お前が好きな子は、俺の幼馴染。告白の仲介をしたが、やっぱり渡せねえ!
「いってきまーす」
母にそう声をかけ、玄関の扉を開ける。
すると、段差になっているコンクリートの下、家の敷地内の玄関ポーチに女の子が立っていた。
「徹、おっそーい」
両手で鞄を持っているポニーテールの女の子は坂本奏。
家が隣同士の幼馴染で、同じ高校に通っているクラスメイトだ。そのため、二人で登校するのが日課になっている。
何も知らない人が俺達を見たら、兄妹だと思うだろう。
奏は背が低く、玄関の段差から見下ろしているとはいえ、中学生と間違われてもおかしくないほどだ。
「腹の調子が悪くてな。別に俺を待たなくてもいいんだぞ」
「あー、ひどい。そんなこと言うんだ……」
ぷーと頬を膨らまして怒る奏。
その頭をポンと叩いて横を通り過ぎると、二人並んで家の敷地を出る。
何気ない会話を交わしていると、校舎が近づいてきた。近くの歩道には同じ高校の生徒であふれかえっている。
高校生とはいえ、思春期。異性と歩いているだけで、周囲からは好奇の視線を浴びてしまう。
まぁ、入学して一年目となれば、さすがに慣れてきてなんとも思わないけどな。
二人並んで校門をくぐると、同じクラスの女子が近づいてきた。
「ひゅ~、今日も仲がよろしいことで」
「美和ちゃん、からかわないでよ……」
「それで、それで? 二人はいつ付き合うの?」
「だから、そんなんじゃないって~」
成瀬美和。
俺のクラスメイトで奏の親友。双子かと思うぐらいに二人共、同じ背丈をしている。
奏が美和と冗談を言い合っているのを横目にすると、まるで俺が保護者になった錯覚をしてしまう。
それにしても、女子って恋バナとか好きだよな。
誰が誰と付き合っているとかいないとか、男の俺からしたら興味もないけど。
「徹君はどう思ってるの? 奏のこと好きじゃないの?」
そんな無関心を貫いていると、美和の興味が俺に移った。
上目遣いで俺を見る美和の瞳に、キラキラとした星の幻覚を見る。
「好きも何も俺と奏は、ただの幼馴染だ」
「へ~、それを聞いて奏は?」
何が楽しいのか、にやけながら奏に問う。
「……」
それに対して、なぜか奏から無言の圧力を感じるが、気のせいだろう。
昇降口に着くと、内履きに履き替える。
これ以上、美和の好奇心に付き合うつもりもなかった俺は、二人を置いて足早に教室へと向かう。
こんな何気ない日常が好きだった。だから、すました顔をしながらも、こんな日々が永遠に続けばいいと、そう思っていた。
◇◇◇
学校というものは、何かが起きそうでいて、何も起きない。そんな場所だ。
ドラマやアニメを見ていると、とても煌びやかに見えるものだが、実際の生活は灰色だ。女の子が空から降ってくることもなければ、超能力に目覚めることもない。ただ、授業を受けて、家に帰るを繰り返すだけの退屈な日々。
俺も中学生のころは、高校という場所に幻想を抱いていた口だからよく分かる。
なんて現実逃避をしていたら、あっという間に昼休みになった。
エアコンの無い七月の教室はサウナにいるように蒸し暑い。全開に開けた窓から入ってくる自然の冷房に吹かれながら一人弁当をつついていると、クラスメイトの男に話しかけられた。
「なぁ、徹。実は奏に告白しようと思うんだけど、僕の代わりに彼女を呼び出してくれないか?」
「ぶっ!」
「うわっ、汚い奴だな……」
開口一番、盛大な不意打ちを食らった俺は口から米粒を吐き出した。
