同じ景色を見てみたい〜口下手な私が夫婦平等を目指すまで〜
カナン・ポピンに婚約者が出来たのは、中等部2年の冬だった。
婚約者のエーベルは3つ年上の高等部2年で、その時にはすでに主席卒業が内定しており、魔道騎士団の特殊部隊に配属されることが決まっていた。
顔合わせの際、相手は騎士団の幹部候補生だと聞いて身構えていたカナンだったが、柔らかい物腰で穏やかな笑みを絶えず浮かべる彼に面食らってしまった。
三つ編みをゆるやかに後ろに垂らし、騎士団とは思えないほどしなやかな体躯のこの美青年の様子を、給仕の女たちがチラチラと伺っているのも無理はない。これが対面に座る小柄すぎる女との婚約の席だとはだれも思っていないのだろう。
「こんにちは、はじめまして。エーベル・アルフシュタインと申します」
「……カナン・ポピンです」
「急に婚約が成立して困惑されていますよね?うちの両親が焦ってしまったようですみませんでした」
「いえ……」
「ですが、僕としてもこの婚約をより良いものにしていけたらと思っています。どうかよろしくお願いいたします」
「あ、はい」
この婚約をより良いもにしていきたいという言葉の通り、エーベルは人懐っこい笑みで終始カナンに好意的な対応を見せた。
なにより、口下手なカナンがどんなに会話を上手く返せなくても笑顔を絶やさず、なんどもあきらめずに会話のボールを投げ続けてくれていた。
イケメンで、優しくて、気配り上手で将来有望。そんな人物が突然自分の婚約者になったら、有頂天になってしまうのが普通令嬢の反応だろう。
けれど、カナンが彼に抱いた第一印象は「この人、どうして私なんかと結婚せにゃならんのだろう」だった。
だってそうでしょう?同格の家同士ではあるけれど、もっと勢いのある伯爵家なんて他にごまんとある。
カナンの家もカナン自身も魔力量が特別多いというわけではない。ポピン家と結婚するからこそ得られるものなど特にあるとは思えないのだ。
だから、「エーベル様ならどんな美女でも虜に出来るだろうに、私なんかと結婚させられてかわいそうだなあ」とつい思ってしまったのだ。
「もしかして、緊張されてますか?」
「へ?」
実際はエーベルの事を憐憫の眼差しで見ていたのだが、どうやら緊張していると思われたようだ。
「あー。どう、でしょう」
「もし差し支えなければ、敬語を抜きにして話しませんか?」
「あ、はい。どうぞ」
「いえその……僕だけでなくて、カナンさんもという意味なのですが……」
「はい!?わたくしもですか?」
「そうです。ゆくゆくは夫婦になり、対等な立場になるのですから、なるべく早く打ち解けた関係性を築いていけたらと思ったのですが……」
「夫婦……対等…………?」
時代は変わりつつあるとはいえ、夫婦を対等な関係と言い切る貴族は未だ少数派だ。
政略結婚を提案し、年下の嫁をもらおうという人物がそんな価値観の持ち主だとは思っていなかったカナンは、言葉の意味を理解するのにコーヒーを三口も飲み下す必要があった。
「えっと、やっぱり年上の男に敬語を使わないというのは抵抗がありますか?」
「いえ、やれると、思います……多分」
「えっと、じゃあ」
「はい、いや、うん?じゃあ」
「よろしくカナン」
「よ…………よろしく」
こうして、対等な夫婦を目指す2人の婚約は成立したのだった。
カナンが高等部に入っても、婚約者であるエーベルとの交流は続いていた。騎士団の正規団員となり忙しい日々を送っているエーベルとは休暇毎にお茶の時間をとることすら難しくなっていたが、頻繁に手紙を送ってきてくれていた。
「あら、また婚約者様からの手紙?」
「あぁ、うん」
目ざとくエーベルからの手紙を見つけて来たのは同部屋のメリアンヌだ。
「エーベル様もよくやるわねぇ。あんたの淡白な手紙にこれだけの分量で返してくるなんて」
「それは私もそう思う」
カナンは口下手なだけでなく筆下手だ。話題を振られても何を答えていいか分からず、いつも返答が短くなってしまう。
それなのにエーベルは毎回毎回、何枚も手紙を書いてくれていた。
「エーベル様は一体何をそんなにたくさん書いてくれているの?」
「うーん、昨日墓参りに行ったとか、時計屋で直したばかりの時計がまた壊れたとか?」
「……ねぇ、カナン」
「いや、大丈夫」
「でも、それってもしかして……」
「うん、言われなくても分かってる。多分これ書いてるの執事さんだわ」
「いやいや、断言はできないでしょう?誠実な方だし……」
メリアンヌは否定してくれるけれど、カナンとしてはほぼそうだろうという確信があった。
何度短い手紙を返しても必ず長文が返って来るあたり「5~8枚ぐらいの分量で毎回当たり障りのない返事を書いといてくれ」とでも指示されているのだろう。
「別にいいけどね。あのおじいちゃん執事さんが墓掃除頑張ってるのとか、何回も時計が壊れてガッカリしてるのを想像しながら読むのも面白いし」
「あんた、ニヤニヤしてると思ったら、そんなこと考えながら婚約者の手紙呼んでたの?」
「うん、結構面白いよ」
「……まぁでも確かに、エーベル様って特殊部隊所属だから、すんごく忙しい上に仕事のことは機密が多くて何も書けないだろうし……」
「うん、だから執事さん」
「あー」
メリアンヌもとうとう否定できなくなってしまったらしい。やはりこの仮説は正しかったようだ。
「でも、今度の長期休暇は会うんでしょう?」
「一応そいうことになってるけど、どうかな。前回は流れた」
「特殊部隊は王子殿下の懐刀だもの。情勢も安定しないし、会えないのは仕方ないわよ」
「ううん、私に会うの面倒くさいだけだと思う。私に会うとなると、執事さんが書いたあの大量の手紙を読まないといけないわけだし……」
「単に仕事が忙しいだけよきっと。エーベル様だって本意じゃないはずよ」
「別に、どっちでもいい」
これ以上メリアンヌの追及を受けないようベッドにもぐりこみながら、カナンはエーベルの事を考えていた。
優秀で穏やかで、気配り上手なエーベル。細いのにご飯を食べる量が尋常じゃなくて、楽しい話題が絶えないエーベル。カナンよりも髪がツヤツヤなエーベル。
そんなエーベルに対して、陰気で面白いことのひとつも言えないカナン。
……むしろ、今日まで婚約関係が継続していることの方が不思議なくらいだ。
