成長
能登原の死から一ヶ月後。
昨日の雨から一転、空には雲一つない青空が広がっていた。
遠くで鳶が鳴いている。
そんな日に瀬戸内学園の正門に、ヨレたスーツ姿の痩せた男が姿を現した。
乱れた髪に無精ひげ。飄々とした笑みを浮かべながら、門の前に立つ生徒たちへ声をかけた。
「あのー 淡路学園はここで合ってるかい?」
しょぼくれた初老の男が老眼越しに小さな手帳を見ながらそう言った。額には少し汗が滲んでいる。
「はい 合ってますよ。 おじさんはウチの学校に何かご用ですか?」
聡明そうな男子学生が答えた。
「ああ いやいや おじさん ここで働らかしてもらうんだよ」
◆
職員室の引き戸が開き、しょぼくれた初老の男がひょっこり姿を現した。
「はいどうも、今日からこの淡路学園に赴任してきました葛城甚八と申します。ひとつよろしくお願いいたします。」
あっけにとられた職員たちは遅れてまばらな拍手を送った。
「誰?このおじさん・・・」
ひそひそと若い教師たちの声が聞こえる。
その時、ベテラン教師の一人から声がかかる
「葛城さん・・・あの葛城さんですか? 103事件の時、私も現場に居ました!」
「ああ あの時ね。もう25年も前だね。あなたも現場に居たのかい。あの事件は酷かった。大勢の仲間を死なせてしまった…… ま、という事は君も生き残ったクチかい?」
葛城はその教師にニヤリとした。
「私も親友を亡くしました。しかしまさか生きてるうちにあの伝説の葛城さんをお目にかかれるなんて……」
そのベテラン教師はこみ上げて来る物があったようで、ハンカチで目元を拭った。
「今度一杯やりましょうや」と葛城は指で猪口のジェスチャーを送った。
その時、職員室にまた誰かが入って来た。
「いやいやいや 来てらっしゃったんですね お電話頂ければお迎えに上がりましたものを。 あ、申し遅れました、私、臨時で校長を務めさせて頂いております、三雲と申します。」
「ああ あなたが三雲さん。葛城です。 よろしく。」
能登原の死後、学園はしばらくの間、教頭であった三雲の手で運営されていた。
物腰は柔らかく、教師や生徒にも親しげに振る舞う人物だった。
「今日から、我が学園の校長となるべくこの葛城さんが赴任される。職員のみなさんは後で各自挨拶しとくようにお願いします。」
三雲は職員室中に響く声でそう言った。何せ職員は100人以上いるのだから。
この学園では職員の入れ替えや移動は珍しくなかった。
国家公安委員会の任務があればそちらが優先されるからだ。
いきなり姿を消す事も珍しくなかった。
「三雲さん、大変な事件の後……臨時でよく頑張って頂いたようで。ご苦労様です。ところで……」
「なんでしょう?」
葛城はとぼけた笑みを浮かべたまま問いかける。
「先ほど、この学園の事を〝我が”とおっしゃった。 ここは国の施設。我らは国家に仕える身。学園は国民の血税で成り立っているが故に……その言い方は気を付けた方がよろしいね」
葛城はにこやかに三雲に言った。
「いやいや!お恥ずかしい。これは失礼致しました。以後気を付けます。」
その言葉に、三雲は顔を引きつらせながら額の汗をぬぐった。
数日後、三雲は忽然と学園から姿を消した。誰もその行方を知らない。
そして、その事を深く気にするものは居なかった。
ただ古参の教師たちは、その事を聞かされると一瞬空を仰ぎ、仕事に戻った。
葛城甚八が正式に校長に着任すると、学園の空気は一変した。
「自由時間を増やしなさい」
突然の方針転換に若手教師たちは反発した。
「これでは訓練が滞ります!」
「規律が崩壊します!」
だが古参教師は首を横に振った。
「従え。……彼は、本物だ」
また、建物の植樹の配置や、使用していない部屋の使い道、この学園に来るまでの道のレイアウトなど、葛城は脆弱な部分を改善する指示を的確に素早く行っていった。
葛城が赴任してから生徒たちには初めて“ゆとり”が与えられた。
戸惑いながらも、それぞれの時間を過ごす子供たちを、葛城は飄々と観察していた。
だがその眼差しは鋭く、ベンチに腰掛け、生徒たちに微笑みながら一人ひとりの奥底を見抜いているようだった。
ある日の訓練。
水月は木刀を握り、相手と間合いを取った。
未来視を使えば楽に勝てる。
水月は格闘の実技の時間はその能力で相手を圧倒していた。
けれど、ある日の葛城の言葉が胸をよぎる。
――久遠さん、能力に頼ってはだめだ。
なぜ自分の能力を知っているのか。だが、その言葉は核心を突いていた。
それから勝てない日が続いた。
それでも水月は額の汗をぬぐい、必死に竹刀を振り下ろした。
そして葛城はしばしば、他の生徒に勝てず落ち込む水月に声をかけた。