こいつは藤田敦。茶髪に染めた髪の毛、男にしては長い髪、左の耳にはピアス。背は高く、スラッとした細身の体形に中性的な顔をした男。高校に通いながらモデルの活動もしているような垢ぬけたやつ。
とまぁ、脳内でプロファイリングをしてみたが、なぜ俺にそんなことを頼むのか皆目見当がつかない。
「なんで俺が? 直接言えばいいじゃないか」
なので眉をひそめ、ぶっきらぼうに返事をした。
自分で言うのもなんだが、俺は平凡な見た目をした、どこにでもいるような男だ。藤田に勝っているところなんて、テストの点数ぐらいしか思い浮かばない。
普通、告白するために女子への伝言役を求めるなら、断られないように女受けのする奴に頼むほうが常道だろ。ようは、立場が逆になるべきで、この状況はアベコベなのだ。
「だってお前、奏と仲がいいだろ? いつも一緒に登下校しているみたいだし」
藤田が奏に気があったのは意外だった。
そんな話、今まで聞いたことがなかったからだ。
……なんか、ムカムカするからブラフをうってやろう。
「はぁ……それなら、俺らが付き合っているとは思わなかったのか?」
「……確かに、よく夫婦だとか周りの奴らにからかわれていたけど……マジで恋人同士なのか?」
「いや、嘘だけど……」
とっさに吐いた嘘。
俺自身なんでこんなことを言ったのか分からない。
だけど、急に恥ずかしくなってすぐに撤回した。
何やってんだ……。
今の自分が無性に情けなかった。
「それを聞けて安心だ。彼氏持ちだったら諦めるところだったよ」
「……藤田ぐらいモテるなら、そんなの気にしないと思っていたけど」
「異性のトラブルってシャレにならないからな。特に彼氏がいながら僕に近づいてくる女なんて何考えてるか分からないからね」
ピアスを揺らしながら、遠い目をする藤田。
モテる男はそれなりの苦労があるようだ。
まっ、俺には一生縁のない話だけどな。知りたいとも思わないけどな。ちっともな!
というか、その言い方だとまるで奏から接触されたみたいに聞こえるぞ。
「はぁ~、分かったよ。俺から話しとく」
断る理由が見当たらなかった俺はそう返事をした。
奏がどんな男から告白されようが、関係ないことだしな。
「そう言ってもらえて助かるよ」
気が抜けたように、藤田は長い息を吐いた。
こいつは何をそんなに緊張しているんだ?
女子への耐性がないってわけじゃないだろうし、奏はアイドルでもない普通の女の子だ。
「お前ほど女慣れしているやつが、女子に告白するってだけでそんな緊張するものなのか?」
「実は何度かアプローチしていたんだが、最近では露骨に避けられてるっていうかさ……だから、僕の名前は伏せてな」
「は?」
寝耳に水だった。
奏からはそんな話、聞いたことがない。
しかも、避けられるほど嫌がっているのなら俺に相談ぐらいしてもいいはずだ。
「お前……奏に何したんだよ……」
「おいおい、そんな怖い目するなよ。別に徹の彼女じゃないんだろ?」
さっきまでの態度とは違い、薄情な視線で薄ら笑う藤田に嫌な予感がした。
奏は俺にとって、家族みたいなものだ。
恋人同士じゃなくても、あいつが困っているならほっとけねえ。
「ああ、そうだ。だけどな、幼馴染が嫌な目にあっているのなら、俺は黙っちゃいねえぞ」
「落ち着けって、お前……もしかして、本当は奏のこと好きなのか?」
「……別にそんなんじゃねえよ」
「ならほっとけよ。勝手に彼氏面して怒るとか、まるでストーカーみたいだぞ」
その言葉にバケツの水を浴びたように、すっと心が冷えていった。
ストーカー。
小学生の時、大学生に後をつけられていた奏を助けたことがある。
そいつと、今の俺が同じ……?