カナン自身、エーベルに対する執着心は…………薄い。……いや、執着しないように気を付けていると言うべきだろうか。
(でも多少傷つくのは目に見えてるんだよなぁ……いやだなぁ)
こうしてカナンはいつも自身の感情に蓋をする。けれど、エーベルの事を考えることを止められないまま眠れない夜を過ごすのだった。
ーーーーー
結局、長期休暇になってもエーベルからお茶の誘いが来ることはなかった。
今回も前回同様に、有名店の洋菓子が謝罪として大量に屋敷に届いた。
送り物は謝意の現れなのだろうけれど、お菓子を送っておけば許されるだろうと思われているほど自分は彼にとって子供なのだと思い知らされた気分だった。
(手紙を代筆されるのは別にいいけど、子供だと思われてんのは腹立つな……)
確かに背は小さいけれど、内面まで子供じみているつもりは毛頭ない。けれど、人はみな外見で内面を勝手に判断してしまうのだ。
そんな勘違いにうんざりさせられることには慣れっこになっているカナンだけれど、これから結婚するかもしれない相手にも子供扱いされるというのは、かなりのストレスだった。
「そんなんで対等な関係ねぇ……」
ついつい思っていたことが苦笑と共に口から出てしまっていたらしい。
「カナンよ、婚約を解消しようか」
「え?」
隣に父が居ることをすっかり忘れてしまっていただけなのだが、婚約を解消をおねだりしてしまったような格好になってしまった。
しかし、いつも以上に心配そうな表情の父を見ると、父としてもこの状況に思うところがあるのだろう。
「最近の君たちを見ていると、それが一番良いんじゃないかと思ってな」
「でも、政略結婚だし、私の意思は別に必要ないでしょ?」
「大事な娘を大切にしてもらえない場所になんて嫁がせやしないよ」
「お父様……」
この状況下で父の同意まであるとなれば、きっとこの婚約を解消するのは簡単だ。こちらから解消を言い出したからといって有責を問われることもないだろう。
けれど、なにかが引っかかる。
その引っ掛かりが強烈な違和感となって婚約解消を拒んでいるのに、それが何なのかうまく言語化して父に伝えることができそうにない。
ただひとつ言えるのは、婚約解消してくれと向こうから言われるならまだしも、こちらから解消を申し出るのは「なんか違う」という感情がカナンの中にあるということだ。
「なんか違う」とは思うが、何が違うのかが分からない。おそらく、理由は一つではないのだろう。
「……カナンよ、まだすぐには決められんだろう。幸いまだ時間もある。ゆっくり考えればいいさ」
「はい、分かりましたお父様」
この日以来、“終わらせ方”を考える日々が始まった。
ーーーーー
夏季休暇明けの3年生たちは、卒業後の進路決めの話題で持ち切りだった。
より条件の良い就職先を探そうと目論む者と、卒業後はすぐに結婚する者との温度差で、空気がピリピリとひりつくのを鈍いカナンですら感じ取ったほどだ。
「え?カナン就職組なの!?」
「当たり前でしょ」
「当たり前かしら?」
「婚約が決まっていても就職する人って、今どき別に珍しくもないと思うけど?」
「確か、カナンの好きにしていいって言ってくれてるんだっけ?ってことはすぐ結婚したいって言えばしてくれるってことでしょう?」
「いや、そもそもこの婚約自体いつまで続くか分かんないんだから、仕事しないわけにはいかないし」
「え?夏季休暇も会ってないとは聞いたけど、もうそんな話になってるの!?」
「なってない。勝手に思ってるだけ」
「はぁ?」
あきれ顔のメリアンヌに説明するのを諦め、カナンは就職希望者用の大教室に向かった。大教室はパーテーションでいくつものブースに分かれ、説明会が行われていた。
宮殿や地方役場の各部門から採用のためにやって来た人事担当の必死さを見るに、どこも人手不足なのだろう。
どこを見ようかな?などと思う暇もなく、団服姿のひと際厳めしい人物に早速捕捉されてしまう。
「カナン・ポピン様、夏季休暇ぶりですね。この日を心待ちにしておりました。ささ、どうぞこちらのブースへ!いやぁ、今日も暑いですなぁハハハ!」
「あぁ、はい」
こうなることをある程度予測していたカナンは、特にあらがうでもなく団服男の先導をうけ、魔道騎士団コール係のブースへと向かった。
カナンは一昨年あたりから、魔道騎士団コール係の熱心な勧誘を受けている。
「レヴィン様、こんな日くらい、別の方を勧誘されたらどうですか?よりどりみどりですよ?」
「いやいや、あんな有象無象はどうでもいいのですよ。それよりもカナン様が他の職種に取られるのを阻止する方が我々人事部にとって大切な仕事ですから!さぁ、氷菓子をどうぞ。飲み物は紅茶ですか?各種揃えておりますよ、これだけ暑いんでホットの準備はありませんけどねわははははッ!」
「はぁ……」
カナンの家にこのレヴィンという暑苦しい男が初めてやって来たのは一昨年のこと。
突然やって来たこの圧の強い男は、どういうわけか「カナン様を魔道騎士団のコール職に勧誘しに来ました!YESと言ってくれるまで帰りません!」などと言い出し、2年間大量の手土産と共に頻繁に屋敷を訪れ続けていた。
その回数はエーベルを軽くしのぐほどで、押しの弱いカナンも父も、この体育会系の男の熱意に押されてしまっていた。
豪奢な椅子に腰掛け、レヴィンが手ずから用意した氷菓子を食べながら魔道騎士団のブースを見回していると、魔道騎士団へ就職を目論む生徒達がひっきりなしにブースを訪れているのが目に入った。
(なんだ。魔道騎士団、人気職なんじゃん)
カナンのような気弱な人間を強引に勧誘するくらいだから、てっきりなり手不足なのかと思っていたけれど、そういうわけではないようだ。
しかし、こうして高級椅子に座って菓子まで用意されているのはカナンだけだ。
おそらく、ほぼ内定している人物をこのブースの置物にすることで、他の希望者たちに「自分も内定すればあんな好待遇をうけられるのかも?」と期待させるのが狙いだろう。
とはいえ、こんな扱いを受けるのは居心地があまりよろしくない。
さきほどから他の志望者たちによく分からない羨望の眼差しを向けられるのも、優越感というより不快感が勝る。
(エーベルもこんな感じだったのかな?)
