混迷
瀬戸内学園の日々は、相変わらず規則正しく、息苦しいほど整然としていた。
朝の号令、訓練、午後の座学、放課後の自習や雑務。
子供たちはそれを疑いもせず、淡々と受け入れて過ごしていた。
水月は相変わらず東子と一緒にいることが多かった。
教室の隅で未来の夢を語り合い、掃除の時間に並んで雑巾を絞り、夜はベッドの上で他愛ない噂話を交わす。
「ねえ水月、スマホ欲しいよね?」
「欲しいに決まってるやん。でも先生ら絶対持たせてくれへんやろ」
「SNSで一回だけでいいから『彼氏いるアピール』してみたい」
「うわ、めっちゃイタイやつやん!」
「みっちゃんは? なんて書くの?」
「……『今日もプリンうまい』かな」
そんなやり取りが、水月にとって何よりの心の支えだった。
一方の蓮は、大河とつるむ日々を続けていた。
塀を越えて夜の町へ抜け出し、叱られては高瀬に連れ戻される。
「お前ら、何回目やと思ってんねん!」
怒鳴る声にうつむきながらも、蓮の胸の奥には確かな温かさが残っていた。大河は面倒で乱暴で、けれど不思議と気が合った。
だがその裏で、静かに異変が進んでいた。
教師のひとり伊藤淳。物腰は柔らかく、爽やかな好青年。彼は生徒思いで人気があった。
ここ数日、補習と称して数人の子供を呼び出していた。
「国家は歪んでいる。本当に正しい秩序は、別のところにある」
そんな言葉を繰り返し、正規の授業にはない思想を刷り込んでいた。
彼の目に留まった生徒たち、とりわけ精神の脆そうな子供を物色し、彼らにさりげなく“贈り物”が与えられた。
ペンダント、ブレスレット、指輪。どれも何の変哲もない装飾品に見えた。
だがそれは――ネビュラの遺産の欠片を削って作られたもの。持つ者の心をわずかに揺さぶり、暗示を受け入れやすくする効果があった。
ある日、水月は東子の指に光る小さな指輪に気づいた。
「それ、どうしたん?」
「街に出たときに買ったの。いいでしょ?」
東子は笑顔で答えた。
水月は一瞬、首をかしげた。
(……一緒にいるとき、そんな時間あったかな?)
けれど深くは考えなかった。東子が嘘をつく理由なんて、あるはずがないと信じていたからだ。
一方の蓮も、大河の様子に違和感を覚えていた。
「なあ蓮。ここは牢屋みたいなもんや。外に出た方が楽しいに決まってる」
以前から大河は自由奔放だったが、最近はやけに外の世界を持ち上げ、学園を悪しざまに言うようになっていた。
まるで誰かに吹き込まれているかのように。
しかし、その日常はある朝、唐突に崩れ去った。
朝食の席に、東子の姿がなかった。
「風邪か?」
誰かが呟いたが、校長のミッシェル能登原は無表情のまま「休養だ」とだけ言った。
だが、翌日になっても戻らなかった。
しかも大河と、さらに数名の生徒、それに教師の伊藤淳までもが忽然と姿を消していたのだ。
「……なんで?」
水月は声を失い、蓮は信じられない思いで辺りを見渡した。
ざわつく教師たち。しかし校長のミシェル能登原は淡々と告げた。
「彼らは自ら望んで去った。特別なことではない」
教師たちも”上官”である能登原のいう事に異を唱える者はいなかった。
ここは特別な場所。治外法権であり、国の施設。
何が起こってもそれは国家行事なのだ。
しかし、子供たちは納得できなかった。
東子が――あの東子が、水月を残していくはずがない。
大河が――あの大河が、蓮に一言もなく消えるはずがない。
その日の夜、廊下の片隅で水月と蓮は言葉を交わした。
「……嘘や。絶対に何かあったんや」
水月の瞳には怒りと不安が入り混じっていた。
「東子は……そんな奴ちゃう」
蓮も同じ思いだった。
「大河もや。アイツ、バカやけど……勝手に行くような奴やない」
二人の胸に、答えの出ない疑問だけが渦を巻いていた。
やがて、子供たちの間に不穏な囁きが広がった。
「外の連中が……連れて行ったんや」
「コンコード……」
真偽はわからない。ただ一つ、学園の外の闇が確かに動いていることだけは、教師も生徒も直感していた。
その夜、布団の中で水月は泣きながら拳を握った。
東子が居なくなった寂しさと、残された自分の無力さに震えながら。
同じ頃、蓮は眠れぬまま天井を見つめていた。
大河がいなくなった部屋はやけに広く、静かだった。
「黒」すら、今夜は姿を現さなかった。
東子たちが忽然と姿を消した数日後。
学園の正門に数台のパトカーが停まり、警察官たちが降り立った。ざわめく生徒たちをよそに、彼らはまっすぐ校長室へ向かう。
ミシェル能登原校長――。
学園を支えてきたはずのその人物こそ、生徒を選んで補習へと誘い込み、洗脳教育を施す教師を招き入れた張本人だった。
だが、能登原は抵抗しなかった。
むしろ、警察が来る少し前、自ら通報を入れていたのだ。
「……私は、コンコードの駒だった。知らぬ間に精神を操られ……子供たちを……」
教員たちの前で語ったその言葉に職員室は凍りついた。
水月と蓮が騒ぎを聞きつけて廊下に出たとき、ちょうど能登原が連行されるところだった。
その顔には苦悩と悔恨が刻まれていた。
しかし次の瞬間――彼女の瞳が虚ろに揺らぎ、表情が凍りついた。
「……ああ……」
能登原は懐から小瓶を取り出し、そのまま口に含んだ。
警察が慌てて止めに入る間もなく、白い泡が口元に溢れ、膝から崩れ落ちた。
「校長先生ッ!」
水月が叫んだ。蓮も駆け寄ろうとしたが、警察に押しとどめられる。
――それは自らの意志ではなかった。
コンコードが、遠隔から強い精神誘導を送り込み、彼女の身体を操ったのだ。
能登原は最期の瞬間、助けを求めるように空へ手を伸ばした。
そして水月を見て何かを口走ったが声にはならなかった。
「え?」
水月は戸惑い思わず口にした。
だが能登原の目はすぐに光を失った。
廊下の片隅で、子供たちは立ち尽くしていた。
昨日まで「居場所」だと思っていた学園が、一気に瓦解していく感覚。
水月の胸に重くのしかかるのは、東子を失った喪失感と、自分たちが立っている地面そのものが崩れていく恐怖だった。
その夜、水月は布団の中で呟いた。
「……この世界は、何かがおかしい」
蓮は黙って天井を見つめていた。彼の右腕の「黒」は、ただ静かに脈打つように潜んでいた。
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