「落ち着いたか? なら、約束通り、呼び出してくれよ。場所は別館二階の奥にある映像室で頼んだよ」
「……ああ」
映像室。授業でしか使われない、滅多に人が通らない教室だ。
背の高い木々に日の光が遮られた薄暗い場所。
コトッ。
藤田が背を向けた瞬間、藤田のズボンからスルッとスマートフォンが落ちた。
そして、コトンと俺の机の上に画面側を上にして倒れる。
「あっ、落ちたぞ……っ」
俺はそう声をかけて、凍り付いた。
見てはいけないものを見たような罪悪感が襲ってくる。
なぜなら、スマートフォンの画面に映っていたのは、うちの制服を着た女子生徒の盗撮写真だったからだ。
階段下からスカートの中を覗くように撮られたローアングルの写真。
女子生徒の白いパンツに右足の太ももの付け根にあるホクロまで鮮明に見えていた。
「えっ、あっ! やべ……」
「お前……盗撮なんかしてんのかよ……ん?」
待て。盗撮されていた女子生徒の後ろ姿に見覚えがあるぞ。
咄嗟に、俺は藤田のスマートフォンを手に取る。
「ちょっ! 徹! 返せよっ」
普段は冷静な藤田が焦った声を出すから余計に嫌な予感がして、写真を凝視した。
俺と同じ二年生を表す緑の内履き。二十センチ丈の白い靴下。膝上十センチの紺色のスカート。青色のヘアゴムで結ばれたポニーテールの女子生徒。
それは、奏の特徴と一致していた。
……ホクロの位置までは知らないが、藤田の必死の態度から推測はできる。
「お前……これ、奏じゃないだろうな?」
「か、奏? ち、違うに決まってるだろ?」
「じゃあ、この写真は何組の女子だ?」
「は、は? 知るかよ。あっ! もしかして、お前、この写真欲しいのか?」
「そんなわけねえだろ! お前と一緒にするな」
藤田が盗撮魔だったなんてガッカリだ。
人は見かけによらないな……。
そんなことを考えていると、不意をつかれ、手に持っていたスマートフォンを藤田にかっさわれてしまった。
「あっ、おい!」
「人のスマホを勝手に見やがって……それじゃ、奏を誘う約束忘れんなよ」
そう言って、藤田は自分の席に戻っていった。
あの写真……背丈までは判断できなかったが、奏の後ろ姿に似ていた。
もし、本当に奏を盗撮していたのなら許せないが、断定はまだできない。
「はぁ……」
そんな疑惑の相手の告白を手伝えっていうのかよ。
気分が重いな。
だが、奏に太ももを見せてくれなんて言えるわけもないし……。
ガラッと教室の扉が開く音に振り向くと、奏が美和と一緒に教室へ入ってきた。
黒髪を後ろで結びポニーテールにした、垂れ目の奏がこちらに向かって歩いてくる。
隣の美和と比べて白い肌に整った顔立ち。教室ではあまり目立たず、口数も少ない。美人というよりは、可愛い系だろう。
……冷静に考えてみると、奏は男にモテる要素満載だ。
俺が気づいていなかっただけで、もしかしたら藤田以外に他の男からもアタックされているのかもしれない。
「……? 私の顔に何か付いてる?」
俺の前まで来た奏は足を止めてベタなセリフを口にした。
ポニーテールを結んでいるのは青のヘアゴム。視線を下に向けると、膝上十センチのスカートに、靴下の長さまで、盗撮写真と一緒だった。
ゴクリ。
「……?」
「あっ、悪い……大丈夫、何も付いてないよ」
「もうっ! それならなんで、じーっと私の顔なんて見てたの?」
奏は怒った顔をして、腕を組み俺を睨む。
そうだ、たまたま似ていただけ。
藤田も奏を撮ったものじゃないと言っていたじゃないか。
「いや、なんでもないよ。あのさ、話したいことがあるんだけど」
「話したいこと?」
「あー……放課後予定ある?」
「ないけど……」
「それなら、ふ……」
藤田から頼まれたと言いかけたところで、言葉をつぐんだ。
そういえば、内緒なんだっけ?
