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第23話 千鶴の想い

「お伺いするのが遅くなってすみません」


 貴水千鶴は緊張の面持ちで、タケルの病室を訪ねた。



 事故の当日、千鶴は一報を聞いて、すぐに病院へ駆けつけていた。救急救命室(E R)に運ばれるタケルを見届けた(のち)、兄の死を確認した。悲しみに浸る(いとま)もなく、父が倒れた。

 その後も、真宮家への謝罪と説明、警察やメディアへの対応に負われるなどして、千鶴は奔走した。

 グループ内には多くの有能なスタッフが控えているとはいえ、貴水家の当主代理としての彼女は息つく間もないほどの多忙を極めていた。十七歳の少女の肩に、様々なものが一度に重く圧し掛かった。

 しかし、だからといって、いつまでも打ちひしがれてばかりもいられなかった。



「初めまして。タケルの義兄(あに)の真宮青樹です」


 病室で千鶴を迎えたのは青樹だった。

 真宮家の両親とは既に対面を済ませていた千鶴だが、青樹に会うのは、この時が初めてだった。

 会った瞬間、千鶴は魅了された。包み込むような温かなオーラ、精神性の高さを窺わせる凛とした精悍な顔立ち。初めて会うタケルの義兄・真宮青樹は想像以上に魅力的な青年だった。


「青樹さん、あの……本来ならば、父が来てお詫びを申し上げるべきなのですが、あれ以来、病床に伏しており、代わりに私が参りました。兄が、とんでもない事故を起こし、真宮くんを……タケルさんを巻き添えにしました。何とお詫びしてよいかわかりません。どのようにしても償います。どうか、お許しください」


 千鶴は深く(こうべ)を垂れた。


「どうぞ、顔を上げてください。千鶴さん、あなたは気丈な方ですね。お兄さんのご葬儀でお父上の代理を立派に務めておられたと聞いています。それに、お気持ちは十分に伝わっています。……弟はあなたのような人に好かれていたんですね。兄として誇らしく思います」

「え……?」

「見たんです。ロケットの写真を」


 そう言う青樹の顔に、少年のような屈託のない笑みが浮かんでいた。


「これですね」

 首元のロケットに触れながら、千鶴は応えた。

「……恥ずかしいです」


 あの日の朝から、ずっと身に着けていた。但し、自分の写真は外した。


「タケルは失くしたと言っていましたが、あなたの所にあったんですね。よかった。タケルは風呂に入る時以外はいつも首に掛けていたんですよ」


 それを聞いて、真宮タケルの誠実さに改めて胸を熱くした。

 その彼は、未だ意識が戻らず、昏睡状態が続いている。頭部に巻かれた包帯が痛々しい。幸い、顔は綺麗なままだ。千鶴にはそれが一つの救いに見えた。


「青樹さん、お話しようと思います。タケルさんと兄のことを」


 千鶴は、事故に至った経緯を青樹に詳らかにする覚悟で訪れたのだ。タケルの家族にはそれを話す義務があると感じていたからだ。


「兄はタケルさんを拉致したんです。(のち)にわかったことですが、兄はタケルさんのアルバイト先へ手を回すなどして、周到に計画していたんです」

「拉致? 何故、タケルを」


 不穏な言葉に、青樹の顔が強張(こわば)った。


「兄はタケルさんに謝りたいのだと言っていました。あの暴行事件に関わることで。……私が知る限りのことを最初から包み隠さずお話しします――」



 千鶴は語り始めた。今は亡き兄・彰から聞き及ぶ出逢いの経緯から、タケルの身に起こった忌まわしい出来事、自分がタケルに渡したロケットの行方、兄のタケルへの執着、そして、拉致に至るまでを。