「未来を読まずとも、あなたは強い。自分の体で道を切り開きなさい」
しかし、ほどなくして、勝率は低いが勝てる試合が少しずつ増えていった。
◆
「校長先生には〝黒”が見えるん?」
「いいや 見えないさ。 でも気配は感じる。君が黒と呼ぶその何者かは、君自身の思念か、分身か。君と同じ気配を持っている。」
蓮は、葛城の提案で「黒」を使った実験を繰り返していた。
床を這わせ、斥候の訓練、幻惑の声を出させる。
だが葛城は首を振る。
「おそらく黒の本当の姿があるはずだ。それを引き出すんだ」
「そんな事言うても、どうすれば・・・」
そんなある日、蓮は高熱を出し、寝込んでしまった。
一時は意識不明となり、校内の集中治療室で2日過ごした。
3日目、蓮が目を覚ますと、何事も無かったように熱は引き、すぐにでも起き上がって
走り出したいくらいに回復していた。
その時、蓮のベットの横に、誰かが立っていた。
その瞬間、蓮は腰を抜かしそうになって、声も出せなかった。
そこに立っていたのは蓮だった。つまり自分が立っていたのだ。
「お、お前、誰や!?」蓮は恐る恐る聞いた。
「……」
「も もしかしてお前 黒か?」
もう一人の蓮はコクっと頷いた。
彼は本物そっくりに笑みを浮かべていた。
「な……なんやこれ……蓮が二人……!!」すっとんきょうな声を水月があげた。
丁度、葛城が姉の水月を伴って蓮の容態を見に入って来たら奇妙な光景に出くわしたからだ。
葛城は満足げに笑う。
「ははは! 面白い! 僕はこんな能力、初めて見た。やったじゃないか蓮君」
「二人にも見えてるんか……」
◆
数日後。体育館に全校生徒が集められた。
壇上に現れたのは、ひとりの女性。
「えー 彼女は日向真理子さん。この学園の卒業生です」
そう言って葛城は女性を生徒たちに紹介した。
「聞いたことある・・・」
「たしかOB名鑑に載ってたよね・・・」
「美人・・・」
その名にひそひそとざわめきが広がった。
彼女が来た理由
公式にはOB訪問。しかし裏の使命は二つ。
――能登原の死と生徒失踪事件の調査。
――そして、全員と対峙して非凡な人材を選抜すること。
「はい みんな、今から彼女と模擬試合をしてもらいます」
「ええ~!!」
皆口々に不平を口にした。
「はいはい、文句言わない! 授業の一環、貴重な経験!」
かくして模擬試合が始まった。
次々と生徒が挑むが、誰一人として三手もたなかった。
真理子は淡々と「次」とだけ告げ、生徒たちを観察していく。
腕に自信のある上級生がこの華奢な女性を舐めてかかり、一瞬で吹っ飛ばされた。
やがて水月の番が来た。
葛城の言葉を胸に、能力を封じて打ち込む。
息を切らしながら必死に挑む姿に、真理子の瞳が細められる。
真理子の動きは水月の竹刀が届く事は絶望的に無いと思わせる動きだった。
「だったら……!」――一瞬だけ未来視を使った。
その刹那、水月の木刀が頬をかすめた。
「っ!」
しかし次の瞬間、真理子の切っ先が水月の喉元に突きつけられていた。
真理子は眉ひとつ動かさず、「次」と言って背を向けた。
「どうなったん・・・?」水月は今起こった事が理解できず、混乱したまま一礼した。
数人の立ち合いが終わった後、蓮が呼ばれた。
「黒」は使わないと決めた。
もう一人の蓮出現後、黒は実体化し、簡単な攻撃なら蓮本体と同時攻撃できるまでになっていた。
しかし、蓮は葛城校長の言葉を思い出し、その意味を理解していた。
「自分の力で挑むんだ」
蓮は竹刀は使わず徒手空拳で挑む。
小柄な体で低く潜り込み、真理子の膝を狙う。
子供とは思えない鋭さに、真理子はわずかに足を引いた。
だがすぐに背後を取ってトンと背中に掌底を当てただけで蓮は吹っ飛ばされた。
真理子は「はい次」と告げた。
放課後の職員室。
夕陽が差し込む中、葛城と真理子が向き合った。
「生徒たち、どうだい?」
葛城が飄々と問う。
真理子は窓の外を見ながら静かに答えた。
「……何人か、気になる子がいましたが中でもあの姉弟。ただ、まだ芽が出ただけ。時間が必要ですね。2人は何か能力があるのでしょうが、よく抑えられていました。」
「だろう?」
葛城はニヤリとした。
「ええ。それと――三雲の件は処理済みです。やはりコンコードと繋がっていましたわ」
葛城は口元をほころばせる。
「仕事が早いね。君は…… ところで、例の組織の立ち上げの準備は順調かい?」
「まだまだです、こう政局が混迷してては、法案がまとまりませんね・・・」
そして真理子は静かに学園から姿を消した。
まるで初めから居なかったかのように。
葛城は西日の射しこむ校長室でカップラーメンをすすった。