「あー……いや、実はその、放課後二人で話したい事があるから別館の映像室に来てくれない?」
「は、話したいこと……? それに、放課後に映像室って……告白スポット……」
俺の言葉にぶつぶつと小さく独り言を呟く奏。
あー、そういえば、映像室って薄暗くて人気も少ないから、告白スポットとして人気な場所だっけ。
まぁ、実際に告白されるわけだから、勘違いされても問題ないだろう……。
チクリとした小さな胸の痛みは無視をする。
これが、娘を持つ父親の気持ちなんだろうな。
「もし、急ぎの用事とか遊びの約束でもしていたら断っても……」
「ううんっ! 行くよ! 絶対行くから!」
俺が言い切る前に、かぶせるように勢いよく返事が返ってきた。
てっきり、嫌な顔でもされるかと思ったけど、そういえば奏って占いとか好きだったな。
去年の夏はパワースポット巡りとか一緒に行ったっけか。懐かしいな。
「それなら、放課後よろしくな」
「う、うん……っ。えと、えへへ。なんか恥ずかしいね」
「お、おう、そうだな?」
顔を赤くした奏は、上目遣いで照れ笑いを浮かべている。
こいつ、俺が告白すると思ってるな?
「あの……えと……じゃぁ、また……ね」
チャイムの音が鳴り、何度もこちらを振り替えりながら席に向かう奏に罪悪感を感じて、俺は視線を逸らしてしまう。
自分の席に戻った奏は美和に話しかけられて、何やら盛り上がっていた。
うわー、あの様子だと美和まで勘違いしているな。
まぁ、朝から俺と奏の関係を気にしていた彼女からしたら、無理もないか。
でも実際に告白するのは藤田だからな。後で勘違いしたことを笑ってやろう。
あ、いや。もし仮に藤田の告白が成功したら……奏とは一緒に帰れないのか……。
「いや、ありえないだろ。奏が俺以外の男子と話してる姿とか見たことないし」
教師が入ってきて授業が始まるが、内容はまるで頭に入ってこず、いつもより時計の針が進むのが遅く感じた。
◇◇◇
放課後のチャイムが鳴る。
奏と視線が合ったと思ったらすぐに逸らされて、彼女は慌てて教室を出ていった。それを確認した藤田も不敵な笑みを浮かべながら俺に手を振った後、彼女を追いかけていく。
「これで任務完了っと」
ぐいっと両手を伸ばしてから、椅子の背に寄りかかり、だらんと両腕を重力に預ける。
さて、どこで時間を潰すかな。
こっそり後をついていって告白の様子を窺うのは、まるで奏のことを意識しているみたいで恥ずかしいし。
ふいに窓の外を見ると、曇りがかっており今にも雨が降り出しそうだった。
「あれ、徹君? まだ行かないの?」
突然、女子に話しかけられて振り向くと、美和が不思議そうな顔をして立っていた。
「俺がどこに行くっていうのさ」
「だって、奏に告白するんでしょ?」
両手を腰に当てている彼女は俺を急かすようだった。
やはり、俺が告白すると勘違いしているな。まぁもう二人はいないし、第三者になら言ってもいいだろ。
「いや、実は俺じゃなくて藤田なんだ。告白するの」
「え? どういうこと?」
「ほら、俺って奏と幼馴染だろ? だから、藤田に頼まれて仲介役になってあげたんだよ」
「ふ~ん……徹君はそれでいいの?」
「それでって?」
「だから、奏が敦君と付き合ってもいいの?」
いや、ありえないだろ。
だって奏は男子に興味なさげだし、テレビで男性芸能人の話になっても「面白いね」とは言っても、「かっこいいよね」とは言わないほど異性に無関心だからな。
「ないない。あいつは色恋沙汰には無縁の女だよ」
「そんなことないわよ? 今日だって昼に敦君の話題が出たとき、カッコいいよねって話してたんだから」
あの奏が男を褒めた?
