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第2話 夢の女

 眠れ、眠れ、この腕に(いだ)かれて眠れ

 眠れ、眠れ、安らかに眠れ

 幾千の夜と朝を越えて

 今、還り着く

 運命(さだめ)の河を流れ行き

 揺られて揺れて、行き着く果てのまた果ての

 めぐりめぐりて、生まれ変わり死に変わる

 (おも)を変え、(さが)を変え、血脈()を変えて

 長き道のり逝き生きて

 現世(このよ)冥府(あのよ)を往きては戻る

 嗚呼、子よ、子よ、いとし子よ

 跳び越えて、さあ、還り来たれ、この胸に

 たとえ姿は変わっていても

 きっとわかる、わかり合う

 たどり着くその場所は、母の胸

 眠れ、眠れ、この胸に抱かれて眠れ

 眠れ、眠れ、すこやかに眠れ




 * * *




 濡れた枕の冷たい感触で青樹は寝覚めた。夢を見て自分が泣いていたのだとわかった。

 夢の中の青樹は異国の女の姿をしていた。長いブロンドをなびかせて、風を受けて佇む女。その潤んだ濃いブルーの瞳は何かを探し、何かを待ちわびるかのように遠くを見ていた。

 そして、妙なる声で子守唄のようなものを歌っていた。

 哀調のその曲は目覚めた後も尾を引いて、ひどく気分を滅入らせた。


「久しぶりに見たな、この夢。全く……嫌な夢だ」


 幼い頃から何度となく見た夢だった。内容は鮮明に記憶している。目を覚ますと、決まって自分が泣いていたことに気づく。

 ここ十数年、見ることはなかった忌夢。今更それを見たことにどんな意味があるのだろう。考えるほどに、漠然とした不安が広がりかけた。


「夢に意味なんて、あってたまるか」


 自分に言い聞かせるように呟いて、青樹は身体を起こした。

 傍らに目をやると、いつもならそこにあるべき義弟(おとうと)の姿はなく、虚ろなスペースがやけに広く感じられるだけだった。


 タケルが青樹と住むことになって、両親がセミダブルのベッドを購入して寄越した。

 親から見ればふたりは未だ小さな可愛い兄弟なのだ。仲良く同じ毛布に(くる)まって、温め合って眠って欲しいという親心が込められた贈り物だった。


 しかし、その親心を逆手に取るようなことを自分は目論んだかもしれない。青樹は毎日このベッドでタケルと眠ることに限界を感じていた。


「もう、無理だ」


 シーツの上に指を滑らせながら深いため息をついた。彼は自制すべき己の感情に苦しんでいた。

 初めての独り暮らしで、家族、就中タケルが(そば)にいない寂しさに打ちのめされた。自分は義弟(おとうと)なしでは生きられないのだと思い知らされた。その矢先、共に住みたいと願ってタケルが自分の許に来てくれた。それがどんなに嬉しかったことか。


 親許を離れ、慣れない環境で力を合わせて模索するふたりきりの生活。当初それは、冒険にも似た興奮をもたらした。そして、これからも同じ景色をふたりで見ていくのだと信じた。


 しかし、昨夜以来、ふたりが見る景色は一変した。否、変化は少しずつ始まっていたのかもしれない。

 それぞれに他者との人間関係が生まれ、世界が広がっていく。それは成長の過程で生じる必然的なものとして互いが容認すればいいだけのことだった。

 だが、青樹はそれが寂しかった。自分だけを追いかけていた義弟の関心が、他の誰かに移ることは哀しみでしかなかった。しかし、その思いは自分が兄であることの足枷に縛られ、弟の成長を静かに見守るべきであるとする義務感に囚われていた。


 そして昨夜、青樹は初めてタケルを畏れた。じっと見つめられた時、かつてないほどの動揺に身体が震えた。少しずつ始まっていた変化はやがて飽和し、ついに形となって顕われた。

 青樹は、タケルがもはや()()()()ではないことを肌で感じた。


「あんなロケットをいつも首に掛けてるくせに……俺に何かしようとした。何考えてるんだ? ったく、今頃、何処ほっつき歩いているんだか」


 主のいないスペースに毒づいて、青樹は洗面台へ向かった。




「タケル……?」


 そこに、血の気を失くしたタケルが倒れていた。

 青樹は思わず息を呑んだ。一瞬、死が、彼の頭を(よぎ)った。

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