を食べ損ねたのでよかった。食べ終わると結構お腹は満たされた。ジャガイモを使っているからだろうか、見た目よりボリュームがあった。
そして、コーヒーを飲む。うん、素敵な朝食の代わりになった。店に入るまではちょっと不安を感じていたが、今はなんだかとっても満たされた気分だった。また、来ようかなと感じるくらいよい気分だ。
ゆっくりとカップの中のコーヒーを開けた。ゆっくりと席を立った。ジーンズの後ろポッケットから財布を取り出し、カウンターの隅に置けれたレジの前に立つとグラスを拭いていた店員はすぐに気がつき寄ってきた。
お代を払おうと財布を開けると、
「御代は結構です。この喫茶店は始めてのお客様にはコーヒーを一杯無料でお出しするんです。またのご来店をお待ちしております。」
その言葉に驚いて店員を見ると彼は俺の顔を見て笑顔で礼を返した。おそらくお金を出しても受け取ってもらえないそんな雰囲気がすぐにわかった。俺は小さく笑って、
「また来ます、ご馳走様でした。」
と言って小さく会釈をして、入ってきたときと同じようにからん、からんと鐘を鳴らして、外に出た。
ちらりと腕時計を見ると店に入ってから1時間近く経っていた。随分ゆっくりしていたらしい。オレは小さく笑って、また絶対来ようと思い、講義を受けるために大学へ歩き出した。
静かな店内、コーヒーの匂い、こぽこぽとコーヒーを淹れる音。
素敵な店だと思った。
それからどのくらい経った頃だろう、おそらく2週間くらい経った頃だったと思う。俺は昼時にその店の前を再び通りかかった。寄っていくかと思う。今日これからの予定は何もなかった。
この前はよく見なかったが、おそらくフードのメニューもサンドイッチのような軽食程度はあるだろう。
からん、からん。
この前と同じようにドアの鐘がなる。
「いらっしゃいませ。」
昼時に関わらず、今日もオレのほかに客はいなかった。俺はこの前と同じ1番入り口に近いカウンター席に座った。すぐにこの前と同じ店員がお絞りとお冷を持ってきた。もしかしたら、この店にはこの店員しか働いていないのかもしれないと思う。
メニューを取った。小さく頭を下げて、店員がカウンターの中に戻っていく。
へぇ~、この前はよく見なかったけどこの店はフードが充実している。普通の食べ物屋並みにそこそこいろいろなメニューがあり、十分に昼食にできるものも多々あった。
その上値段を見るとほぼ500円以下、商売する気があるのかとちょっと店側にとっては余計なことを考えつつ、
「オムライスを1つとあと食後にコーヒーを。」
店にはオレしか客がいなかったから、店員を呼ばずにそのまま注文した。店員はすぐに気がつき、オレの方をみてかしこまりましたと一言言って、作業を始めた。
この前と同じように静かな店内、オレは鞄から読みかけの小説を取り出して、料理ができるのを待った。じゅーじゅーというこの前とは少し違う音とおいしそうな匂い。
料理が来るまでそんなに時間はかからなかった。
「お待たせしました。」
この前と同じようにゆっくりとことと音を出して、目の前に料理が置かれた。
白い大きなお皿にチキンライス、その上に置かれた柔らかそうなオムレツ、デミグラスソースがかかっていた。すごいなと思う。本格的な洋食屋さんのオムライスだ。
オムライスについているサラダとコーンスープをその皿の隣に置くと、スプーンとフォークをセットして、店員は静かに下がった。
パタンと小説を閉じて、テーブルの脇に置いた。
このセットで400円、本当に利益を考えていなさそうな価格設定である。オレは小さく笑って、スプーンを手に取った。オムレツの真ん中を割って、チキンライスにかぶせる。柔らかなオムレツは本当に洋食屋で見るものと同じである。あちらならば、少なくとも安くても800円くらいは御代を取るのではないだろうか。
スプーンですくったオムライス、ぱくりと口に入れた。うん、うまい。
期待以上だ、味まで本格的な洋食の味。
それでこの値段、破格過ぎる。
輪切りレモンの入ったお冷を飲む、レモンの酸味の利いたすっきりした水。
大満足。満点だな。
そうして、オレが本格的にオムライスを口に運び出したとき、からん、からんと音を鳴らして店の扉が開いた。入ってきたのは中年くらいの男、首にカメラをぶら下げている。デジカメじゃなく、おそらくフィルムのカメラ。写真屋が持っているような真っ黒でいかついやつ。僕がこの店で見た僕以外の初めての客である。
「いらっしゃいませ。」
その男はオレの後ろを通り過ぎて、カウンター席の奥から2番目に座った。
「ハヤシライスとコーヒー。」
男はメニューを見もせず、店員に告げる。店員は小さく頷いて、かしこまりましたと一言。常連さんだろうか・・?