イケメン俳優にすら興味を持たないあいつが?
「は? そんな話、俺は聞いたことないぞ」
「そりゃそうでしょ。好きな人の前で別の男の話は普通しないでしょ」
「好きな人の前? なんのことだ」
「徹君って結構鈍感なんだね。敦君に取られてちゃっても知らないぞ~」
たとえ、その話が本当だと仮定するなら猶更、心配する必要がどこにある。
俺のことが好きなのだとしたら、藤田の告白を受けいれるわけがない。
「いや、それなら断るだろ普通」
「ぷぷぷ、初心だね。女の子はカッコいい男子に弱いのよ。仮に別に思い人がいたとしても、強く求められたら拒絶できないものなの。しかも、あの敦君よ? 背が高くて、イケメンでモデルもやってる。徹君は勉強面でしか勝っているところがないじゃない」
確かに、客観的に見れば藤田はイケメンだ。奏が惚れてもおかしくは……ない。
だが、致命的な問題点が一つある。
「そもそも前提として、俺が奏を恋人にしたいと思っていなければ関係ないことだろ」
「あれ、違ったの? まーそれなら、なおのこと奏に断る理由はないわね」
「ああ……」
「あっ、でも一つ心配ごとが……」
急に何かを思い出したように顎に手を当てて話し出す。
「最近、彼に後をつけられている気がするって奏が言ってたのよね」
「それは、本当か!」
「わっ、急に大きな声を出さないでよ」
「わ、悪い」
藤田のスマートフォンに保存されていたあの盗撮写真……。
この話が本当なら、奏の可能性が高い。
「まー、でも、それも敦君が奏のことを好きって分かった今なら納得だけどね。今日のプールの授業でそのことを不安がっていたから安心したよ」
それにしても藤田にストーカー疑惑があったとはな……。
ん? プールの授業って水着に着替えるときは裸になるよな?
「なぁ、奏の右足の太ももに黒子ってついてたか?」
「んー? 何? 徹君ってそういうフェチなの?」
美和は甘ったるい声でそう言って、猫のように目を細めて笑う。
……くっ、耐えろ。
「そ、そうだ。頼む、教えてくれ! 必要な情報なんだ」
「そんなに必死な顔されると普通に引くんだけど……」
それでも、俺の必死の訴えに美和はため息をついた。
「はぁ……ええ、そうよ。確か太ももの付け根、お尻の下ぐらいに黒子あったわ。これで満足?」
「パ、パンツの色は!?」
「はあ? 教えるわけないじゃない、この変態!」
くそっ、そこは秘密か。
しょうがない、だが必要な情報は揃った。
藤田のスマートフォンに映っていた写真。十中八九、奏の盗撮写真だ。
「十分だっ! ありがとう!」
「ちょ、ちょっと、そんな慌ててどこ行くのよ~」
ガチャンと椅子を倒しながら、俺は廊下に出た。
◇◇◇
映像室は本館に隣接して建てられている別館にあり、渡り廊下で繋がっている。
部活や、帰宅する生徒にぶつかりながらも、走る足を止めない。
……ふざけるな。
俺は自分の迂闊さにイラついていた。
奏への盗撮疑惑だけでも、告白の仲介を断るのに十分だったじゃねえか。
そうすれば、藤田と二人きりになんてさせることはなかった。
奏の様子を見れば分かる。
俺が告白スポットである映像室に誘ったときの顔。
まるで誕生日プレゼントでももらったように、すっげえ嬉しそうだった。
「こらっ、廊下を走るんじゃない!」
厳つい顔をした男教師の声も無視して、別館の階段を駆け上がる。
二階の奥にある教室を視界に捉えた。
映像室に繋がる廊下には他の生徒や教師の姿はなく、がらんとしている。
『好きな子の前で別の男子の話はしない』
『徹君って結構鈍感なんだね』
美和に言われた言葉が浮かんでくる。
ああ、俺は鈍感すぎる大馬鹿野郎だ。
相手の気持ちにも、自分の気持ちにも気づかなかった。いや、気づかないふりをしていた。
幼馴染だから、家が隣同士だから、学校が同じだから、クラスが一緒だから。
それだけの理由で、毎日一緒に登下校なんてするわけないだろ!
