好きと言えるまで
「好きだ」
ようやく自覚した思いを初めて口に出した。
だが恋人の顔は自分のその言葉に顔を歪めた。
――今更だんて言わないでくれ。
祈るような気持ちで彼女の言葉を待った。
自分には付き合って3年になる彼女がいる。
だがそれは本命を彼女にしていてつまみぐいはしている。
それぐらい男なら当たり前だろう。
寄ってくる女がいなければ何もしないが、蜘蛛の巣にかかる蝶のように女たちは自分に寄り付く。
自分を客観的に見てみれば分かるが、優秀な頭脳にそれなりに整った顔で長身と条件が揃っていれば、女性が寄って来ないわけがない。
容姿やスタイルが特に突出していない彼女となぜ付き合っているのかと言えば、都合が良いからに他ならない。
「好きです」
「じゃあ付き合おうか」
ちょうどその頃、親しい関係の女性もいなかった。
浮気相手が自分と付き合いたいときたら「彼女がいるから」と断ればいい。
そういう点で役立つだろう。
顔を上気させて自分を見つめるその目が気に入った。
何より自分をコケにした昔の女にその目が似ていたのが決定打だった。
――この女を泣かせてみたい。
自分だけを真剣に見つめるその瞳を絶望に染めてみたくなった。
にこやかに微笑む内心でそんなどす黒い欲望がわき上がってきた気持ちに流されるがままに軽い気持ちで関係を持つことに決めた。
それから付き合って半年の間に何度もデートを直前に反故にした。
「仕事なんだ。悪いな」
「……体壊さないようにね。気をつけて」
少しずつ飽きてきた彼女との電話を早々に切った。
――相変わらず鈍い女だ。
浮気を疑わず自分を見つめるその目は「好き」と言った半年前と変わらない。
いっそ自分の行動を暴露して反応を見てみようか。
自分でもなぜこんなにひどい男なのかとたまに考える。
家庭環境が悪かったわけでもないのに、なぜなのか。
最初に付き合った女が自分を傷つけた過去がある。
「好きだ」
「やぁだ。くだらない。あたしたちは遊びの関係じゃない。いちいちそんなこと言わないでよ。うっとおしい」
純粋だった自分の告白を一蹴した最初の女。
あれから素直に異性の告白を聞けなくなったのは事実だが、あの過去があるから今までそれなりに楽しめてきたとも言える。
――世の中にはいくらでも遊べる女がいるんだから、遊んで何が悪い?
そんな風に投げやりに思いつつ今日も彼女を放って別の女と遊ぶ。
「……今日は一緒にいてくれるんでしょう?」
「ああ。今日は予定がないから平気だよ」
甘えた女の声が絡みついてくる。
女は地味な彼女とは正反対の可愛らしいタイプだった。
一人でよく飲みに行くバーで知り合った女だった。
自分が可愛いというのを鼻にかけているのがおかしい。
だが簡単に体を開いてくれるから自分としては好ましかった。
そのときだった。
「……電話?」
女が自分に尋ねた。
ポケットから携帯電話を取り出して着信記録を確認した。
――なんだ、彼女か。さっきデートはナシにしたんだからいちいち出なくてもいいか。
「……ああ、大したことない用事だから後でかけなおすよ」
すぐに電源を切ったポケットにしまう。
にこやかに女に微笑みながら考えるのは彼女のことだった。
最初の女に雰囲気が少しだけ似ている彼女。
だがそれ以外は全く似ていなかった。
最近は一緒にいると苦痛を感じるようになってきた。
なぜなら彼女があまりにも綺麗だから。
自分みたいに冷たい男の何がいいのか分からない。
献身的に尽くしてくれるし、自分を大事にしてくれるのが一緒にいると伝わる。
最初に思ったように傷つけたい気持ちは多少あるが、自分みたいな男に見切りをつけて欲しいという気持ちの方が勝ってきている。
だから一緒にいると、他の女の存在を匂わせる。
「お友達?」
彼女が首を傾げて問うが、そこに女の存在に気付いた様子はない。
「……いや。仕事関係だよ」
「そうなの」
それ以上追求しようとしない彼女に呆れるよりも罪悪感があった。
なぜそこまで自分を信頼できるのだろう?
会えばデートらしいことよりもすぐに部屋に連れ込んでしまう。
クリスマスは仕事と言ったのを鵜呑みにしてたようだが、遊びの女と過ごした。
――早く気付いて俺を捨ててくれ。これ以上お前を傷付ける前に。
「早くホテルに行きましょう」
「……」
自分の腕に腕を絡みつけている女を一瞥する。
こんな女が自分には似合いだ。
そんな思いで腕を組んだまま目的地に行こうとした。
「……っ!」
最初は見間違いかと思った。
でも間違いなく離れた場所にいるのは自分の彼女だった。
――見られた!