エーベルと婚約したのは彼が2年時の冬期休暇だった。その時点で魔道騎士団の特殊部隊入りが内定していると言っていたはずだから、彼も3年時の夏季休暇明けはこんな風にここで氷菓子を食べていたことだろう。
「あ、いた!」
そんなふうにエーベルのことを考えていたら、本当に目の前にエーベルが現われた。
少し息を切らし、自慢のピンクの髪からは汗が滴っているが、久しく会っていなかった人物の登場に、「これは白昼夢だろうか」と思わずにはいられない。
「…………本物?」
「もちろん本物だよ!!……いや、ごめん。ずっと会えていなかったから、そう思うのも当然だよね」
「いえ、そういう意図で言ったわけでは……。それより、何かあったのですか?」
事前の知らせもなく急にこんなところに現れるなんて、何か問題が起きたのだろうか。それとも、先輩として就職説明会の手伝いに呼ばれていたのだろうか。
「カナンに会いに来たんだ。レヴィンからここに君が来ると聞いたんだけど、まさか本当にいるとは思わなかった」
「レヴィン様とお知り合いだったんですか?」
「同期なんだ。それより、魔道騎士団のコール係になるって本気かい?」
「……卒業後は結婚までは自由にしていいという約束では?」
「自由にしていいって言ったのに僕と同じ職場を希望してるって聞いたから驚いているんだよ!もしかして、レヴィンになにか言われた?無理やり勧誘されたんじゃない?」
「それはまぁ……多少お強引だったような…………」
「ほらやっぱり!!!おい、レヴィン!」
エーベルはそう言うとくるりと踵を返し、他の候補者の面接準備をしているレヴィンにズカズカと歩み寄った。
カナンには終始いつもの困ったような笑顔で話していたエーベルだったけれど、振り返る直前の彼の顔が見たこともないような怒りに満ちていたように見えてギョッとした。
エーベルがこんな怒りの表情をしているのを見たことなど、今まで一度もない。
カナンはエーベルの事を心のどこかで喜怒哀楽の喜と楽しか感情を持たない人だと思い込んでいた。 けれどそんな人間などいるはずがないのだと、彼がレヴィンに向けて発した声の低さから思い知る。
「うちのカナンを無理やり勧誘したそうじゃないか。どういうつもりだ?」
「おいおい、オレが悪いって言うのかよぉ?別に、オレは必要な仕事だからやっただけだぜ?」
「そうだろうが、俺はカナンにこんな過酷な仕事をさせるつもりはないとお前には言ってあったはずだ」
「オマエがなんと言おうが上の判断によるものだ。オレは熱心に勧誘しただけに過ぎない。それに、魔道騎士団に入ることを決めたのはカナン嬢だ」
「カナン……」
エーベルは言葉に詰まったようにカナンの方を返り見たが、確かに進路を決めたのは彼女自身の判断だ。
カナンがゆっくりと首を縦に振ると、エーベルはがっくりとうなだれたような姿勢になる。
そして一息つくと再び彼女のもとに歩み寄り、足元に跪いて両手をとった……まるでわがままを言う子供をあやそうとしているようだ。
「カナン、コール係とはいえ魔道騎士団の仕事は過酷だ。責任も付きまとうし、魔力も消費するから普通の事務職よりもとても疲れるんだ。分かっているのかい?」
「はい、もちろん分かっています」
どんな仕事か分かりもせず志望していると思われたことが不快でエーベルから顔を背ける。これでは余計に駄々っ子のように見えてしまっていることだろうが、ここまでバカにされてはさすがに抵抗しないわけにはいかない。
コール係というのは、騎士団の後方支援職のひとつである。
コール係は各部隊に一人ずつ配属され、作戦中の騎士同士の連絡をとりつけたり、部隊長の指示を伝えたり、その他の細かい指示を送る小口のコマンダー職だ。
魔道騎士団にとって個々の持つ魔力はなによりも貴重な戦力である。しかし無論、無線による各員のやりとりや補給などの雑事にも魔力は消費されてしまう。
雑事にかかる魔力量ひとつひとつは確かに大した量ではない。
しかし、魔力をケチるためという名分で連絡不精を起こす隊員や、戦闘で魔力を使い切ってしまったせいで連絡がとれなくなり、消息不明となる隊員が後を絶たず、長年対策が求められていた。
そんな中、近年の晩婚化や情勢不安の機運から、魔力持ち未婚女性の国力化政策の一環として騎士団の後方部隊に女性が採用されはじめたのが数年前。
女性の登用によって、前線で戦う騎士の連絡や補助的な魔力仕事のみを専属で行うために配備されたのがこのコール係である。
「コールは前線には出ません。私向きの職種です」
「確かに言いたいことは分かるよ?他人と話すのが苦手なカナンにとっては、ほぼ遠隔でしか会話しないコール職は理想的だと思う。でもね、コール職同士は交流もあるだろうし、なにより怖ーい上司があれしろこれしろって後ろからごちゃごちゃ言ってきて、すっごく面倒くさいと思うよ?それに、隊員たちは女の子と話したくてたまらないからずっと無駄話に付き合わされるだろうし……」
「後ろから話しかけて来るなら目を見なくていいので楽です。同僚や隊員たちとは面倒なので馴れ合いません」
「くぅう、俺の婚約者は本当にクールでカッコいいんだから!……じゃなくて!もっと楽な仕事いくらでもあるでしょって言いたいんだよ!っていうか、無理して働く必要もないんだよ?」
「……アレを諦めさせる方が楽じゃありません」
「レヴィン……!!!」
再び怒りの矛先を向けられたレヴィンだったが、何が面白いのかけらけら笑ったままエーベルに向き直った。
「やっぱりお前のせいだと言っているぞ!俺の婚約者に迷惑をかけるのをやめろ」
「おいおいオマエ、恋人の前ではそんなキャラなのか?万年主席のエーベル様がまさかなぁ……くくくっ、みんなに教えちゃおっと。良いネタが出来たぜ」
「うるさい。嫌がらせするなら俺にしろよ」
「オマエにしても倍にしてやり返されるだけだろ?」
「カナンにするなら10倍にして返す。彼女から手を引け」
「おぉ、怖え怖え。それに、カナン嬢が貴重な人材だってことは、彼女と婚約してるお前が一番よく分かってるだろ?」
「貴様……ッ!!!」
(私が貴重な人材?婚約しているエーベルが一番よく分かってる?どういうこと?)