「奏!」
映像室のドアを勢いよく開けると、藤田が奏に向かって頭を下げ、右手を差し出しているところだった。
「えっ? 徹?」
「なんで、お前が来るんだよ!」
驚く奏と、怒り顔の藤田が同時に俺を見た。
「藤田! お前にだけは奏を渡せねえ」
俺の剣幕にビクンと体を震わせる奏を無視して言葉を重ねた。
「こっそり奏を盗撮していた、お前にだけはな!」
「……っ」
驚いた奏が藤田から距離を取る。
それでいい、そんな奴は奏に相応しくない。
「徹ぅ、好き勝手言いやがって、証拠でもあんのかぁ?」
指を鳴らしながら、ゆっくりと近づいてくる藤田。
モデルをやっているだけあって、しっかり体を鍛えているのが分かる。
……だからどうした、ここで引く男なら奏の隣にいる資格なんてねえ。
俺はむしろ一歩前に出ると、お互いの拳が届く距離で睨み合う。
「美和から聞いた。奏の右足の太ももに黒子があるってな」
「っ!」
その言葉に、奏はスカートを勢いよく押さえた。
……悪いな。あとでいくらでも愚痴を聞いてやる。
「はっ、そうかよ。……人の告白を邪魔してただで済むとか思ってんじゃねえだろうな」
「それはこっちのセリフだ。お前が女子生徒を盗撮しているって学校に通報してもいいんだぞ」
俺の言葉に藤田が怯んだ一瞬の隙をつき、顔面をぶん殴る。
すると、ボゴンという鈍い音と共に、勢いよく床に倒れた。
「今すぐスマートフォンから奏の写真を消せ。そして、二度と奏に近づくな。そうすれば、学校に通報しないでやるよ」
「てめぇ……」
怒りに目を真っ赤にする藤田だが、通報という言葉にびびったのか渋々、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「ほら、これでいいんだろ。って、おいっ!」
俺は藤田の手からスマートフォンを奪い取る。
中身を見てみると、そこには、奏以外にも女子生徒の盗撮写真が複数並んでいた。
「呆れた奴だな」
俺の言葉に、藤田は反論できずに顔を下げる。
そして、黒子を目印に奏らしき女子生徒の写真はすべて削除した。
盗撮写真を全部消してもいいが、相手に逃げ道を与えることも重要だ。自暴自棄になったこいつが何をするか分からないからな。
別に正義の味方を気取るつもりはない。俺はただ、奏を守れればそれでいい。
「ほらよ」
藤田のスマートフォンを無造作に投げ返す。
「もう一度言う。二度と奏に近寄るな。このことは俺だけじゃなく美和も知っている。これ以上、他人に知られると本業のモデルにも影響がでるだろ?」
モデルをやっている藤田には、この言葉が一番効くだろう。
美和も賢い女子だ。やたらめったら言いふらしたりはしないだろうから、あとで情報共有しておこう。
「わ、悪かったよ! それだけは勘弁してくれ!」
先ほどまでの威勢はどこへやら。
藤田は真っ青な顔で、俺と奏に土下座すると、逃げるように映像室から出ていった。
ふぅ……。
暴力沙汰になることも覚悟していたが、そこまで馬鹿じゃなくて助かった。
「ねぇ……」
静かになった教室に怒気を含んだ低い声が響き、ギクリとした。
奏を騙したのは俺だ。
一発ぶん殴られても文句は言えない。
「な、なんだ?」
「私、徹から告白されると思ってた」
「お、おう」
「でも、やってきたのは藤田君。何が起きたのか察して、むかついた。それと同時に、悲しかった。……だって、徹は私のこと眼中になかったってことだよね?」