少し前には彼女に全てを知らせて終わりにしようと考えてたクセに、いざこうして自分の愚かしさを間近で見られるとその気持ちはなくなった。
修羅場にせずに彼女はふらふらとその場を退場した。
焦る気持ちで一杯だった。
女とはすぐに別れた。
「別れるって言われたらどうする?」
心は今すぐ彼女を追うようにと忠告しているが、体は自分の部屋から動かない。
彼女にどう言おうか?
一晩中悶々として彼女への言い訳を考え続けた。
だがその言い訳は結局自分の口からは出ることはなかった。
――別れる気はないのか?
あれから彼女はあの日のことに触れることは一切なかった。
話題に出ないことで安心して自分からはそのことを言おうとは思わなかった。
まだ彼女の側にいたかった。
どうしてそう思うのかは考えなかった。
さっさとそうしていれば良かったものを彼女に甘えて日々を過ごした。
しばらく経つと彼女が自分の好みを徹底的に調べてそれらしい雰囲気作りをしたり、元々部屋にも呼ばれていたために自分の家の掃除や料理なんかもしてくれるようになった。
最初の内は他の女の痕跡も残っていたから、彼女を一晩中部屋にいさせずにすぐに帰した。
だがようやく彼女も自分の部屋にいるのが慣れてきて、他の女の痕跡もなくなった頃に部屋の合鍵もを手渡した。
「……いいの?」
おっかなびっくりした顔で自分を不安そうに見る彼女に気付かないフリをしてにこやかに笑って、鍵を握らせた。
「もちろん! 最近は俺も仕事で忙しいし、外出デートが厳しいんだ。ここでならのんびりできるからいない日も来てかまわないよ」
鍵を渡してからは他の女とは一切関係は持たなかった。
何度かあからさまに誘いをかけられたが、今は彼女に疑いを持たれたくなかったし、何より他の女が欲しい気持ちが全くなかった。
そのことが意味する気持ちには蓋を閉め続けた。
「どうして言わないんだ」
彼女の来ていない部屋は広くわびしい。
頻繁に来る割には彼女の物は増えない。
「お泊りセットを毎回持ち込むのは面倒だろう」
いい加減自分の部屋にパジャマくらい置いて欲しくて口にしたのに、相手にしてくれなかった。
いろいろプレゼントを渡そうとしたが、受け取ってもくれない。
――俺が好きじゃないのか?
彼女は自分に「好き」と言わなくなった。
最初は気にもとめなかった。
浮気がバレたのもあったから素直に言えないんだと考えた。
だが時間が経過しても変わらない。
焦る気持ちが増していった。
――どうすれば言ってくれるんだ?
付き合って2年目に浮気をほのめかす行動をした。
他の女には依然として興味がなくなって実際は浮気などしていなかったが。
それでも彼女は自分を責めず母親のようにかいがいしかった。
恋人としてどう彼女と向き合えば良いのか、焦りだけが生まれて体調を崩した。
「……仕事は体が健康だからこそするものよ。しっかり休んで元気になってね」
ダウンした自分をこまめに面倒を看てくれる彼女を見て、自分の今までの行いを猛省した。
――彼女を傷つけちゃいけない。こんなに想ってくれているのに、試すような真似をするのは駄目だ。
彼女ときちんと付き合おうと思った瞬間だった。
一緒にいれるときは彼女のことを知るように努めた。
何が好きでどんな食べ物が苦手か。
付き合いたてのカップルのようにぎこちないながらも付き合いを深めていったと思っていた。
――今度こそ別れるつもりなのか?
最近彼女がやけに忙しいようだった。
部屋で会うと隈ができていたりするから心配して理由を尋ねても「身内でちょっとね」とはぐらかす。
付き合ってだいぶ経つが、家族の話題は彼女からはなかなか出ない。
いくら訊ねても要領を得ないために諦めた。
その代わり自分の家族については話した。
家族の話題を出すことで彼女のことをいかに真剣に考えているのかを伝えているつもりだった。
「明日が最後かな」
何も言わない彼女に焦れて自分で彼女の状況を調べた。
彼女には身内は祖母しかいなかった。
そして現在かなり容態が悪くなって今の会社を退社して田舎に戻ることを知った。
――俺の気持ちは届いてなかったのか?