ちらりと男を観察する、おそらく40過ぎたか過ぎないかくらいの年齢、あごには少しのびた髭。男はことりと大事そうにカメラを首からはずしカウンターの上に置いた。店員がカウンターをでて、男の下にお絞りとお冷を置くとお冷のグラスを持ち、ゆっくりと飲んだ。慣れたしぐさだった、やっぱり常連さんかな。やはり常連くらいいるだろう、俺が驚くくらいコーヒーのおいしい店だ。客がいないはずがない。
俺の頼んだオムライスにかかった時間よりも、男の頼んだハヤシライスは早く出てきた。そりゃそうだ、ハヤシライスの場合事前に作って、ご飯を盛ってかけるだけだ。ちらりと観察すると、はハヤシライスには白い線とパセリ、うわ、これも洋食屋と同じで、とてもおいしそうだ。
よほどお腹が空いていたのか、それともそれが男の食べ方なのかがつがつと口にハヤシライスを入れる。うまいんだろうなぁ。
男はオレがオムライスを食べ終わるのとほぼ同時にハヤシライスを食べ終わった。店員はわかっていたのか、すぐに食後のコーヒーを2人に運んだ。皿の下げられたカウンターの上のコーヒーの入ったカップ。この前と同じようにとてもよい匂いを漂わせていた。
ゆっくりとカップを持って口に運ぶと、やっぱりおいしい。ブラックでもオレ、コーヒーを飲めることを確認した思いだった。
ふぅとなんだか満足して、息を吐いた。いいなぁ、この店フードもおいしいし、ブラックでも飲めるコーヒー、そして大学生でも手が出せるこの破格の値段。
また、来ようと思う、絶対に。今度はおそらく常連であろう男が食べたハヤシライスにしようかな。見ていておいしそうだった。
ちらりと離れたカウンター席に座る男を見ると、なぜかカメラの手入れを始めていた。うん、やっぱりこの人ここの常連だろうな。ここでカメラの手入れをする行動そのものがなんだかなれたように感じた。
他にお客さんもいないし、オレもゆっくりしていこうと思う。閉じておいていた小説を再び手に取り読み始めた。おいしいコーヒーと小説、なんて贅沢でゆっくり落ち着ける時間なんだろう。
店員はそんな2人の行動を気にもしない様子で、洗い物をしたりグラスを拭いたり、本当に静かな店内だった。
からん、からん。再びドアの鐘が鳴る。
入ってきたのは若い女、おそらく20代。その女はカウンター席の真ん中、つまり男とオレの間に座った。
「いらっしゃいませ。」
と言い、店員が女の前にお冷とお絞りを置く。
「マスター、ここってパフェってなかったっけ?」
女は店員をマスターと呼び、開口一番そう問いかけた。
「そうですね、ないですね。」
そう聞かれた店員は、小さく苦笑してそう返す。
「私すっごく今パフェが食べたい気分なんだけど、どうかな?」
そう言われて、店員は小さく笑って、なれた口調でこう女に問いかけた。
「おいくらお出しになります?」
「そうね~、300円でどう?」
女は少し考えて、そう答えを出した。
なんだか駆け引きみたいな会話。女もカメラの男と同じでこの店の常連なんだろう。その会話を楽しんでいるような様子が声からわかった。
「300円。わかりました、300円ですね。かしこまりました。」
その値段に店員は頷き、女に小さく頭を下げてカウンターの中に戻った。女は嬉しそうに店員の行動を眺めていた。しばらくすると店員は10センチくらいのグラスをお盆に載せて、カウンターの中から出て、女の下に向かう。
ことりと女の前にそのグラスが置かれた。
「おお。いいじゃない、いいじゃない。小さいけどちゃんとパフェじゃないの。さすが、マスター!」
女は手を叩いて喜んだ。店員は小さく笑って頭を下げた。