「……………………」
「違うんだカナン、俺が君に婚約を申し込んだのは……」
「騎士団の方々が私を採用したいのと同じ理由…………???」
「違う!違うんだカナン!!」
「レヴィン様?」
「うーん、どうしようかなぁ~。さすがにこれ以上言うとエーベルが怖いからな。まぁ後はお二人さんで解決してくれよな!じゃ、オレ面接あるから!」
「あ、おいレヴィン!!!」
そう言って早足で逃げていくレヴィンを目で追いながら、2人の間には気まずい空気が広がっていた。
「すまない、カナン」
「はぁ」
「あいつの言ってることは気にしなくていいから」
「…………」
「頼む、何か言ってくれ」
どう考えても言うべきことを言っていないのはエーベルの方だと思うのだが、彼はカナンにそれを言うつもりはないらしい。
「カナン……」
「…………いえ、別に」
「……別に?」
「……………………」
「……………………」
カナンはもう黙ることしか出来なかった。
「何か言ってくれはこちらのセリフです」と言えたら何かが変わっただろうかと思いながらも、それが”終わり”の言葉だということはさすがに理解していたからだ。
けれど何も語り合うことすら出来ず、ゆっくりと氷菓子が解けていくのを眺めることしか出来ない2人の関係が確実に”終わり”に近づいていることを、彼女たち自身も嫌というほど感じていた。
ーーーーー
結局カナンは魔道騎士団のコール係に就職した。
エーベルにはあれだけ止められたが、それでも彼女がこの仕事を選んだのは、中に入ればいろいろな謎が解けるだろうと思ったからだ。正直に言うと、もうすっきりしたかったのだ。
しかし、就職から半年経った今も、2人の関係は未だに変わっていなかった。
もはや修復不可能な関係だと考えていたカナンと違い、エーベルの方は相変わらず婚約関係を継続するつもりでいるらしく、この日も彼女の仕事終わりに本部に顔を出していた。
「カナン、今仕事終わり?一緒に宿舎まで帰ろう」
「は?エーベル!?いつの間に???さっきコマンドコールを出した時はまだかなり遠くに居たよね?」
「あはは、カナンって驚くと口数増えるよね!驚かせたくて急いで来ちゃった」
「はぁ……」
カナンが配属されたのは、意外にもエーベルと同じ特務部隊のコール係だった。
部署が同じになったことで接する機会も飛躍的に増えた。いや、エーベルが強引に接点を増やしていると言うべきかもしれない。
特務部隊のコールの仕事をしていると、彼がとんでもなく忙しいということは嫌でも理解できた。優秀がゆえにこなせているが、並の人間では代わりを務めることができないだろう。
「良かった。もう3日会えてなかったから、カナンがまた敬語にもどっちゃうんじゃないかって心配してたんだ」
「敬語?」
「あれ?もしかして無意識だった?敬語は無しにしようって一番最初に言ったのに、会えない期間が長くなるとすぐ敬語に戻ってたでしょ?」
「……そうだっけ?」
「そうだよ!あれ俺めちゃめちゃ寂しかったんだから!あー、また心の距離とられてるなって」
「実際、距離あいてたから仕方ない」
「グサッ……ひ、ひどい。俺は確かにボロボロになるほど忙しかったけど、毎日毎日手紙だけは必死に書いてたのに!」
「……………………」
「え、ちょっと!なんでそこで黙るの!?」
「はぁ………………」
エーベルはまだカナンが手紙の代筆のことに気づいていると知らないのだろう。知らないからといって自分から話題に出して来る神経もよく分からない。
激務とはいえ同じ宿舎に同じ職場だからといって心の距離が縮まっているかと考えると、そうでもないと思わされるのはこういうところだ。
まだ肝心なことを何も話せていない。私たちはただ溶けていく氷菓子を眺めるしかないあの気まずかった日の延命をずっとしているだけなのだ。
「エーベル、またカナンちゃんを困らせてる!」
「別にいいだろロニ。俺は婚約者が可愛くて仕方ないんだ!」
「あんたのそのキャラ、未だに慣れないのよ!デレデレしてんの違和感しかないんだから!!」
「ほっとけ!」
ロニというのは同じコール係を務める先輩女性団員だ。彼女もエーベルと同期で、彼がカナンに会いに来るたびに2人の気安い会話が繰り広げられていた。
さらりとしたストレートヘアにくっきりとした目鼻立ちのロニは、気の強いところはあるけれど、面倒見が良くて優しいとてもいい先輩だ。
こうして2人が話しているのを見ると、美男美女同士、絵になるなぁとつい思ってしまう。
エーベルに似合うのはやはりこういう分かりやすい美女だ。間違ってもカナンのような陰キャチビではない。
「うぷっ…………」
「おい、どうした?ロニ」
「……!ロニ先輩!?」
「いや、大丈夫。大丈夫なんだけどちょっと待って」
「大丈夫って、吐きそうじゃないですか!!」
カナンは慌てて自分のごみ箱をロニに渡そうとするが、背後からするりと伸びてきた大きな手が清潔な袋を渡し、そのまま彼女を楽な姿勢にするように抱きかかえる。
まさかエーベルが?と思い振り返ると、そこには予想外の人物が立っていた。
「え?レヴィン様!?」
「いやぁ、ロニが迷惑かけたな」
「ロニが……?迷惑かけた?????」
「そうだな、お前たちにはちゃんと説明しとかないといけないよな」
ポリポリと頭をかくレヴィンがすこし照れ臭そうにしているのを見て、カナンとエーベルは顔を見合わせた。
何も知らないのはどうやらカナンだけではないらしい。
「実は、ロニはオメデタなんだ」
「は?お前たち結婚してたのか!?」
「してない」
「はぁ???」
最近は常識も変わりつつあるとはいえ、貴族同士のデキ婚はかなりめずらしいことだ。
「一応確認するが、ロニ。本当にこいつの子なのか?」
「え?違うとかあるのか!?!?」
「バカ言わないで。ちゃんとアンタの子よ」
「驚いた。2人が付き合ってるのはもちろん知ってたが、レヴィンならともかく、まさかロニがこんな無計画なことをするなんて……」
「無計画なんかじゃないわ。計画的なデキ婚よ」
「はぁ????」
計画的という言葉とデキ婚という言葉があまりにもかけ離れていて理解できそうにない。頭の上に?マークをいっぱいに浮かべている2人に気づいたロニが説明を加える。
「私の家、ほら……特務部隊の家系だから……ね。結婚相手選ぶのよ」
「うち、母方の婆さんがな」
「???」
「だから正攻法では結婚を許してもらえなくて、こういう方法にするって話し合って決めてたの」
「カナン嬢には申し訳ないことをしたと思ってる。でもどうしてもコイツの後任が必要だったんだ」
「なるほ……ど?」
おそらくレヴィンはカナンを強引に騎士団に勧誘したことを言っているのだろう。
妊娠出産で職場から離れることになるロニのために後任を必死に探していたからこその熱心さだったと分かり、ようやく少し謎が解けた気分だ。