「――おそらく兄も、タケルさんを好きだったのではないかと思います。しかし、自分のものにならないとわかり、タケルさんを道連れに心中を……私はそう推測します」


 話が進むにつれて、青樹の顔色が変わっていくのを千鶴はつらい思いで目に留めた。きっと、彼の胸中は怒りと悲しみに溢れているに違いない。当然だ。紛れもなく兄は理不尽なことをした。だが、許して欲しい。兄はもう、この世にはいないのだから。本人には謝罪のしようがない。代わりに、自分が何千回も何万回も謝るから。

 話を続けながら、千鶴は心の中で必死に許しを請うていた。



「話してくれて、ありがとう」


 千鶴が全てを語り終えた時、青樹は静かにそう言った。その声音からは怒りも恨みも感じられなかった。


「青樹さん、本当にごめんなさい。タケルさんをこんな目に遭わせてしまって」


 千鶴は再び心の底から詫びた。


「あなたの方が辛いでしょう。大事なお兄さんを亡くされたのですから」


 青樹の言葉は千鶴の胸に温かく沁みた。


 大事な兄。追認させられたそのことに涙がこみ上げてきた。彰の遺体を確認した時の眠っているような安らかな顔が、今も忘れられずにいる。揺り動かせば目覚めるのではないかと錯覚しそうなほどだった。幼い頃から兄に感じていた儚さは、この早過ぎる死を予感させるものだったのだろうか。


 しかし、それは必ずしも回避できないものではなかったはずだと、千鶴は後悔している。そもそも、有吉英司など放っておけばよかったのだと。

 兄は言っていた。『おまえに見放されたら、俺は生きていくのが難しいかもしれない』と。これは冗談でもなければ妹へのリップサービスでもない。兄の心からの声だったのだ。

 憤りを抑えきれずに暴走している隙に、かけがえのない人を失ってしまった。もっとこの手に兄を引き寄せて、抱きしめておくべきだった。どんなに疎まれようとも。いつも近くにいて、とことん母親の代わりになって、真宮タケルへの執着を捨てさせていれば、こんな事態は避けられたかもしれない。そう思えてならなかった。


「兄を、許してくださいますか?」

「許すも何も。恨んでいませんよ。タケルだって、きっとそうでしょう」


 青樹はそう言ってくれた。


「ありがとうございます!」


 タケルの義兄・青樹と会えて話ができたことで、千鶴は、悲しみと後悔から抜け出す一歩を踏み出せる勇気を得た。


「お父上のご様子は、どうなんですか?」

「いつも泣いています。何も食べずに。今は点滴だけで生きています。父にとって兄は身体の一部……心臓のようなものでしたから」


 彰の死に最も打ちのめされたのは、実は父・章三ではない。この自分こそが、二重のダメージを負ったと千鶴は思う。たったひとりの最愛の兄を失った悲しみに加え、兄・彰への父の異常なほどの深い愛情を目の当たりにし、言いようのない複雑な感情を覚えた。

『彰、私の彰、すまなかった。許してくれ』

 病床で譫言(うわごと)を繰り返す父。まるで自分に、息子の死の責任があるかのように。

 父が何故、兄に許しを請わねばならないのか、千鶴は知り得べくもない。ただ、自分が入り込む余地もないほどの濃密な絆でふたりが強く結ばれていたことだけはわかる。それが、少なからず妬ましい。千鶴は生まれて初めて、兄に嫉妬した。


「だったら尚更、傍にいてあげないと」


 青樹が心配そうに言った。


「はい。……あ、青樹さん、もしかして、あなたが……」

 タケルが言っていた『心に決めた人』なのでは? そう尋ねようとして、千鶴は思い(とど)まった。

「……いえ、何でもありません」


 千鶴は小さく(かぶり)を振った。確かめるまでもないと思えた。彼がタケルを愛していることは明白だった。タケルの『心に決めた人』、それは、この真宮青樹に違いない。凛として気高く、太陽のように温かく、どこまでも清らかで美しい。彼こそ、真宮タケルに相応(ふさわ)しい。

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