「ふふ、あとホットコーヒーをくださいな。」
「ええ、すぐにお持ちいたします。」
やはり慣れたような会話だった。店員の言葉にも親しみが込められているように感じた。女の前に置かれたパフェは小さかったがポッキーも果物もそしてアイスも載ったパフェと呼ばれるものそのものだった。ふ~ん、常連になればある程度のわがままは聞いてくれるのだなと思う。
「ふふ、300円でパフェが食べれるなんて、ありがとうね。」
「いえいえ。」
もぐもぐ口に運びながら言う女に、マスターは笑顔で首を振る。このくらいどうってことないですよみたいな感じだった。素敵な雰囲気、和やかな会話。コーヒーの匂い。
やっぱりこの店は素敵な店なんだなとパフェを嬉しそうに食べる女を横目で見て、俺は思った。
からん、からん。ドアの鐘が鳴る。
あれからハヤシライスを食べにもう1度訪れて、今日はこれでこの店に来るのは4回目だった。回数を重ねるごとにこの店にはまっていく自分がわかった。この前食べたハヤシライスは思っていたように洋食屋と遜色のないおいしさだった。
前と同じ席に座る。今日はオレのほかにもお客がいて、店の奥のテーブル席に2人連れの高校生らしき女の子が話しに花を咲かせながら、ホットサンドを食べていた。時刻は2時過ぎ、昼食を食べ損ねてかなりオレはお腹が空いていた、どうしようかなとメニューを眺める。マスター(店員はこの店にはこの男しかいない、だからおそらくこの男が店の持ち主)が、いつもと同じようにお冷とお絞りをオレの前に置いた。その姿を見てちょっと考えて、声をかけた。
「あの・・」
「はい、なんでしょう?」
お絞りとお冷を置いて下がろうとしたマスターが俺のほうを振り向いた。うん、言ってみるだけ言ってみようか。
「えっと、オムライスを大盛りにしてもらうことって可能っすか?」
そう問いかけるとマスターは一瞬きょっとんとしたあと、にっこりと笑った。
「ええ、そうですね100円増しでどうでしょうか?」
「ほんとうですか?ありがとうございます、ではそれとコーヒーを1つ。」
オレはその言葉に頷いて、注文した。すごいぞ、わがままを聞いてもらえた。ちょっと嬉しい。オムライスは通常で400円だから100円増しでも500円。それにコーヒーをつけても、セット価格で150円増しなので650円。うわぁ、どう考えても安いな。
嬉しくてついつい頬が緩んだ。そして、お冷を一口飲んだあと俺はこの前と同じように鞄から小説を出して読み出す。この店のマスターは手際がいいからそんなに待たなくてオムライスは来るだろうが、この小説片手の待ち時間がオレはとても気に入っていた。
予想通りそんなに待たずにオムライスは届いた。おお、すごいボリューム。通常の1.5倍くらいの大きさ、ついでに良く見るとサラダも量が多かった。マスターに嬉しくて小さく会釈をして、僕は小説を閉じてその大きなオムライスを食べ始めた。うう、やっぱりうまい。
からん、からん。ドアの鐘が鳴り、新しいお客が入ってきた。
「いらっしゃいませ。」
穏やかなマスターの声。入ってきた男はオレから一席開かせて隣に座った。ちらりとオレの方を見ると、
「マスター、こいつと同じものちょうだい。ひいきはなしでな。」
「かしこまりました、100円増しですよ。」
「かまえへんよ。」
ちょっとなまった大阪弁。そうマスターと会話をすると俺のほうを見て、
「あんたが食べているのがおいしそうで目移りしてしまったわぁ。」
と笑って一言。
「はぁ。」
オレはなんて答えていいのかわからず、とりあえず気の抜けたような返事をした。しばらく経って男の下にオレと同じ大きさのオムライスが届いた。でも、なんだか違っていた。ついオレが男の下に届いたオムライスを見てしまうと、