けれど、ロニの言葉の方が良く分からない。特務部隊の家系だと結婚相手を選ぶというのはどういう意味なのだろうか。レヴィンのお婆さんは一体何者なのだろうか。
「エーベル、これも同じ理由ですか?」
「いや、違うんだ。頼むから敬語にならないでくれ」
「そう言われましても……」
「ねぇエーベル」
まだ辛そうなロニが、少し顔をゆがめながらもエーベルに真剣なまなざしを向けて固い声をかかる。それに倣うようにレヴィンもまた、いつになく真面目な表情になる。
「もう全部話しなさい。話さない方が不誠実だわ」
「……俺はカナンを傷つけたくない」
「それは違うぜ。オマエはカナン嬢に見捨てられたくないんだ」
「…………」
エーベルは綺麗な眉を歪めて押し黙る。これでは彼がカナンにしがみついているようではないか。
この関係にしがみついているのはカナンだ。肝心なことを聞くのを怖がっている彼女が見捨てられることはあっても見捨てることはない。
血の気の消えたような顔をしたエーベルが何を考えているのか分からない。
「オレがカナン嬢を勧誘した理由はそれだけじゃないぜ。エーベル、オマエがビビッてたからだ」
「は?」
「あのままカナン嬢が別の場所に就職してたら確かに何の話し合いもなく結婚してただろうさ。でもそれで良いのか?」
「……結婚した後でいくらでも話し合えるだろ?」
「……それはオマエの言う対等な夫婦か?」
「……ッ!それは……」
「オマエは結婚の許可が出なくて悩んでるオレに言ったよな?対等な夫婦になりたいならとにかく2人で話し合えって」
「私たち、その言葉を聞いてデキ婚することを決めたの。2人で話し合って、ね」
「なぁカナン嬢」
「へ?」
完全に3人の世界だなと思っていたところで急に話題を振られて素っ頓狂な声を上げてしまった。
「カナン嬢はここで働く前、エーベルの事をどう思ってた?」
「……………………胡散臭い人だと思ってました」
「カナン!?」
レヴィンが盛大に噴出したが、エーベルに睨まれて無理やり黙らされる。
「じゃあカナンちゃん、一緒に働くようになってからはどう?彼、本当に忙しいのに頑張って一緒の時間作ろうとしてたでしょう?」
「……はい。なんでこんな凄い人が自分と婚約してるのかなと思って、可哀想に思いました」
「カナン!?!?そんなこと思ってたの!?」
「おいエーベル、もう分かっただろ。話し合えよ。骨は拾ってやるから」
「レヴィン……」
「カナンちゃん、怖がらなくて大丈夫だから。エーベルを信じて話を聞いてあげて」
「ロニ先輩……」
こうして2人は半ば強制的に話し合いをすることになった。
魔道騎士団本部と特務部隊用の宿舎をつなぐ敷地内道路の脇にあるベンチに2人で腰掛け、遠くで訓練する団員たちを眺める。
もう日没だというのに、訓練に励む者が多いようで、活気のある声がここまで聞こえて来る。宿舎に帰っていく団員たちが彼らにヤジを飛ばす。
この半年間で日常と思えるようになった風景だが、エーベルにとっては、飽きるほど見ている光景なのだろう。
チラリと盗み見た彼の横顔からは何の感情も読み取ることはできないが、同じものを一緒に見ていても、自分とは考えていることがまるで違うのだということだけはよく分かった。
(私、エーベルのこと、なんにも知らないや……)
同じものをようやく一緒に見られるようになったけれど、エーベルについては知らないことばかりだ。
いや、むしろ一緒に居る時間が増えてからの方が、彼について知らないことが多いと実感させられることが増えた気がする。
「カナンはさ、どうして特務部隊の宿舎が他の団員の宿舎と別か知ってる?」
「え?さぁ、生活リズムが違うからですか?」
違う事を考えているだろうとは思っていたけれど、思いがけない問いに少し驚きながらもカナンはおずおずと答える。
「俺達のは本部に近いよね」
「あっちは大所帯だから、単純に近くに建てられないだけでは?」
「うん、まぁそうなんだけど違くてさ。特務部隊は色々と特別なんだ」
「……確かに半年ほど勤めてみてそう感じます」
「他の隊に比べて、扱う秘密の量が桁違いだろ?だから、攫われて拷問されたりとかも可能性としてはあるんだ……あ、もちろんカナンの安全は俺が保証するけど」
「秘密ですか……」
この半年でカナンが携わった仕事は、新人ということもあってまだ軽い仕事ばかりだ。
けれど、最機密の仕事はすべてロニが担当しているのだろうということぐらいは、さすがのカナンも理解していた。
ロニが妊娠したとなれば、今後はそうした仕事もカナンが担当することになる。これからは今まで以上に忙しくなることだろう。
そう考えると二人の言う通り、今が話し合いをするのに丁度いい時期だったのかもしれない。
カナンは、婚約解消しても同じ職場とか気まずいかな?なんて考えながら別れ話をする覚悟を決める。
「カナン、それでその……」
「言いにくいなら言いましょうか」
「え?」
「さっきレヴィン様の話と今のエーベルの秘密を扱うという話でだいたい分かりました。エーベルがポピン家と婚約しなきゃいけなかったのは、我が家に外国の血が混ざった者がいないからですね?」
「……特務が君を採用したかった理由はそうだね。今は情勢が不安定だから、君のように純血の自国民で、王家に従順でかつ格式のある家の子を探してた」
我が家は代々陰キャ家系だから、外国へ行く者も居なければ、自国民以外と結婚するようなアクティブな人間もいない。
そういえば、両親も、両家の祖父母もみんな政略結婚だ。自分で婚約者を選んでくる気概がない一族なだけなのだが、まさかこういう時に重宝されるとは考えていなかった。
「でも、俺が君に婚約を申し込んだのは別の理由だよ」
「俺が申し込んだ?」
「そう。この婚約を言い出したのは俺なんだ」
「……エーベルとは婚約の時が初対面では?」
「そうだけど、俺はカナンを知っていた」
そう言ってエーベルはスッと目を細めて翳りゆく遠くの山をうすく睨むと、カナンを知ることになった経緯を話し出した。
「高等部1年の冬に、特務部隊のインターンに採用されたんだ。インターンって言っても、職業体験っていうよりは、採用のための実技試験に近かったかな。とはいえ正規団員でもない俺に回って来た仕事は、当時導入が検討されていた特務部隊のコール職に採用可能な人材の調査だった」
「人材の調査?特務はそんなことまでするの!?」
「うん。特務の人間はもれなく全員、素行調査されてるよ」
「知らなかった……」
「ははは、それは調査員冥利に尽きる言葉だな。当時の俺はバレないかビクビクしながら調査してたから褒められて嬉しいよ」
「エーベルが私のことを調査してたの!?」
「そいうこと」
エーベルがインターンをしたのが高等部1年の時だということは、その時カナンは中等部の1年だったはずだ。今よりもっと幼かったカナンの事をエーベルに知られていたと分かり、羞恥心がこみあげて来る。
一体何を見られていたのだろうか。粗相などしていなかった自信がない。
