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たった400mの人生

掲載日:2026/04/10

400m個人メドレー。それは400mをバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の順に4種目を100mずつ泳ぐ、競泳で最も過酷な種目の一つだ。


全中、インハイ、JOにも出場したことのなかった俺の学生のうちの最初で最後の全国大会。インカレという大舞台に今、立っている。俺はこのレースを最後に、現役を引退する。水泳に打ち込んだ日々、それは全て今日のため。


自分の泳ぐレーンの前で待機。初めて大会に出場したときのことを思い出す。あれからもう10年。この10年間、俺が追い求めてきたものとは一体、ーーー。


ホイッスルが鳴る。飛び込み台に立ち、プールを見渡す。もうこの50mプールを見るのも最後だろう。深呼吸をする。そしてスタートを待つ。人生最後の400mのレースが今スタートする。


Take your marks…


スタートの合図が鳴り響く。思い切りスタート台を蹴る。水に飛び込んだ瞬間、雑音が全て消えた別世界へ身をおいた。初めて飛び込みをしたときは怖くて仕方がなかった。初めて大会に出たときは緊張のあまり過呼吸になりかけたんだよな。50mを折り返す。ドルフィンキックを4回打ってテンポを崩さないように残りの距離の泳ぐ。65mを過ぎた辺りからだんだんと身体が重くなっていく。腕が重たい。本当の戦いはこれからだ。対戦相手はーーー。


100mのターンをする。次は背泳ぎ。4泳法で唯一、仰向けで泳ぐ泳法だ。プールの天井。これまで何度見た景色だろうか。俺は背泳ぎが昔から苦手だった。コーチや仲間によく教えてもらったよな。高校の頃、一緒に4個メを泳いでたあいつは大学からオープンウォーターに転向したんだよな。高1の頃から色んな種目で競い合っていた。そんな勝ち負けに笑い合って共に練習を重ねたあの日々。そんなあいつは今、どうしているのだろうか。5mのフラッグが目に入る。そろそろ150mのターンだ。1、2、3、と。いつも通りの3かきでピッタリとターンが決まる。苦手なバックも後半戦だ。高校1年の頃、俺は専門種目を平泳ぎから個人メドレーに転向した。182cmある俺の体のパワーを最大限に生かせるバタフライ、かつて専門だった平泳ぎ、そこそこ得意な自由形、それに加えて中距離を得意とする後半追い上げ型の俺にピッタリの種目だった。ーーーそして今の自分はここにいる。


200mのターンをする。バケットターンも習得するには時間がかかったよな。残り半分。次は得意の平泳ぎだ。かつての俺の専門種目。中学3年の頃、俺の住んでいた田舎の県では競技人口が少なかった200m平泳ぎで関東大会に出場したのは記憶に新しい。初めて県から勝ち上がって関東に進出した。でも、関東の上の全国までが本当に遠かった。そして俺が大学4年になってついにインカレを決めたことを高校の頃のクラブのコーチに連絡したら泣いて喜んでくれたよな。正直、めっちゃ怖いコーチだった。練習もきつかった。そのコーチのことが怖くて、練習がきつくて選手コースをやめていったやつだっていた。でもコーチは決してただ怖いだけじゃなかった。いつも俺たち選手に向き合ってくれた。ベストが出たときはいつも祝福してくれ、ベストが出なかったときも一緒に次のレースの作戦会議をしてくれた。そんなコーチに俺は感謝している。


300mのターンをする。ラストを飾る自由形。長かった10年の水泳人生もついにエンディングだ。泣いても笑ってもこれで終わりなんだ。4個メのラストの自由形は本当にきつい。もう無理だ。限界だ。何度も思った。今もそう思いかけたとき、あのときの言葉がよみがえった。


「諦めんなよ!」


それは高校2年の頃の400mメドレーリレーのときだった。3泳のバタフライのエースが突然体調を崩して、補欠のチームメイトが代わりに泳ぐことになった。18歳未満のジュニアスイマーの全国大会、ジュニアオリンピック、通称JOの標準記録に届きそうだったが、エースが欠けたことにより、タイム的に厳しかった。補欠の3泳が顧問に「みんな個人のレースありますし、JO厳しそうなので棄権したいです。」と言った。するとコーチは俺たちに怒鳴った。


「馬鹿野郎!JO切れないから棄権?水泳舐めてんのかよ!JO切れようが切れまいが関係ねえ!やると決めたならやり切れよ!全力で戦って来いよ!泳ぐ前から諦めんなよ!」


泣きながら俺たちに向かって怒鳴ったコーチの言葉。今でも鮮明に覚えている。


たった400m。それに全てを賭けた人生だった。最初からこの種目が専門だったわけでもない。でも、水泳人生の起点からここまでのそれら全ては今日のため。このレースのため。この瞬間のため。


350mのターンをする。普段1回しか打てなかったドルフィンキックを今回は3回打ってやった。10m近くまで潜ってやった。今までのきつかった練習が走馬灯のように思い出される。何度も何度も逃げたいと思った。もう限界だと思った。それでも俺は泳ぎ続けた。俺は全力で泳いだ。全身が痺れるくらい。肺が張り裂けるくらいに。22年の人生で一番全力で。


「俺は、水泳が好きだ。」

10年間変わらなかった思い。

選手として泳ぎ続けた日々。それらは俺のすべて。


そして400mのゴールタッチ。俺の水泳人生に終止符が打たれる。

やり切った。それだけで十分だった。勝ち負けなんかどうでもいい。記録なんてどうだっていい。

これが10年間泳ぎ続けた答えだ。


たった400m。それが俺の人生だった。

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