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その研究室は、なんともすごいことになっていた。
「おいっ!? ヴィアルド!! しっかりしろっ。正気を取り戻せっ!! 聞いているのかっ!! ヴィアルド!!」
同僚の男は、懸命に室内にいるであろうその元凶に向けて声をかける。けれど返事はない。
「お前、このままじゃ研究所ごと……いや、下手をすればこの国ごと吹っ飛ばしかねないぞっ!! おぉいっ!! ヴィアルド!!」
ガシャンッ!! ゴトンッ!!
ミシッ……!! ピシッ!!
轟音とともに、すさまじい風が室内に吹き荒れる。それはわずかに青や緑に発光しながら渦を巻いて、研究所全体を覆い尽くそうとしていた。
「くそっ……!! まさか魔力が暴走するとは…!! 魔力がありすぎるのも両刃だな……」
思わずその凄まじさに感嘆の声をもらす。いや、そんな悠長なことを考えている場合ではないのは分かっているが、それでも思わず感心せずにはいられない。
それほどまでに、ヴィアルドの魔力は桁違いだった。
魔力暴走――、それは魔力を有している人間が何らかの原因でそれを制御できなくなる事象である。
今まさにそれが目の前で起きていた。とてつもなく破壊的な尋常ではない力の魔力暴走が。
ヒュンッ……!! ガシャリッ!!
「ひっ……!! ま……まじかよ……」
瞬間、男の顔の横すれすれを割れたガラス瓶の切っ先が通り過ぎていった。ほんのわずかずれていたらきっと死んでいたかもしれないそれに、顔面を蒼白にしながら男はなおも叫び続ける。
「おいっ!! ヴィアルド、落ち着くんだっ!! 魔力を今すぐ止めろっ!! あんな噂ごときで国を壊す気かぁぁぁっ!」
そう叫んだ時だった。中からくぐもったうなり声が聞こえたのは。
「ごとき……だと!? ごとき……??」
「おっ……!? ヴィアルド??」
ようやく返ってきたその反応に、やったとばかりに目を輝かせる。だが。
「あんな……噂ごときじゃ……ない……!! ……もしあの噂が本当なら、私は……私は……フラウベルの長年の恋を邪魔したことに……。……王族が相手じゃ、勝てっこない……」
「そう思い詰めるな……! お前が先に婚約を申し込んだんだし、フラウベルちゃんだってあんなに甲斐甲斐しくお前に会いにきてたじゃないか!! お前のことを好いている証拠だろ? 自信を持て!!」
けれどヴィアルドの魔力の威力は収まらない。
「だめだ……。あのガーランド家の令嬢相手にこんな魔力があったところで何の意味も……。こんな最弱の情けない男に、価値なんて……」
今にも泣きそうな情けない声が、室内から聞こえてくる。
「そんなの今にはじまったことじゃないだろうに……。まったく面倒くさい奴だな……」
思わず男の口から本音がこぼれ落ちた。
それは紛れもない事実ではあった。ヴィアルドは魔力という意味においては大天才だが、物理的な力で言えば最弱だった。たぶんその辺の十才児と喧嘩しても負けてしまうくらいには。
それをなんとかフラウベルには知られまいと、必死だったのも知っている。
けれど、結婚してしまえばそんなことはすぐに相手に知れてしまうのに、と生ぬるい目で見守っていたのはどうやら失敗だったらしい。まさか国の存亡の危機を心配する羽目になるとは思いもしなかった。
「いいか、お前は確かに力は弱い。でもそれがどうした? 魔力でいくらでもカバーできるだろうが! それにフラウベルちゃんだって、そんなもんお前には求めてないさ」
そんなのはいくらでも実家がなんとかしてくれるだろう。なんといってもあのガーランド家の令嬢なんだし。
「でも……、フラウベルのまわりには筋肉の塊みたいなたくましい男が山程いるんだぞ? なのによりにもよってこんな最弱男と婚約なんて……、きっと後悔してるに違いない。なら今すぐ婚約を破棄してあの王子と……」
どうやらあの噂を鵜呑みにしているらしいヴィアルドに、あきれてため息を吐き出した。
そんなことあるはずがないだろう。
本当に他に恋する男がいるのなら、あんなひたむきなうっとりした目でヴィアルドを見つめているわけがない。あれは間違いなくお前に心から恋焦がれている顔だ。
そう言いかけたその時だった。
バタンッ!!
「ヴィアルド様っ!? それは根も葉もない噂ですっ!! 事実無根なのです!! 私は……、私は……!! ヴィアルド様のことを……!!」
研究室のドアが開き、息を切らせたフラウベルが姿を現したのだった。