「こんなストーカーみたいなこと、不快だよね。本当にごめん」
「いや、大丈夫。それも仕事だって分かってる。それより、調査対象は他にもそれなりにいたはずでは?」
「うん。当時はロニもそうだった。ロニの親は純血と結婚させたがってて、俺にも婚約の打診が来てたんだ」
「あー、確かに。お似合いですもんね」
「カナンの口からそういう言葉、あんまり聞きたくない」
「……ごめん」
つい口をついた言葉だったが、エーベルに発言ごと否定されてしまった。
「俺は彼ら2人が秘密の恋人だってこと、その時に知ったんだ。2人を応援したいって思った」
「だから、焦って私と婚約して、ロニ先輩との婚約を回避したと?」
「違う違う。あーでも、俺も婚約者を見つけようって思ったのはそれがきっかけだったかな。……2人が対等な良い恋人に見えて羨ましかったのかも」
「エーベル……」
エーベルにとっての理想の恋人像がまさかあの2人のことだったとは思わなかったが、カナンにはなんとなく、その時の彼を想像出来る気がした。
とはいえ対等な相手を探して年下の相手に行きついたエーベルの思考回路がよく分からない。対等な相手をというのなら、大人びているエーベルであれば年上の相手でもいいぐらいだろうに。
よほど他の候補者の条件や素行が悪かったのだろうか。
「で、都合のいいカモが私だったわけですね」
「……君に惚れたのはその年で一番寒い日だった」
「ほ!?惚れ!?!?」
「君はその日、学校帰りに見慣れない高学年の生徒数人と一緒に下校していたんだ」
「…………」
覚えている。その日は確か「話がある」と言われ、知らない先輩に無理やり家とは反対方向にある高台まで連れて行かれたのだ。
珍しく朝から雪が降っていて、脛の高さまで積もった雪を押しつぶしながら、転ばないように歩きつつ「なんで私がこんな目に……」と心の中で舌打ちしていたのを思い出す。
「君はちょっと怖い雰囲気の先輩たち5人に囲まれて「メリアンヌ嬢の弱みを吐け」って言われたんだよね」
「……そうでしたっけ?面倒くさいのに囲まれた覚えはあるけど内容までは……」
「あはは、君らしいね。でも俺はよく覚えてるよ。どうやらボス女の狙っていた男がメリアンヌ嬢と恋仲になりかけていたとかで、彼女と親しい君を脅して得た情報で恋路を阻止しようとしていたんだね」
「あー。なんとなく思い出した……かも?」
「メリアンヌ嬢の弱みを教えるまで家に返さないなんて言われても、君は口を割らなかった。夕方になって日が暮れて、雪がどんどん降り積もってきて、先輩たちが何人帰っても、ポピン家の筆頭執事が大慌てで迎えに来るまで君は一言たりとも口を割らなかった」
「そうでしたっけ?」
相当怖かったのは覚えている。あと、寒すぎて倒れそうだったのも覚えている。でもなんでそんなことになってしまったのかはすっかり忘れてしまっていた。
時間の無駄だなぁ、帰りたいなぁ、寒いなぁ、怖いなぁという思いがぐるぐると駆け巡って、5対1じゃ逃げきれないからせめて誰か家の人間が迎えに来るまで待って、報復してもらう算段をつけようと考えていたような気がする。
「うん。相手は伯爵家の令嬢相手に手こそ出さなかったけれど、いつでもやってやるって感じでさ。俺もいつ飛び出すべきかひやひやしたもんだよ」
「それ、エーベルが出て来ちゃったら話がややこしくならない?」
「確かに特務の仕事としては0点だろうけど、か弱い女の子一人がやられるなんてことになるなら俺はためらいなく仲裁に入るつもりだったよ」
「エーベル……」
数年越しに当時の修羅場をエーベルに守られていたことを知り、なんとも言えない気分になる。エーベルはいつも「何かあれば俺が守る」と口にしていたが、こんなに昔から本当に守ってくれていたなんて思いもしなかった。
とういうか、エーベルがそんなところに仲裁に入れば、確実に先輩達に惚れられてより事態がややこしくなっていた気がしてならない。
「あんたを助けに来たあのイケメンは誰よ!!!」とメリアンヌの代わりに粘着されてしまっていたことだろう。
「俺はさ、そんな状況でも友達を売らない君に心を打たれたんだ。でも、仕事上知り得たことだから、誰にも君の話をすることが出来なくて、でもどうしてもこの感動をどこかに発散させたくて……」
「出来なくて……?」
「……その、つい報告書に書いてしまったんだ。カナン・ポピンは脅しにも屈しない口の堅さを持つ、特務部隊にとって理想的な人材だって」
「はい!?」
予想外だ。まさか、レヴィンの執拗な勧誘の裏に、エーベルの後押しがあったとは。
「あれ?でも私が魔道騎士団に入るの止めてなかった?」
「冷静になってから慌てたよ。自分のレポートのせいでか弱い君を魔道騎士団みたいな激務でむさくるしい場所で働かせることになってしまうかもって気づいた時にはもう手遅れだった」
「あー、それで罪滅ぼしで婚約を?」
「違う。その時には俺はもうとっくに君に惚れていたんだ。だから、君を守りたくて婚約を焦ったんだ。事前に釘を刺しておいたのにまさかレヴィンがそんなに強引に君を勧誘するとは思ってもみなかったからね」
「なるほど」
「俺が特務に入りたいのはうちの親も知ってたから、特務で出世するなら純血の婚約者をって話になって、とんとん拍子で話が進んだという感じかな」
どうやら、エーベルはカナンの人生を相当前から左右していたらしい。逆に、エーベルの人生のことも、カナンはかなり前から左右させてしまってたのだと知る。
(ほら、やっぱり何にも知らない)
「え?」
どうやら思っていたことが声に出てしまっていたらしい。
「やっぱりって何?知らないって何が?」
「…………」
「お願い、教えて」
エーベルは懇願するようにじりりと顔を寄せて聞いてくるが、こんなものはもはや問い詰めだ。
こんな時もエーベルの顔は彫刻のように綺麗で、こんな相手に自分の腹の中のどす黒い感情をぶちまけることに戸惑いを感じてしまう。
「……エーベルの事知らないと思って」
「ずっとってことは、知りたかったって思ってくれてたってこと?嬉しい。なんでも聞いてよ。カナンにならなんでも答えるよ」
「…………」
なんでも答えると嬉しそうに言われても、なんと答えていいか分からない。なんといっても、エーベルについて知らないことだらけなのだ。
「全部知らない」
「そんなはずないよ!婚約からもう4年半だよ?そりゃ会えない期間もあったけど、全部知らないなんてことはないだろう?」
「だって、エーベルは私の事調査したから知ってるんでしょ?」
「!」
自分で口に出しておいて自分で腑に落ちた。エーベルのことを何も知らないと感じる理由。
カナンがエーベルを知らないのではなく、カナンも知らない内にエーベルがカナンの事を知っていた。だから、お互いの理解度に差が生まれ、違和感を感じていたのだ。
「私は知らない。エーベルが何を好きなのかも、何を考えているのかも、同期の方々が言ういつものエーベルを何も知らない」