口には出していなかったが、精一杯自分なりに彼女への気持ちを現してきた。
それが伝わっていなかったのかと思うと憂鬱になる。
明日彼女は部屋に来る予定だ。
「……はあっ。自業自得とはいえ辛いな」
その夜は一睡もできなかった。
翌日になっていつもと同じように彼女は部屋を訪れた。
「……来たんだ」
「うん、こんにちは」
彼女は部屋に入ったが、いつも通りにキッチンに向かわずに居間のソファに座った。
やっぱり最後なのかと思い一瞬立ち止まったものの、すぐに彼女の横に座る。
何も知らない振りをして彼女に尋ねる。
「どうした? 何かあったのか?」
「今日はお別れを言いに来たの」
それから自分が付き合い当初から彼女を裏切っていたことを知り、復讐しようといろいろしてきたことを話してくれた。
「……どうしてわざわざ教えるんだ?」
「反省してもらいたかったから」
「は?」
「私が気付いてるのが分かってからは浮気なのか何なのか知らないけど他の人の存在隠そうともしなかったよね。あれがどんなに相手を馬鹿にしているか分かる?」
「それは……」
「だからこれは最後のお願い。もう私みたいな思いを次の相手にはさせないで欲しいの」
「……本気で別れるのか?」
「うん。引越しも決まってるし遠距離恋愛なんて無理だしね」
「引越しって? だから最近土日は会えなかったのか」
知っていたがあえて聞いた。
彼女は疑いもせずに説明してくれる。
「ああ、えっと祖母と一緒に暮らすことにしたの。幸い退職金もあるし両親の遺産もあるから当分は働かずにすむだろうしね」
彼女が話していく間に自分の顔がどんどん険しくなっていくのが分かるが直す余裕はない。
「……という訳でもうすぐ引越しするからこれ以上修羅場になったりはしないから安心してね」
「俺はお前が好きなんだ」
「……」
「好きだ」
本当は最初の頃から彼女が気になっていた。
でもまた「好き」と言って一蹴されたら?
彼女がそんな言葉を言う人ではないのが分かっていても勇気がなかった。
「ありがとう。あなたがそう口にするのがどんなに難しかったかは想像つく。でも私たちはこれで終わりにすべきだよ」
「どうして?」
「……本気で知りたいの? 恨み事なんて言いたくなかったけど、もう我慢できない。私のどこが好きなの? 家事をやってくれるから? あなたの都合に合うようになったから?」
「違うっ!」
「どうしてそう断言できるの? あなたがどうして私と付き合ったのか分からないけど、好意なんてなかったじゃない。病気のときに優しく看病したから?」
「そうじゃない。信じられないかもしれないけど最初から惹かれていた。でなければ付き合ったりしない!」
「言われても私は頷けないよ。だって私はあなたの交友関係や仕事内容は知ってる。でもあなたは? 私の友人やどういう趣味があるのかなんて知ってるの?」
「そんなの関係ないっ!」
「その言葉でどれだけ私たちの価値観が違うのか分かるよ」
彼女は思わずという感じで溜息を吐いた。
堂々巡りもいい加減にうんざりといった心境が伝わる。
「……もうこれ以上話しても無理だと思う。それじゃあ元気で」
「チャンスをくれ!」
――終わりになんてしたくない!
彼女がソファから立ち上がって出て行こうとしたら、反射的に彼女の腕を引いて口が動いた。
「俺にお前を知る機会をもう一度だけくれ! 単なる浮気男で終わりたくない! お前とこれからも一緒にいたいんだ」
あれからできる範囲で彼女に自分の気持ちを分かってもらうべく動いた。
休みには隔週ごとに田舎に会いに来て、彼女の祖母の面倒も一緒に看た。
それが特に苦になることもなかった。
今まで以上に一緒にいるのが自然となった。
別れは保留という形で友人のような付き合いが1年続いた。
彼女が自分を信じきれていないのが分かり、辛くても必死に側に居続けた。
彼女の祖母は最後の頃には彼女の存在を忘れたようだが穏やかな最期だった。
「何したらいいんだろ? おばあちゃん、いなくなっちゃった。どうしよう?」
「……俺がやるから心配するな」
「でも……」
「大丈夫だから」
放心状態の彼女に代わって全ての手配を自分がした。
自分もこの種のことは初めてだったが、家族を頼って相談したり近所の方にもいろいろ尋ねてどうにか終えられた。
そのことが彼女の中で自分の位置が変わったのか。
彼女から八つ当たりを何度もされた。
それに応じてこちらからもくだらない喧嘩を売ったりしてお互いの知らなかった一面を知るようになった。
一緒にいて彼女が自分を信頼してくれているのがようやく実感した。
――今度こそ受け取ってくれるだろうか?
どきどきしながら彼女の目を見つめてしっかりと口にする。
「好きだ」
自分の言葉を今度は、彼女は笑顔で受け止めてくれた。
――ありがとう。こんな俺を受け入れてくれて。
今度こそ自分たちが長い付き合いになるのを予感して、彼女と一緒になって笑いあった。
男性側は考えてないと言いつつも勢いで書いちゃいました。感想お待ちしています。