「おれ、デミグラスソース苦手やねん、だからオレのはいつもトマトソース。」
からと人懐っこそうな笑顔で男はオレに視線に気がついて、教えてくれた。よくみればデミグラスソースの変わりに、角切りのトマトの入ったソースが男のオムライスの上かかっていた。
「へぇ、それもおいしそうですね。」
思わずそのオムライスを見て言ってしまった。違うソース、おいしそうだな。いつもということはこの男、常連さんなんだな。
「一口食うか?うまいで。」
「へ?」
「ほら、あ~ん。」
「・・・・。」
目の前に出されたスプーンの上のオムライス、人の手で食べるのは・・と思ったがあまりにもおいしそうなので、どうもと声をかけてぱくり。んん、うまい。
「うまいですね。」
ありがとうの意味を込めて、男に小さく頭を下げてそう返す。俺の言葉を聴くと男は破顔して、
「やろ?デミグラスのやつと違ってこっちは中身のご飯がピラフなんや。」
とまたまた嬉しそうに笑う。なんだか年上に見えるけど子供っぽい人なんだなって思う。
「へぇ~、手が込んでますね。」
「やろやろ?今度頼んでみぃ、デミグラスだけじゃ飽きるで。」
「はい。是非今度。あ、でもオレでも作ってくれるんですかね?」
通常のオムライスはデミグラスだ、トマトソースは常連のこの男への特別メニュー、おれが頼んでも作ってくれるかなぁ・・。
「作ってくれるって、な、マスター?」
「ええ、言われればおつくりしますよ。」
男はそう言ってカウンターの中にいるマスターに問いかけた。マスターは笑顔で答えて、頷いてくれた。
「じゃあ、今度お願いしますね。」
わぁ、裏メニューが今度は食べれるんだ、なんだか嬉しいな。嬉しい気持ちになって、自分のオムライスを口に運ぶ。うん、これもうまいけど、トマトソースのやつもうまかった、次が楽しみだ。
「あんた、大学生?」
「はい。」
いつの間にか男はオレの隣の席に移動していた。俺と話しながら食事をするつもりらしい。でも嫌な気分じゃなくて、なんだか嬉しい気がした。
「ふ~ん、俺、園田篤弘ってゆうねん、あんたは?」
「あ、小林寛人です。園田さんは、社会人ですか?」
そう問いかけるとちょっと園田さんはすねたような顔をした。
「篤弘ってよんでねぇ~な、そんな他人みたいな呼び方嫌や。一緒にオムライス食ってる仲やないか。」
どんな理屈だ・・・。でも、なんだか園田さんの人柄を表しているみたいで心地よかった。俺は思わずくすりと笑って、言い直した。
「じゃあ、遠慮なく篤弘さんは、社会人の方?」
「そうや、家で仕事してて、近くに住んでるからようここくんねん。あんたは始めてみたけど来るの何度目や?」
俺が篤弘さんと呼ぶと満足気に笑って、そう話してくれた。へぇ~、自宅でしている仕事何している人なんだろうな。
「4回目ですよ。始めてきたときにマスターにコーヒーとキッシュをご馳走になったんです。どっちもうまくてそれから時々来ているんです。」
「キッシュ?俺食ったことねえなぁ、ええなぁ。マスター、俺にも今度食わてぇな。」
驚いたように言って、いつの間にやら男の前で話を俺たちの話を聞きながら、グラスを拭いていたマスターにねだるように言う。
「篤弘さんがこられる時間は基本ないですよ、キッシュは私の朝ごはんメニューの1つですから。」
メニューにないのは知っていたが、そうかあれはマスターの朝食だったんだ。偶然、朝入ってよかったぁと思う。
「えぇ~、俺が早起きが苦手なことしっとるやろ、ええやん、今度つくってぇな。」
篤弘さんは粘った、マスターはその姿を見て苦笑して、