「そうだよね、ごめん。会えなかった時期に手紙で沢山書いたんだけど、あんなに沢山書いても読めなかったよね」
手紙を書いていたのは執事だと認めるつもりはないらしい。
しかし、執事の知るエーベルの好きなものが書いてあった可能性については考えていなかった。てっきり執事のおじいちゃんの好物の話だと思って読んでしまっていた。
「俺が好きなのは…………カナンだよ」
「……はい?」
てっきり手紙にあったアールグレイのクッキーとカルダモンのミルクの話かと思っていたので、エーベルのこの返答にカナンは意表を突かれた。
「カナンによく思われたくてカッコイイ自分を演じてるところがあったから、確かに君と話す俺は同期のどうでもいいやつらといる時とは少し違ってるかもしれないけど、でも、これは決して嘘をついてるわけじゃないんだ。ただ、君に好きになってもらいたくて……何考えてるかなんて聞かれても、俺はカナンのことしか考えてないよ」
「はぁ」
あまりにも思いがけない返答に、どう答えていいか分からず、呆れたような声を出してしまったのだが、このいい加減な相槌がどうやら彼の心に火を点けてしまったらしい。
「引かないで欲しいんだけど……いや、引かれてもいいや。ねぇ、俺を知ってよ。俺、本当に君のことしか考えてないよ。今も昔も、ずっと」
切なげな少し潤んだ目でこの男にこんな切実なセリフを吐かれて赤面しない女はこの世にいないだろう。彼の目からは自分の事を知って欲しいという強い気持ちがひしひしと伝わってきて、少しだけ触れている肩が熱い。
「一目見た時から本当に可愛くて目が離せなかった。ずっと見守っていたくて、他の候補者の調査をそっちのけでカナンの事を調査してたぐらいにはもうその時には好きだった。婚約が本当に成立するって聞いて嬉しすぎて布団の上を転げ回ったし、婚約の食事会で久々に会ったカナンが美人になってて、こんなに素敵な子と結婚できるんだって思ったら有頂天になった。君とのお茶会の前日は毎回夜眠れなかった。でも、仕事が始まって、変わってしまった」
「変わった?」
「全然会えなくなった。戦場に行っていた時期は1年近く会えなかった……会いたかった。その時期は本当につらくて、君の手紙だけが唯一の救いだった。手紙を少しでも長く書けば、1文字でも多く返事をくれる気がして、必死に書いた。君の手紙は一枚にまとまっているからありがたかった……仕事用に配布される小さいポシェットにいつも忍ばせていたんだ。危険な仕事も多かったから、お守り代わり……いや、最悪死ぬときは君の手紙と一緒に死にたいって思ってた、かな」
「………………墓参り」
「………………え?」
愚痴にも近い恋情の吐露に、どんな反応をするかとひやひやしていたエーベルだったが、カナンが思いがけない言葉を返してきたことで目を見開く。
「戦場に行ってたのに誰の墓参りだったの?エーベル、隣国の血は混ざってないんでしょ?」
「あ、うん。俺の勉強の先生だった人が国境地域の小国の出身で、それで墓参りを……って、そんな手紙の内容覚えてると思わなかった……」
「そんなところで時計が壊れて直したの?」
「うん……そういえばそんなこともあったかも。手紙に書いたっけ?その時は確か、王都で直したばかりの時計が仕事中に壊れて、本当に困ってて……あれ、どうしたんだっけ」
「田舎町の時計屋に仕方なく入ったらとんでもなく腕の良い職人さんが1分で直してくれて、こんなちょっとの修理じゃ金はとれないって言われたから、後日山ほどお礼を持っていったんだよね」
「そう。……そうだけど、え、どうして覚えてるの?」
「どう、して……?」
そう言って自分自身でも不思議だという表情をしているカナンの雪兎のような真っ白な頬が、みるみるうちに朱色に染まっていく。
混乱を隠せないていない自覚はあるが「まさか」とか、「本当に書いてたの?」などと口走っている言葉がエーベルの耳に届いていることにまで気が回らない。
自分の考えが口から飛び出してしまっていたことに気づいたカナンは、エーベルの顔をみて一瞬顔を青くしたけれど、みるみるうちに赤くなっていく。
だって仕方がない。あんな長文の手紙貰う義理なんてないと思ってたのに、昔から自分を知っていて好きでいてくれて、忙しい中であんな長文の手紙を3日と空けずに送ってくれていたのが彼の恋情からだと知ってしまったら、カナンはもうどんな顔をしたらいいのか分からなくなってしまっていた。
しかも、そんな愛情たっぷりの手紙を代筆だと思っていたのだからなおさらだ。
「ありがとう」
「……え?」
てっきり「本当に書いてたの?」と口走ってしまっていたことに対するお叱りが飛んでくるものと思っていたカナンはエーベルの優しい笑顔と共に向けられた感謝の言葉に脳みそを真っ白にさせられた。
「……今までありがとう、さようなら……ってこと?」
「なんでそうなるの!全然違うよ!俺でも忘れていたようなことを、君が覚えていてくれたことが本当に嬉しかったんだ。本当にありがとう」
「あぁうん、そう……」
ベンチ椅子に隣同士で腰掛けていたエーベルが腰を捻ってカナンを抱きしめる。気づけばあたりはすっかりと日が落ち、あたりに人の気配は幸いない。
夜になって冷たくなった風から庇うように抱きしめるエーベルの腕に力がこもる。
けれど、カナンがその抱擁に応えることはない。
カナンの頭の中は今、まだ手紙の差出人が本当にエーベルだったことに驚き続けており、立て続けに豪雨のように浴びせかけられるエーベルからの愛情に溺れる寸前になっていてそれどころではなかった。
「カナン、俺は君が大好きだ」
「……うん」
パンクした頭でなんとか考えついた答えを肯定する言葉を素直に口に出され、つい「うん」と言ってしまったが、まだカナン自身、エーベルの好意を受け入れられたわけではない。
どうしても、何度考えても「どうしてこんなイケメンが私を???」と考えてしまう。そんなカナンに畳みかけるように、少し顔を赤くして甘くとろけるような声でエーベルが畳みかける。
「君が俺の事をどう思っていても構わない。でも、お願いだ。ずっと君の事を好きでいさせて欲しい。君に多くは望まない。仕事なんてしなくていいし、不自由な思いはさせないって約束する。君の側にいたいんだ」
「……うん」
「俺と結婚して欲しい」
「それは嫌」
「え?」
ずっとパンク状態だったカナンの脳みそが、反射的にNOを告げる。
「そ……そうか。ごめん」
「ん?」
「そうだよな、カナンはこの婚約をずっと解消したがってたんだもんな」
「いや、ちがくて」
「…………………え?」
「婚約を解消したいわけがない」
「…………えっと、婚約を解消する気はないけど、結婚はしないの?」
「違う」
「???????」
(あーーーー!私はなんでこんな時にも口下手なの!エーベルはこんな奴のどこがいいのよ!!もう!)
