第8話 初恋
「このロケットの持ち主は、私の初恋の人。同じクラスの真宮タケルくん――――」
* * *
真宮タケルは、二学期の初めに他県の公立高校から転入して来た。性格は明朗で柔和。どちらかと言えば、控え目な方だ。しかし、本人の意思とは関係なく、その類稀な美貌は常に衆目の的であり、誰もがこの美しい転校生に憧れた。
千鶴も例外ではなかった。
冬休みに入る少し前、クリスマスが近いことにかこつけて、告白と共に真宮タケルに渡すべく件のロケットを用意した。
放課後、千鶴は人目のない体育館の裏にタケルを呼び、勇気を奮い立たせてプレゼントを差し出した。
『真宮くん、あの……これ、クリスマスプレゼント』
『僕に?』
『えっと、ほら、一緒に文化祭の委員したでしょう。そのお礼も込めて、というか……私、真宮くんのこと、す……』
好きだから、と言いたかった。しかし、千鶴の口から出た言葉は率直な気持ちを伝えるものではなかった。
『す、すごく、応援してるから』
『貴水さんが僕を応援してくれるなんて光栄だな。……でも、何の応援? 僕は部活もやってないし』
『違うの。あの、す……』
今度こそ、好きだと伝えたかった。
『すっ、素敵な、恋人ができるように、応援してる』
やはり千鶴は言えなかった。自らの写真を入れたロケットをプレゼントしようとするほどの大胆さがありながら、肝心なところで怖気づいていた。初めて異性を好きになって、その想いを伝えることの難しさに直面した。
『ありがとう』
タケルが笑顔で受け取ってくれた。
千鶴はそれだけで有頂天になった。
『気に入ってもらえるといいな。ねっ、開けてみて』
『うん』
包みを開けるタケルの手元を、千鶴は胸をときめかせて見守った。
『……これ、とても高価なものじゃない?』
クリスマス仕様のラッピングを開けて、中から出て来たプラチナの首飾りに、タケルは目を丸くしていた。
『それほどでもないのよ。あのね、これペンダントみたいに見えるけど、本当はロケットなの。中に私の写真を入れてるの。あっ、でも、嫌だったら外していいから』
『ぜんぜん嫌じゃないよ。貴水さんの写真見てみたい。どうやって開けるの?』
『ちょっと貸して』
千鶴は開け方を説明しながらロケットを開いてみせた。
『わぁ、写真も可愛いんだね。ありがとう。いつも貴水さんが応援してくれてるみたいで嬉しいな。持っていたら御守りになって心強そう。でも、本当にいいの? 僕なんかがもらっても』
『もちろん!』
千鶴はその言葉だけで本望と思えた。タケルの謙虚な反応が嬉しかった。
『僕も何かお返ししなくちゃね。じゃあ、冬休みに入っても連絡が取れるように電話番号交換しとく?』
『しとく! あ、お返しとかいいから。私、真宮くんの番号だけで十分』
千鶴に真宮タケルから電話があったのは、クリスマスの二日後のことだった。
まず、『電話でごめんね』との謝罪の言葉を聞いた。
その意味もわからないまま、タケルからの電話に千鶴は舞い上がった。
『真宮くん! 本当に電話してくれたんだ』
『ごめんね』と彼は再び詫びた。そして『僕、気がつかなくて』と続けた。
『えっ、何を?』
『貴水さんの気持ちに気づかなくて、僕は無神経だったね。許して欲しい。……僕には、心に決めた人がいる』
『心に、決めた人……恋人が、いるのね。よ、よかった……』
つまり、彼とは両想いにはなれない。いきなり突きつけられた現実に胸が張り裂けそうになりながらも、千鶴は精いっぱいの明るい声で応えた。
『よかったね。それは、おめでとう』
『貴水さん、君って人は……本当に優しいんだね。だけど、その優しさにいつまでも甘えていてはいけないと思って、無礼を承知で電話した。僕は貴水さんの気持ちに応えることは、だから、できない。ごめんね』
『いいんだってば、謝らなくったって』
千鶴の目には、今にも零れそうな涙が溜まっていた。
『ロケット、返さなくちゃいけないんだろうけど……』
『いいよ。好きに処分して。真宮くんのものなんだからさ』
『本当に、ごめんね』
『あはっ、そう何度も謝られると却って辛いんだってば。恋人さんと、幸せにね』
『ありがとう』
『じゃ、真宮くん、三学期もよろしくね。あ……普通に接してね』
『こちらこそ、貴水さん』
* * *
「――――私って、ふられたのに、何だかますます好きになっちゃったんだから」
あの真宮タケルを嫌いになれるはずがない。千鶴の想いは揺るがなかった。だが、もう執着はしない。愛する真宮タケルのためにこそ。彼が幸せなら、自分も幸せなのだと切り替えることにした。
「おまえの同級生だったのか。奇遇だな。……そうか。彼には恋人が……。だったら、あんな目に遭わせてしまって……俺は、その恋人にも謝らないといけないのか」
独り言のように彰が呟いた。
「あんな目って!? 真宮くんに何があったの? 今度はお兄ちゃんの番よ。詳しく話して」
「……わかった。誰にも言うつもりはなかったが、おまえにだけは話す。元はと言えば、俺の所為なんだ。千鶴、落ち着いて、覚悟して聞けよ。彼がおまえにロケットを返せないのも仕方ないんだ。ここに置き忘れて行ったんだから――――」
ロケットに刻まれた真宮タケルのイニシャル、T・Mのロゴを細い指でなぞりながら、彰が重い口を開いた。
兄の話を聞く間、千鶴は終始沈黙し、表情一つ変えることはなかった。事実を受け止めるのに感情の波は邪魔だと学習していた。むしろ、自分でも恐ろしいほど冷静でいられた。覚醒にも似た、ある種の覚悟が芽生えたからだ。
全ての話が終わって、暫く、兄妹は無言だった。
「千鶴、大丈夫か?」
沈黙を破ったのは彰の方だった。好きだった同級生が受けた被害の凄惨さに、妹は言葉も出ないほどのショックを受けたのだと案じているようだった。
「話してくれてありがとう。私は大丈夫だから」
千鶴は兄に笑顔を見せた。その裏側に、マグマのような激しい憤怒を燃え滾らせながら。
有吉英司を絶対に許さない! 千鶴はある決心を固めた。
「そうか。なら良かった。……このロケットだけど、おまえがいいと言うなら、俺はこれを持っていたいんだけど」
「いいの? 妹の写真入りよ。なんだかシスコンみたいよ」
「うん、たぶん俺はそうだ。おまえに見放されたら、俺は生きていくのが難しいかもしれない」
「お兄ちゃん、口が巧いんだから」
兄にそう言われた時、千鶴は冗談として軽く受け流した。
「それに、これをいつも身に着けていれば」
彰は再びロケットを首に掛けた。
「いつかまた、彼に会える気がする」
「お兄ちゃん、真宮くんに会いたいの?」




