第6話『美咲の言葉』
### 第6話「美咲の言葉」
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健一は音楽の道に進むことを決意してからというもの、少しずつだが活動に必要な準備を進めていた。街の音楽スタジオやライブハウスを訪れて情報収集をしたり、自宅でギターの練習を続けたりと、これまで以上に音楽に打ち込んでいた。
そんなある日、健一は街の小さなカフェでふと足を止めた。そのカフェは、音楽好きが集まる隠れ家的な場所で、健一も数年前に何度か訪れたことがあった。懐かしい気持ちに駆られ、久しぶりに入ってみることにした。
カフェの中は静かで、アコースティックな音楽が心地よく流れている。ふと視線を店内の奥に向けると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。長い黒髪と、どこか凛とした雰囲気。健一は驚きと共に、その人物に声をかけた。
「美咲?」
振り返った女性は、まさに健一が思っていた通り、美咲だった。彼女も驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔で健一に応えた。
「健一? 久しぶりだね!元気にしてた?」
お互いの近況を軽く話し、思いがけない再会を喜んだ二人は、そのまま同じテーブルに座ってコーヒーを飲むことになった。健一は、自分が音楽の道を選んだことや、家族との話し合いで得た覚悟について美咲に語った。彼女は真剣な表情で話を聞き、時折うなずきながら「すごい決断だね」と感心した様子だった。
「でもね、美咲。正直、まだ不安もあってさ。音楽で食べていける保証なんてないし、夢を追うことがどれだけ大変かも分かってるつもりなんだけど…」
健一の素直な心情に、美咲はしばらく考えるようにして口を開いた。
「健一、夢を追うのって確かに怖いよね。でも…それでも自分が心からやりたいって思えることがあるなら、それってすごいことだと思うよ」
彼女の言葉には、確信と温かさが込められていた。美咲もまた、音楽を愛し続けてきたがゆえに味わってきた喜びや挫折があり、その道の厳しさを知っていた。健一は、そんな美咲だからこそ理解してくれることがあると感じた。
「健一、私たちが音楽を選んだのは、自分の心に正直でいたいからじゃない?何度も迷っても、結局は音楽に戻ってくる。私も何度も自分を疑ったけど…それでも続けてきてよかったって、今は思ってるんだ」
美咲の言葉に、健一は自分の不安や迷いが少しずつ軽くなっていくのを感じた。彼女もまた、同じような気持ちを抱えながらも音楽の道を進んできたのだ。そしてそれが、何よりも美咲にとっての真実であり、情熱であることが伝わってきた。
「美咲、ありがとう。君と話せて、本当に良かった」
健一は、改めて自分が選んだ音楽の道に希望を見出し、少しずつ自信が湧いてくるのを感じた。彼女との再会が、自分にとって特別な意味を持つ瞬間となり、健一は胸の中に力強い決意を抱き始めていた。
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美咲と再会してから数日後、健一は彼女に誘われ、あるライブハウスへ足を運んだ。そこは美咲が普段練習やライブ活動を行っている場所で、彼女にとって「音楽と向き合う大切な場所」だと言う。健一はその言葉に少し驚きつつも、彼女と一緒にステージの近くに腰を下ろし、ステージの向こうに広がる客席を眺めた。
ライブハウスの静かな空気の中、美咲はふとため息をつき、遠くを見つめながら語り始めた。
「健一、実はね…私も、音楽を続けることに何度も悩んできたの。最初は楽しくて仕方なかったけど、だんだんとプロの世界の厳しさを目の当たりにするようになって…」
美咲の表情はどこか寂しげで、その目には迷いが見え隠れしていた。健一は黙って彼女の話に耳を傾ける。音楽が好きで続けてきた美咲でも、挫折を感じることがあるのだと知り、彼は少し驚きながらも共感していた。
「周りには才能がある人ばかりで、私は一体何をやってるんだろうって自分を責めることもあった。自分の音楽が認められないことも、上手くいかないことも…何度も諦めようって思ったの」
健一は黙って彼女の肩に手を置き、そっとその心情を受け止めようとした。