けれど、どうしてもこれだけは譲れないという気持ちがカナンにはあった。
これだけの想いをくれたエーベルにカナンが応えられるもの。応えたいと思えるものが明確にあるのに上手く伝えられない。
カナンは大きく深呼吸をして、エーベルに向き合う覚悟を決める。
対してエーベルは一度谷底深くに叩き起こされた感情をなんとかなだめすかし、言葉少ないこの恋人の意図をゆっくりと探っていく。実際、内心はもはやぐちゃぐちゃだが「まだフラれていない」という事実がギリギリ彼の理性を保っていた。
「えっと、何がひっかかってるの?」
「……戦地で私の手紙と死ぬ覚悟だったって」
「う、うん。そうだけど?」
「これからもエーベルはそういう仕事がきっとあると思う。……私は、それを家でぼーっと待っていたくない」
見切り発車で口に出していった言葉に感情が追い付いていく。そうだ。そんな想いで仕事をしているエーベルを、カナンが尊敬していた。カッコいいと思っていた。
そんな彼を所有したいわけでも、使役したいわけでもないのだ。
以前ならどうしていいか分からないからこそ、彼との対等な関係を思い浮かべられなかった、けれど、今のカナンなら、彼と対等になる方法があると誇りをもって言える。
「ぼーっと待っていたくないって、どういう意味?前より長い手紙を持たせてくれるの?」
「違う。私はコールをする。エーベルの生存確率が上がるような指示や情報をどんどん提供する」
「え?」
「エーベルがもし死ぬなら、その時の担当コールは私がいい。エーベルが見た最後の景色を私もコールの席でちゃんと見届ける。それが私の目指したい夫婦平等だと思う」
「カナン……」
カナンの口から初めて夫婦という言葉を聞く。
その言葉を真正面から受け止めたエーベルの胸に、温かい物が広がっていく。
夫婦平等という目標について彼女はずっと考えててくれていたのだ。そして、エーベルとがっぷりと肩を組み合って支え合うことこそが彼女のたどりついた結論だったという事実に胸が震えた。
エーベルは再びカナンを抱きしめる。
「いいの?本当に俺と結婚して、夫婦としてもコール係としても支えてくれるの?」
「いや、むしろ今さら他の婚約者と1から仲良くなれって言われたら、だいぶ疲れるしだるいかも」
「あはははは、そうだよね。俺のカナンはそういう子だった!」
エーベルがいつまでも楽しそうに笑う。つられてカナンも少し笑う。
カナンにとって気後れするほどの婚約者は、もう5年以上もカナンのことだけを思い続けていてくれたのだ。未だににわかには信じられないという気持ちが消えないけれど、それでもいい。
結婚して、彼の担当のコールでいる限り、彼の死を見届けられるの特権を得られるのはこの世でカナンだけ。
そんな特等席に座る権利をもらえたのに、これ以上あれこれと求めては罰が当たるというものだ。
「カナン、ありがとう。そのままの愛してるよ、ずっと一緒にいよう」
「エーベル……」
私も、と言いかけて口籠る自分が嫌になる。
心臓は口から飛び出しそうだし、目はなぜか滲んでくるし、もう感情がぐちゃぐちゃだ。
最初は謎解き気分で始まった交際だったけれど、カナンだって、とっくにエーベルのことを好きになっていると自覚していた。
とはいえ好きだとか、愛してるなんて言葉をホイホイ言えていたら、そもそもこんなすれ違いは起きていない。
なんとか呼吸を落ち着かせようと深呼吸を続けていると、抱きしめてくれているエーベルの心音が異常に早いことに嫌でも気づいてしまう。
こんな心音をさせている癖に、こんなにも優しく髪を撫でてくる。視線を上げればエーベルの熱っぽい視線と絡み合って、どうにかなってしまいそうだ。
小心者のカナンに恋情を言葉にする勇気などあるはずがない。けれど、口にしなければ無いものと思われてしまう。それが嫌でもどかしいのに、どうしていいか分からない。
「知ってほしい……」
「え?」
「さっきエーベルが言った気持ちが私も分かった」
「どういうこと?」
「つまり……」
逃げ場を失い、パニック状態のカナンはエーベルの口元にキスを落とす。
口の横からに触れるか触れないかという小心者のキスだけれど、カナンの想いはエーベルに十分に伝わった。
いや、エーベルだからこそ「あのカナンが」急にこんな行動にまで出た意味を眩暈がするほど理解していた。
「ん……ふっ……」
「カナン…………可愛すぎ、んっ……」
「エーベル、待って…………ひゃう……」
突然襲ってくる貪るようなキスの応酬に、逆に冷静になってくる。そういえば、暗くて誰もいないが、ここは魔道騎士団本部前のベンチだった。
口下手なカナンなりに、なんとかして彼を止めようとしてよくわからない言葉が口から飛び出る。
「……あ、安心してエーベル!葬式まで私がちゃんと面倒見るから!!!」
「……なんか思ってたのと違うけどどうしよう、すごく嬉しい……」
こうして、特務部隊最高の夫婦が誕生したのだった。
激務のため、2人の結婚式は結局、ロニが産休から帰って来るまで開かれることはなかった。
魔道騎士団本部の真隣の敷地に2人の新居が建てられ、今度はカナンが産休に入ると、エーベルもここぞとばかりに有休を消化し、ろくに本部に顔を出さなくなった。
「俺のコール係はカナンなんです。カナンが居ない時に危険な仕事は絶対にしませんから!!!」
エーベルはこう言って、夫婦の約束を守り続けたのだった。
毎週水曜日に「言語オタの旅好きがコロナで発狂したら植物学者と異世界にいました」を更新中です!
短編は毎月、月末に投稿しています。
「物書き令嬢は婚約者の兄に断罪される」がコメディ部門日間ランキング3位に入りました!お読みいただきありがとうございます。