「仕方ないですね、一回だけですよ。いつがよろしいですか?」
作ってくれるらしい。優しいのかサービス精神があるのか。
「そうやなぁ、あんた次いつこれる?一緒に食おう。」
マスターの言葉に考えている顔をしたあと、俺にそう聞いてきた。
「俺もいいんですか?え~と、俺は・・・来週の火曜なら。」
俺は少し今後の予定を頭に浮かべて考えた後、そう答えた。ちなみに今日は金曜である。火曜なら3コマが開いているのでゆっくり食べることができる。
「おう、火曜な。ええ?マスター」
「わかりました、火曜のお昼に準備しておきますよ。」
にっこりとわらって承諾してくれた。おお、棚から牡丹餅でまたマスターのキッシュが食べれるらしい。俺も朝はなかなか来れないから嬉しい限りである。
そうしている間にオムライスを完食した俺に、マスターはコーヒーと小さなグラスに入ったものを持ってきてくれた。
「特別メニュー限定のデザートです、よかったらどうぞ。」
「うわ、ありがとうございます。」
よく見るとそれはちいさいけれどティラミスだった。へぇ~すごいな、これももしかしてマスターが作ったのか。
口に含むとほろにがな味、でも濃厚な甘さ。うまい。
「実はマスターはデザートが1番得意なんよ。うまいやろ?」
となりで同じものを食べていた篤弘さんが俺の耳元で小さく囁き、そう教えてくれた。
やっぱりマスターの作ったものらしい。市販品にしては小さすぎるし、繊細すぎると思ったんだ。
しかし、マスターって何でも作れるんだなって思ってしまった。
おいしそうに食べる俺たちを後ろから見ていたのだろう、テーブル席の女子高生がマスターを呼んで、私達も食べたいと言った。
「すいませんが、あれは特別メニューなんです、タダでは出すことができませんので、おいくらお出だししますか?」
丁寧に謝って、マスターは2人の高校生のそれに値段をつけろと言った。
「え~と、そうだなぁ。120円。だめですか?」
2人でお財布の中身を相談して決めたのだろう、悪くない値段だった。
「では、120円で。少々おまちくださいね、今お出ししますから。」
頷いたマスターに2人は喜んだ。交渉は成立したらしい。その後、2人はおいしそうにティラミスを食べ、お代わりしたコーヒーを飲んで、レジにたった。
そして、以前俺が始めてきたときに聞いたセリフをマスターは2人の高校生に言った。
「当店は始めてのお客様にはコーヒーを無料で一杯提供しています。ですから、御代は150円を引いた370円でかまいません。」
驚いたように初めてのときの俺と同じようにマスターを見た、女子高生2人だったがではお言葉に甘えてとコーヒー代を引いた370円を払った。
「またのお越しをおまちしております。」
店を出て行く2人に彼はそう声をかけて、頭を下げた。高校生はまた来ますねと言って満足気に店を出て行った。
「これでまた客が増えるなぁ。昼、食べるときに席座れなくなったらどないしよ。」
そんなマスターの行動を見て、篤弘さんは笑って言う。顔と言葉があってないっす、篤弘さん。
「いえいえ、うちの店は一見さんがほとんどですからそれはないですよ。」
お二人の方が例外なんですよと言いたげな言葉を笑顔でマスターは言って、店はいつもの静かな店内に戻った。
小さくCaféと書かれた看板、それがその店を探す手がかり。ちょっと見つけにくい本当にちいさな喫茶店。
でもそこはおいしいコーヒーとおいしい料理、そしてマスター手作りの自慢のデザートを安く提供している。
俺はそんな店の常連になった。
俺はその小さな喫茶店が大好きだ。
誤字・脱字は見逃していただけたら幸いです。