第10話 画家
見事に引き締まった筋肉質の肢体を惜しげもなく露わにして、若者はロココ調の長椅子に横たわり、仰のいて天井を眺めている。
唇は半開き。精悍な横顔が光の加減ひとつで妖艶さを帯びる。
背もたれ側の右腕を腹に乗せ、もう片方の腕は床に届かんばかりにだらりと垂らしている。
左脚は膝を立て、硬質な臀部の線を明瞭に示し、右脚は投げ出して、つま先をぴんと伸ばし、ある感覚への渇望が満たされた充足を、その一点の緊張感を以って表わしているかのようだった。
柔らかな朝の光をスポットライトに、若者の煽情的な裸身からは、エクスタシーに達した直後であるかのような匂い立つエロティシズムが漂い流れる。
しかし、これはあくまでも演出にすぎない。彼は役目を果たしているだけだった。
「おやおや」
水無瀬崇は絵筆を置き、居眠りを始めているモデルの身体にガウンを掛けた。
よく見れば、小麦色の肌にさえくっきりと鮮やかに残るキスマークが、うなじと言わず胸元と言わず、身体の至るところにあった。居眠りの理由がわかり過ぎるほどわかる。
「この子には、情熱的な恋人がいるようだ」
「あ……! 水無瀬さん、すみません。俺、つい、うっかり寝てました」
胸にふわりと掛けられた布の感触で、モデルは目を覚ました。
「うん、寝てたね。寝顔があまりにも可愛らしかったんで起こせなかったよ」
穏やかな眼差しを向けて、水無瀬は微笑んだ。
「ほんと、すみません!」
「いったん休憩にしようか。お茶を淹れよう」
「あ、はい」
床に降り立ったモデルの長すぎるほどの下肢にも、情熱的な恋人の刻印は見つかった。それを目にした水無瀬は苦笑した。
「真宮くん」
改まった口調で、水無瀬はモデルの名を呼んだ。
モデルの青年は、真宮青樹。睡眠不足の感は否めない様子だ。
「はい」
「ちょっと言い難いんだけどね」
水無瀬はそこで言葉を切って、咳をひとつした。
言い難いというよりは、言葉にするのが躊躇われる。しかし、言わないことには今後の制作に支障をきたしかねない。
「何ですか?」
「申し訳ないんだが……これからは、アトリエに来る前日の夜は愛情表現を控え目にしてもらえるように恋人に頼んでくれないかな。私からの切なるお願いだ」
「えっ? ……あっ! すみませんっ‼」
水無瀬の切なる願いの意味を悟ったらしく、青樹は慌ててガウンの身ごろをかき合わせた。
「あははははっ、若いっていいね。今日は早めに切り上げよう。眠いだろう?」
終いには、屈託なく笑い出す水無瀬だった。
水無瀬崇は、芸術家にありがちな気難しさなど微塵もない親しみ易い人物だった。
齢は四十。カンバスに向かっていなければ、俗に言う渋い感じのナイスミドルだ。彼と同じ空間にいる者は、その穏やかな温かい雰囲気に自然と心が和まされるのだという。
スピリチュアルアート。それが、水無瀬崇の作品に付けられた呼称だ。彼の筆は精霊を描き出すと言われている。評価はむしろ、海外の方が高い。それでも、ようやく最近、その独創的な閃きと精密な筆致は、本邦でも評価され始めている。
彼が人物画を描けば、必ず二枚の絵が仕上がる。一枚は写実的な現実の姿を、もう一枚は、その人物の霊界を写すと言われている。少し前、美しい女性モデルのもう一枚の絵が、ゴブリンの姿で描かれていたことがあって、世間を失笑させた。
青樹は街で偶然に水無瀬からスカウトされた。断り続けていたが、彼の情熱に根負けした。
それを機に、青樹は自分の霊界に興味を抱き始めた。幼い頃から何度も見続ける同じ夢と通じるものを感じたからだった。どちらも、科学の概念では説明のつかない不思議な世界の領域にある。それは奇異というよりは浪漫、シュールというよりはファンタジーといった類の感覚だ。
そんな水無瀬の創作の世界観は、魅力的な人物像と相まって、ますます青樹を惹きつけた。
服を着て、出されたお茶を飲みながら、青樹は穴があったら入りたいという恥ずかしさを生まれて初めて味わった。
明け方近くまでタケルと睦み合っていた。プレイの余燼がいまだ身体に燻る。まさに、水無瀬の作品のコンセプトを地で行っていた。
タイトルは、『エクスタシーの燃えさし』
心も身体も結ばれて、義兄弟は恋人同士になった。