瞳に涙を溢れさせ、涙声になる奏をこれ以上見たくなくて、両手で彼女を抱きしめた。
「ごめん。俺って鈍感だからさ。今の今まで自分の感情にまったく気が付いていなかった」
腕の中で離れようともがく彼女を二度と放さないように強く抱きしめた。
「好きだ。ずっと、好きだった。誰にも渡したくない」
「徹……」
抵抗をやめた奏は潤む瞳で俺を見上げる。
「私も……徹が好き」
そして、ゆっくりと顔を近づけて、ぎこちなく唇を重ね合わせた。
生まれたての小鹿のように震わせた唇をくっつけては離してを繰り返す。
「奏……!」
机の一つに、彼女を押し倒した時だった。
ガラッっと映像室の扉が勢いよく開かれる。
「お前ら! こんなところで何をしている! 不純異性交遊は退学だぞ!」
「あちゃ~」
そこにいたのは、厳つい顔の男教師と美和だった。
奏が驚いて体を起こすとお互いが抱き着き合う格好になる。
「……ほほう。注意されてもなお、見せつけるとは度胸がある……」
「せ、先生! この二人は私の友達なんです! ここは、見逃してください!」
「美和、お前が言ったんだぞ。男女のカップルが怪しい雰囲気で映像室に入っていったと」
「そ、それは……か、勘違いでした!」
「ったく、今日のところは見逃してやる。幸い、やる前だったみたいだからな」
そう言って、男教師は頭をさすりながら「最近の若い者は」と呟きながら出ていった。
「た、助かった……」
「う、うん……」
緊張が解けて力が抜けた奏は俺に体を預けるように倒れこむ。
「そ、れ、で。いつの間に体を重ね合う仲になったの? 徹君の話じゃ敦君から告白されていたはずだけど」
「えっ、きゃっ!」
奏から胸を押された俺はたたらを踏み、後ろに下がる。
彼女の耳はチューリップのように赤く染まっていた。
か、可愛い。
こいつってこんなに可愛いかったのか。
「私の邪魔が入らなかったら、二人はどこまでやってたのかな? うふふふ」
「うー……何もやんないよぉ」
美和には感謝しないとな。
彼女にはやし立てられなかったら、俺は自分の気持ちに気づくことすらできなかった。それに、藤田が暴走した時には、美和が連れてきた、厳つい男教師が助けに入ってくれただろうからな。
「美和。ありがとな」
「ん? あー、奏の太ももにある黒子を教えたことなら気にしないでいいよ?」
「いや、そのことじゃ……」
「でも、ごめんね。奏のパンツの色は私の口からは言えないわ」
可愛らしく小首を曲げてテヘッと笑う美和。
……前言撤回。
この女、やっぱろくでもねえ。
「……別にそれぐらい、聞いてくれたら教えたのに……」
「……え?」
「あらあら、まぁまぁ」
小さな声で呟く奏に放心する俺と、口元を押さえる美和。
幼馴染相手に初めて性を意識した瞬間だった。
◇◇◇
美和と別れた俺と奏は昇降口を出ると、二人手を繋いで歩いていた。
「ねぇ、この後、徹の家に寄っていってもいい?」
「いいけど、何するんだ? 宿題でも一緒にやるか?」
「違うよぉ、徹のママに報告するの」
「何を?」
「徹君を私にくださいって」
「それは普通、男が言うセリフだろ。勝手に取るんじゃねえよ」
「えへへ、そうだねっ」
何が嬉しいのか、奏はヒマワリのような笑顔で俺の右腕に左腕を絡めてきた。
そうして、俺たちは二人一緒に校門をくぐる。
幼馴染としてではなく、恋人として。