「でも、健一…それでも私は音楽を手放せなかったんだ。上手く言えないけど、音楽が私にとって必要なものだからなんだと思う。誰に評価されなくても、自分がやりたいって思えるなら、それで良いんじゃないかって」
彼女の言葉には、自らの葛藤と向き合い、そこから見出した答えが込められているように感じられた。健一は、美咲がどれだけの思いを抱えて音楽を続けてきたのかを知り、自分もまた彼女と同じように音楽への情熱を持ち続けていけるのか、改めて自分に問いかけた。
「健一、夢を追うのって簡単じゃないよね。でも、きっと誰もがそうやって迷いながら進んでいるんだと思う。だから、自分が本当にやりたいって思えることなら、やってみる価値はあるんじゃない?」
美咲は健一に向かってまっすぐな視線を向け、そう言葉を続けた。その瞳は、健一の迷いをも見透かすような力強さがあった。健一は少し戸惑いながらも、その視線に自分の心の揺れが映し出されているのを感じた。
「ありがとう、美咲…君もいろいろな葛藤を抱えながらここまで来たんだね。でも、君が言う通り、やっぱりやってみないと分からないこともあるよな」
健一は美咲の言葉に背中を押され、自分の夢に対する意志を強くすることができた。彼女の経験や思いに触れ、夢を追うことの難しさと、それでもやり抜く価値のあるものを見つけることの大切さを実感したのだ。
この日をきっかけに、健一は夢を追い続ける覚悟をさらに固めていった。
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美咲との会話を終えた健一は、音楽への迷いや不安が少しずつ消えていくのを感じていた。夢を追うことの厳しさを知りながらも、それでも前に進みたいという思いが健一の心に再び強く芽生えた。
その夜、健一は自宅で一人ギターを弾きながら、これまで作ってきた曲を見直していた。美咲との会話の余韻が胸に残る中で、彼女の「自分が本当にやりたいと思えることなら、やってみる価値はあるんじゃない?」という言葉が何度も思い返される。
しばらくギターを弾いていると、ふとインスピレーションが湧き、新しいメロディが自然と指先から流れ出た。今の自分の気持ちをそのまま音に乗せるように、健一は情熱的に弾き続けた。音楽に没頭するうちに、これが自分の進むべき道であるという確信が、彼の中に根付いていった。
翌日、健一は改めて音楽活動の目標を具体的に立てることを決意した。まずは、地元のライブイベントに出演してみること、そして新しい曲を制作し、少しずつ自分の音楽を形にしていくことを目標にした。
そんな折、美咲から「一緒に音楽を作らない?」というメッセージが届いた。彼女は健一と話したことで、さらに自分の音楽を深めたいと思ったという。健一は彼女の提案を心から喜び、共に音楽を作ることを快諾した。お互いに刺激を与え合いながら、新たな一歩を踏み出すことにワクワクしていた。
二人でリハーサルを重ね、ライブに向けて曲を仕上げていく中で、健一は美咲と共に音楽を作る喜びを実感する。練習を重ねるたびに、新たなアイデアが生まれ、二人の音楽はより一層深みを増していった。
そして迎えたライブ当日。健一は緊張しながらも、ステージに立つ自分を想像して高揚していた。観客の前で自分の音楽を表現する瞬間を思い描きながら、これまでの日々を思い返す。ここに至るまでの道のりは決して楽ではなかったが、美咲の支えや励ましにより、夢に向かって確かな一歩を踏み出せたことを実感していた。
ステージでの演奏が始まると、健一は観客の前で自分の音楽を奏でる喜びを体全体で感じた。観客が音楽に耳を傾け、共にその瞬間を味わっていることが、彼にとって何よりも嬉しいことだった。そして、美咲の存在がその瞬間をさらに特別なものにしてくれた。
ライブを終えた後、観客の拍手が響き渡り、健一は新しい自分を見つけたような気持ちでステージを降りた。美咲が健一に向かって微笑み、手を差し出す。その手をしっかりと握り返し、健一は心の中で強く誓った。
「これからも音楽を続けよう。どんな困難が待っていようとも、自分が信じる道を歩んでいこう。」
こうして、健一は夢への新たなステップを踏み出した。彼の音楽の旅はまだ始まったばかりだが、今は迷いなく、前に進む決意を胸に抱いていた。
(第6話「美咲の言葉」完)