第15話 懺悔
「千鶴は君を称えていた。普通、自分をふった男のことを褒めたりしないだろう」
「それは、貴水さんが……千鶴さんが、思いやり深い性格だからだと思います」
『――三学期もよろしくね』
電話でそう言ってくれた千鶴の声を思い出した。いつもの明るい声に聞こえた。だが、それが精いっぱいのものであることは想像できた。
途中で切られても仕方のない通話を、彼女は最後まで誠実に続けてくれた。その深い思いやりに、タケルは感謝している。
「そうなんだよ。千鶴は本当にいいやつなんだ。いつも俺に同情してくれる。そして『私がお兄ちゃんを守ってあげる』って言うんだ。ある意味、俺なんかよりも男らしい。女なのに漢気があるんだ。妹が無意識のうちに抱く同情に、俺の僅かばかりのプライドが傷つけられる。自分は無力だと思い知らされるようで。しかし、その同情心に慰められていることも事実だ。俺にとって千鶴は棘で糾われた命綱だ。掴めば傷つくが、放せば命はない。その千鶴にさえ顧みられなくなったら、俺はもう終わりだ。最近、特にそんな思いにかられる。どういうつもりか知らないが……君にふられて自棄になったわけでもないだろうが、千鶴は俺の反対を押し切って、とんでもない男と付き合い始めた。君をレイプした主犯の男だ」
「……!」
悍ましい男の顔がタケルの脳裡に浮かんだ。どんなに自分なりに決着をつけようとしても、忌まわしい記憶は決して消すことのできない刻印のように、これからも生涯に亘り影を落とし続けるのだろう。それは苦しみでしかない。
そんな苦しみをもたらした男と自分に好意を寄せてくれていた千鶴が交際を始めたという事実は、タケルには到底受け入れ難いものだった。
そして、それ以上に、千鶴が心配でならない。
「信じられなくなった。妹も、親父も……」
タケルの反応も眼中にないかのように、彰は語り続けた。
「親父が俺と寝てくれなくなった。俺は遠ざけられた。高校生の頃まで俺は親父と一緒に寝ていた。親父の懐で、いつも安寧の眠りに就いていた。幸せだった。本当に幸せだったんだ。自分がこの世に生きていてもいいのだと安心できた。だが、その幸せを終わらせたのは、俺自身だった。安心以上のものを求めてしまったから」
彰はそこで言葉を区切り、グラスにワインを注ぎ足すと一気に呷って、さらに『懺悔』を続けた。
「俺は貴水章三の本当の子じゃない。亡き母が不倫をして出来た子だ。俺がその事実を知ったのは、母の死の直前だった。『――彰、ごめんなさい』と最期に言い残して母は逝った。真実を隠してきたことの謝罪なのか、それとも、これから俺が背負うであろう苦悩への謝罪なのか。ともあれ、母は自らの負債の積年の荷を下ろし、安らかに息を引き取った。
そして、その負債はそっくりそのまま幼い俺に引き継がれた。子どもながらもどういうことなのかはわかる。自分が父の子ではない。突きつけられたこの残酷な真実が、俺の全人格を、未来をも、粉々に打ち砕いた。まさに青天に霹靂だった。母はどうして黙ったまま逝ってくれなかったのかと毎日恨んだ。そして、自分が貴水家に居られる理由がないように思えた。
しかし、そんな不安を解消してくれたのが、なさぬ仲の父、貴水章三だった。親父は俺を抱きしめて『今までと何も変わらないのだ』と言った。『彰はかけがえのない息子であり、私の跡継ぎなのだ』と。それからは、母の死後ひとりで眠れなくなった俺を自分の床に迎え入れ、安らぎの眠りを与えてくれた。
そんな親父に、いつしか俺は自分の身体を提供することで恩返しができるかもしれないと真剣に考えるようになった。いや、恩返しだけが全てじゃない。本当は、俺が、親父を……貴水章三を欲したんだ。ひとりの人間と愛してしまったから。
何も知らない子どもの頃から親父が好きだった。その思いは成長するにつれて別の意味を持ち始めた。抱いて、抱かれて、身体を交えたいと思うようになっていった。そんな俺の妄執に親父は勘づいていた。同じベッドで互いに身体を熱くし、寝つけない夜もあった。男同士だからわかる。それでも親父は決して一線を越えようとはしなかった。強い理性で、親父は親であることをやめなかった。俺はとうに息子であることをやめていたのに。血で繋がれないのなら、せめて身体で繋がれて、恋人同士になりたかった。その想いはずっと変わらない。今でも、俺は親父を、ひとりの人間として愛している」
『ひとりの人間として愛している』
奇しくも、青樹に愛を告げた言葉と同じだった。
その言葉を、タケルもまた噛みしめた。




