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第5話 天使

 メンズファッション専門の高級ブティック。そのVIPルーム。


 彰は鏡の前に立っていながら、自分の姿など眼中になかった。

 三十代半ばのスタイリッシュな男性クラークの為すがままに、何度も服を着せられ、何度も脱がされた。


「とてもお似合いです」

「そうですか」


 このようなやりとりが延々と繰り返されていた。

 そして時折り、妹が口を挿む。


「これは有りね」


 千鶴がスマートフォンで兄を撮影していた。

 その場にいる誰もが彰に見惚れ、そのたたずまいに感嘆のため息をつき、彼のために情熱的に動いていた。


 しかし、当の本人は心ここに在らずだった。周囲との温度差はあまりにも乖離していた。

 彰の頭の中は、唯ひとりの人物で占められていた。


『天使みたいな人だから』


 妹のその一言によって、彰の思考の全てが『天使』に席巻された。

 生々しく、忌まわしい記憶と共に。




 * * *




 世にも麗しき白肌の天使。

 濡れて煌めく濃いブルーの瞳、ストレートの漆黒の髪、端麗な顔立ち。おそらく、その天使はラテン系と日本のハーフと見受けられた。


 雪の聖夜。彰の前に、まさしく天使が舞い降りたのだ。


 その日、彰は、政財界の要人を招いて催される貴水家のクリスマスパーティーに顔を出した。

 父・貴水章三(しょうぞう)に会うことが唯一の目的だった。久しぶりに泊まっていくようにと引き留められることを期待していた。しかし、父は長い情愛のハグをしただけで、期待した言葉は語らなかった。

 落胆のまま、彰は実家を後にした。


 愛車のアルファロメオ・スパイダーを走らせている時だった。

 道を渡ろうとしていたらしき人影がヘッドライトに眩惑されてか、足を竦ませたようだった。

 急ブレーキをかけ、直前で接触は免れたが、彰はすぐに車を降りて、その人物を気遣った。


『大丈夫ですか』


 ショックで声も出ないのか、佇む人影から返事はなかった。

 近寄ると、その人物がまだ少年であることがわかった。寒空の夜半にコートも羽織らず、雪を被って震えていた。


『寒いでしょう』


 少年を車に誘った。ただ保護したかった。少年が妹と同じくらいの年頃だったことにも心を動かされた。

 パッセンジャーシートに乗せ、その横顔を間近に見た時、彰は瞠目した。天使と見紛うばかりの凄艶なまでの美しさに。


『行く先は? 送るよ』


 彰の言葉にも、少年は黙ったまま首を横に振るばかりだった。


『言語が通じないのかな。まさか天上界から来た、とか? ……とりあえず、服を乾かした方がいいと思うよ』


 彰は少年を連れ帰り、湯舟に入れた。

 しばらくしてバスルームから出て来た彼を、彰は暖かなローブで(くる)んだ。

 ソファに座らせ、自分もその隣に腰掛け、抱き寄せて、少年の身体を(さす)った。彰は自らの手で温もりを与えたのだ。


『本当に何も喋らないんだね』


 彰がそう言うと『すみません』とだけ小さな声で返し、それ以上言葉を発しようとはしなかった。

 少年はじっと彰の胸に身を預け、静かに目を閉じていた。

 彰はもう何も尋ねなかった。答は得られそうもないと思えた。

 少年の濡れた睫毛が震えていた。それが全てを物語っているかのようだった。


『ああ、ごめん。申し遅れたけど、俺は貴水彰』


 彰は自分がまだ名乗っていなかったことを思い出した。自分が名乗れば、名前くらいは教えてくれるかもしれないとの淡い期待もあった。


『たかみ……』


 少年はやはり自分の名を明かすことはなく、ただ彰の姓に微かに反応しただけだった。


 静謐な時間が過ぎていった。

 日付が変わり、神がこの世に遣わしたという一人子(ひとりご)の誕生日になっていた。

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