三途
ちよちよちよ…
「ん……ここは…?」
いつの間にか眠っていたようだ。
とりあえず身を起こし、その場に立ち上がる。
「…花畑?……俺は何でこんな所に?」
周囲を見渡せば、それはそれは見事な花畑が広がっていた。
陽気は春というにふさわしく、花には時折蝶が止まっていっていた。
上空には小鳥が舞い、とても楽しげに見える。
「綺麗な所だな……まるでこの世じゃないような………」
その自分の言葉で気付く。
ここはあの世とこの世の境目だ…と。
そういえば、俺はここに来るまではたしかに黒髪灰眼の男と戦っていた。
俺には力が乏しいため、その男の攻撃を受け流す以外に回避方法は無く、必死に受け流していた。
しかし、そのうちの不意打ちの一撃を受け流しきることができず、胴体に切り傷を負い、その衝撃に体が耐え切れずに飛んでいってしまった。
記憶はそこで途切れている。
「もしかして、俺死んだのかな?」
声に出しては見たものの、どうにも実感が薄い。
せっかく来たんだから、なかなか来れる場所でもないし堪能しよう。
気分はすっかり観光者である。
あの世とこの世の境目なら、やはりあれだろうと周囲を見渡しながら歩いていると、大きな川が見えてきた。
「これが三途の川か……思ってたより綺麗な川だな」
澄んだ水を眺めながらそう呟くと、ふと遠くから声が聞こえた。
「こっちにおいで…」
「一緒にあそぼぉ…」
「楽しいよ…こっちにおいで…」
川向こうの、死者の声だった。
「なるほどなぁ…やっぱりこういうのもあるのか」
そんな風に呟きながら眺めていると、その中から一際大きな声が聞こえてきた。
「こっちに来るな!お前は未だ死ぬべきじゃない…!」
この台詞で俺の父親を連想した人、あなたは勘違いが多いと言われませんか?
……いや、そうでもないか。
ちなみに、この台詞を言っているのは昔俺が恵んでやった元神父な浮浪者だ。
神父から転落した彼は言葉遣いは粗野になったが神を信じる心は忘れなかった。
そして結局罪を犯すことなく彼は餓死した。神父の鏡だね。
ちなみに俺はその心意気に少し感嘆し、その日彫刻で稼いだ金を彼に一切合切譲り渡した。
彼はその時泣いていた。
「大丈夫大丈夫。俺まだそっちに行く気無いから」
とりあえずそう返す。
心配してくれるのは嬉しいし、そこまで心配もかけたくないから。
たとえ死者でも。
「コッチニ来ナヨォ…」
「一緒ニ遊ボォ…?ネェ…?」
「楽シイヨ…ダカラ来ナヨ…?」
「逃ガサナイ…引キズリ込ム…」
「殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺……」
その代わりに、怨嗟の声が増えたが。
心なしか声が変になり、直接的表現が増えたのは気のせいではないだろう。
「まぁ、またいつか来るよ。じゃあね」
そう言って背を向け、俺は花畑に引き返して行った。
「待ッテ…逃ガサナイ」
「引キズリ込ンデヤル……」
「殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺……」
そんな言葉(?)を背に、俺は何が彼らをあそこまで駆り立てるのかに少々疑問に感じつつ、現実にどうやって帰るかに頭を悩ませる。
自身の頬を抓るが、当然ながら痛みは感じない。
花畑に身を横たえて睡眠を試みるが、眠気が訪れることは無く、結局諦めることにした。
それからも片っ端から思いついた方法を試しては失敗することを繰り返し、とうとうネタが尽きてしまった。
いっそのこと、ここに住み着いてしまおうか。
そんなことを考えていると、ポン、と肩に手が置かれる。
気配全然無かったなと思いながら顔を上げると、そこには黒いローブを着た男が立っていた。
「誰?」
「…私ですか?私は船頭のノアと申します。」
「船頭?……あぁ、あの川の」
「そのとおりです」
「ふーん。それにしては、君の服装って死神みたいだね」
「……?死神、とは?」
「生き物を死に誘ったり生き物の命を刈り取って魂を持っていく神様のこと。」
「ふむ……なるほど。私は神ではありませんが、その仕事だけでいえば私は死神でしょう。」
「ふーん。そうなんだ」
死神ってこの川の船頭のことなんだな……と小さく呟くと、即座に訂正が入る。
彼曰く、船頭の仕事は交代制で、必ずしも同じ人物がしているとは限らないらしい。
蛇足として何故か教えてくれたが、彼らが刈り取る生き物の命はそれぞれ決まっているんだそうだ。
犬担当や猫担当から、果ては百足担当やら藻担当までその数に応じて様々な担当がいるらしい。
「ちなみに君は?」
「私は人間担当です。」
「大変そうだね」
「はい、かなり大変です。ですが、この職について話術も上達しました」
「よかったね。次は詐欺師としてやっていけるよ」
「………ありがとう、ございます?」
「普通に聞けば褒め言葉に聞こえないだろうし、別にお礼はいいよ」
「…そうですか」
「………………」
「………………」
沈黙が訪れ……
「遊ンデクレナイノォ……?アグァ…苦シイ…呪ッテヤル……呪ッテヤル呪ッテヤル呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪……」
「引キズリ込ム…引キズリ込ム…引キズリ込ム…引キズリ込ンデヤル……」
「殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺……」
…なかった。背後のひたすらに重い怨嗟の声で、沈黙にはなりえなかった。
いい加減に少しうるさいなと思い始めたとき、死神(仮)は口を開いた。
「うるさいですね……沈めてきましょうか」
どうやら同じことを考えていたようだ。
「お好きにどうぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……ちょっと潰しに行ってきます」
そう言うが早いか、彼はどこかで見たような物凄くいい笑顔を浮かべて川の向こう岸まで一気に飛んでいった。
俺はその間、川に背を向けて花畑を眺めることにした。
遥か遠くから聞こえてくる悲鳴は気のせいだと思いたい。
花畑はよく見ると、咲いている場所も季節もバラバラとまったく統一感が無かった。
おまけに、そこには俺の前いた世界の花も混じっていた。
……絶対におかしい。
怪訝に思いながら、適当に花を一つ摘む。
沢山の白い花弁が特徴のその花は、確かシロツメクサといったか。
前世ではよく道端で見つけた雑草の一種だ。
たしかマメ科の多年草で、俗にクローバーとも言う夏に花を咲かせる植物だ。
……絶対におかしい。
まず、季節がこの春といえるこの空間にそぐわない。
溜息を吐き、シロツメクサをそっと花畑の中にもど……
ゾ ク リ
殺気を感じ、一瞬で覚醒する。
周囲には人がいた。
覚醒したとき反射で身を起こしてしまったようだが、その動作を逆に利用してベッドから滑る様に降りる。
そして戸を開け、廊下から逃亡を図るが……
「おい、待て。逃げるな」
…あっさりと捕まえられる。
どうやら偶然廊下にいたらしい。
ナイフで切断しようとするが、どうやら取り上げられたようでナイフは無く、結局手を押さえられて部屋に強制連行された。
ちなみにその男は赤髪緑眼だった。ナイフを持っていたら惨劇再びとなっていたことだろう。
部屋にはやはり、あの黒髪灰眼の男がいた。