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第4話 兄と妹

「お兄ちゃんもずいぶん(ひま)なのね。せっかくの冬休みだっていうのに、部屋に閉じこもってばかりいて」


 貴水(たかみ)千鶴(ちづる)は兄のマンションに遊びに来ていた。


 ここはタワーマンションの最上階。眼下には東洋の玄関口と呼ばれる大きな港街が展開する。窓から望む港では、白い帆を張った五本マストの豪奢な客船が出航しようとしていた。

 学生が一人で住むには贅沢過ぎるこの環境も、住人が資産家の御曹司とあれば頷ける。

 貴水(たかみ)(あきら)が通う大学は実家からさほど遠くない距離にあったが、進学祝いとして父からこのマンションを与えられて、独り暮らしが始まった。とはいえ、別のフロアには専任のスタッフたちが常時控えており、生活面での不自由はなかった。


「そういう自分はどうなんだ。まだ彼氏はできないのか?」

「もうっ、親戚のおじさんみたいなこと訊くんだから。だいたいねぇ、彼氏がいたらお兄ちゃんの所になんか暇潰しに来るわけないでしょ」


 千鶴はソファで経済誌を眺めている兄にちらちら視線を飛ばしながら、持参した珈琲を淹れていた。


「俺はおまえの暇潰しの材料か」

「イグザクトリー!」


 そう思われてもかまわない。むしろ、その方が兄は気が楽だろうと千鶴は慮った。

 本音は、兄の世話を焼きたいからに決まっている。大好きだからだ。


「まったく、おまえって」


 やれやれといった様子で呟いて、彰は口角を上げた。


「あっ? ラグ変えたんだ」

「……気分転換にな」


 彰がそう答えるまでに少しの()があった。そして、その表情が一瞬曇ったのを千鶴は視界の隅に(とど)めた。


「はい、どうぞ。お兄ちゃんの好きなブルマンよ」

「サンクス」


 千鶴は時として、母親のような気持ちを彰に抱く。兄は二歳上だが、少々頼りない。だから、自分の方が守ってやらねばと気負っているところがある。


 兄妹に母親はいない。千鶴が物心つくかつかないくらいの頃、若くして病で亡くなった。

 母に関する記憶はおぼろげだ。ただ、写真に残る若い母は兄によく似ていた。否、兄が母親似であると言うべきか。

 少女のように可憐で美しく、(はかな)げな母。父はそんな母を深く愛していたのだろう。後妻も娶らず、独身を貫いてきた。そして、母親の分まで、兄妹ふたりに十分過ぎるほどの愛情を注いで育ててくれた。

 しかし、千鶴は知っている。父の愛情の配分が、必ずしも公平ではないことを。

 父は、母に生き写しのこの美しい兄を溺愛している。それでも、千鶴には羨む気持ちはなかった。むしろ、兄は愛されて当然だと納得していた。

 母に似て、どこか儚げな兄・彰。性格は穏やかで優しく、決して怒りの感情を表わさない。妹のどんな我儘も受け入れ、あるいは受け流し、唯々(いい)として従う。そして、常に周囲から尊重され、大事に扱われる。ひたすら美しく繊細であるがゆえに。

 そんな兄はまるで最高級の美術品のようだと千鶴は思う。(もっと)も、父や自分にとっては、それ以上のかけがえのない存在であることは確かだ。


「お兄ちゃん、これから予定がないなら、買い物に付き合ってくれないかな?」


 千鶴は兄と連れ立って街を歩くのが好きだった。すれ違う同性の羨望の眼差しが優越感をくすぐり、心地良いことこの上ない。時には、男性さえも彰の美しさに目を瞠る。

『プリンス・彰』

 幼い頃から兄はそう呼ばれていた。

 指を(くぐ)らせて梳きたくなるようなさらさらした栗色の髪、茶色がかった澄んだ瞳、その瞳を半分近く隠すほどの長い睫毛、形の良い細い鼻梁、ほのかに酷薄な印象のある魅惑的な唇、そして、嫋やかでエレガントな痩躯。いったい、今までに何人の女性たちが、この美貌に夢中になっては悉く玉砕していったことか。


「何を買うんだ?」

「お兄ちゃんの服よ。新しいショップ見つけたの。ねっ、行こう」


 気晴らしに彰を着せ替え人形にして遊ぶつもりだった。


「いつも元気だな、千鶴は」


 彰は微笑しながらカップに残る最後の一口を飲み干した。


「私……こうして一所懸命に明るく振る舞ってるけど、本当は落ち込んでるんだから」

「珍しいこともあるんだな。どうしたんだ?」

「ふられたの。だから、お兄ちゃんに慰めてもらいたくて来たんだ」


 (から)元気をやめて、千鶴はぽつりと本音を漏らした。


「失恋したのか」

「私って身の程知らずだったかも。相手は、天使みたいな人だから」

「……天使」

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