女子集団に絡まれるのは想定の範囲内です
「貴女、いったいどういうつもりですの?」
放課後である。生徒会室へ向かう道すがら、リーゼは女子の集団に見事捕まった。
抜群のチームワークを発揮した彼女達に囲まれながら、あれよあれよと人気のない校舎の裏側まで連れて来られる。数は五人。タイの色はバラバラだ。
「どういうつもり、というのは私の生徒会入りのことを指しているのでしょうか?」
ある意味では想定内の事態にリーゼは冷静に対応しようと姿勢を正す。
そんなリーゼの殊勝な態度ですら気障りなのか、令嬢たちは揃って顔を赤くし捲し立ててきた。
「分かってるならさっさと辞退しなさいよ!」
「身の程知らずにもほどがあるわ!!」
「どうやってフェリクス様に取り入ったか知りませんが、分不相応だと分かりませんこと?」
「しかも貴女シュトレーメル伯爵令息にも色目を使ってるんでしょう! 最低だわ!」
「恥を知りなさい、この下民!!!」
人目がないことを良いことに言いたい放題だ。ジークヴァルトとのペアのことはさておき、フェリクスとの関係はリーゼとしても大変不本意なものである。しかしそれを説明できない以上、リーゼが取れる行動は限られていた。
「……申し訳ございませんが、辞退の件は了承いたしかねます。不服でしたら是非フェルゼンシュタイン生徒会長に直接お話しください」
そう言って深々と頭を下げても、彼女達の溜飲は下がる訳もなく。
「生意気な! 平民風情がわたくし達に歯向かうつもり!?」
「ッ!? ……ぃったぁ……っ」
集団の先頭に立っていた三回生の女子が手にしていた扇子でもってリーゼの頬を遠慮なしに打擲した。女性の力とはいえ、あまりの痛みに思わず呻いてしまう。しかも口の中を切ってしまったらしく、唇の端から血が滲んでくる。その様子がお気に召したのか、後ろに控えていた女子たちがクスクスと厭らしい笑い声を上げた。
「いいこと? これより酷い目に遭わされたくなければ自主的に行動なさい。猶予をあげるだけ感謝することね」
こちらの怪我も顧みず、言いたいことだけ言い捨てて女子集団は去っていく。残されたリーゼは痛む頬を押さえながら、堪らずぼやいた。
「はぁ……しんどい」
フェリクスに弱みを握られてから、おおよそ二週間。
靴箱にゴミを入れられたり、物を隠されたり、廊下を歩いている途中で足を引っかけられたりなど地味な嫌がらせはあったが、直接恫喝と暴力に訴えられたのは初めてだった。
ジンジンと熱を持ち始めた左頬を軽く擦りながら、リーゼは無意識のうちに治癒魔法を詠唱しようとし――途中で止めた。治癒魔法は行使者本人を癒すことが出来ないことを思い出したからだ。
(どうしよう……保健室に寄るべきかな。この顔のままじゃ流石に生徒会室に行きづらいし)
はぁ、と大きく溜息を吐いた後、リーゼは保健室を目指して歩き始める。
だがその途中、渡り廊下で思いがけない人物と行き会ってしまった。
「……その顔どうした」
珍しく目を見開いてそう声を掛けてきたのはジークヴァルトだった。
鞄を手にしていることから下校するつもりなのだろう。リーゼは内心で嫌なところを見られたなと嘆息しつつ、困ったようにへらりと笑ってみせた。
「ちょっと転んじゃって今から保健室に行くところです。ジークは帰宅途中で――」
「少し黙ってろ」
あまり向けられたことがない低い声に驚いて言葉が勝手に止まる。それとほぼ同時に、ジークヴァルトはリーゼの左頬に手を伸ばしてきた。そのまま大きな掌がリーゼの頬を包み込んだ瞬間、金色の光が視界を淡く染める。そしてものの数秒ほどで、リーゼの頬から痛みが消え去ってしまった。
「まさか……無詠唱!? え、すごい!」
「おい、気にするところはそこじゃねぇだろうが」
呆れたような声と共にジークヴァルトの右手が離れていく。入れ替わりにリーゼは自分の左頬を触ってみるが、腫れや痛みなどの自覚症状は完全になくなっていた。
「他に痛むところは?」
「あ、だ、大丈夫っ! ……ありがとうございます、とっても助かりました。それにしても凄いですね、治癒の無詠唱なんて初めて見ました」
魔法は特定の呪文詠唱を媒介として行使するのが一般的である。しかし熟練者ともなれば詠唱無しでも魔法を行使することが可能だ。ただし呪文詠唱と比べて魔力のコントロールが格段に難しいので、学院生で無詠唱魔法を使える存在は稀有だ。
娼館でフェリクスも風と火の魔法を無詠唱で使用していたが、まさか身近に二人も無詠唱の使い手がいるとは驚きを隠せない。
しかもジークヴァルトが行使したのは光属性の治癒魔法。七つの魔法属性の中でも扱いが難しいとされるそれを平然とやってのける辺り、彼の実力が垣間見える。
改めてジークヴァルトとペアを組めた幸運に感謝していると、彼は未だに難しい顔をしながら乱雑に髪を掻き上げた。
「……で、それは誰にやられたんだ」
確信を持った物言いに、誤魔化すのは不可能だと悟る。
「えーっと、名前も知らない人たち、ですかね」
「は?」
「いえ、突然集団で囲まれた感じなんで」
「原因は……あれか。生徒会の」
「あ、よくご存じで」
噂に疎そうなジークヴァルトですら知っているということは、学院で最早知らぬ者はいないだろう。
「こんな嫌がらせされるぐらいなら辞めたらどうだ」
尤も過ぎる意見に、リーゼは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
「それがちょっと事情がありまして。大丈夫、何か対策も考えますから」
正直、一年もの間この状態が続くのはリーゼとしても勘弁願いたい。
だが相手は貴族の子女たちである。今すぐ学院に訴えたところで揉み消されそうなので、証拠や証言者の確保などが必須になって来るだろう。頭の痛いことだが、やられっぱなしというのも性に合わない。必ず状況は改善してみせる。
そんな風に内心で決意を固めるリーゼに対し、ジークヴァルトが胡乱な目を向けてくる。どうやらあまり信用されていないらしい。しかし彼はしばし思案するような素振りを見せた後でどこか諦めたように、
「……なるべく一人にはなるなよ」
とだけ言った。リーゼはその言葉にコクコクと頷く。
「心配してくれて、ありがとうございます」
見た目や雰囲気によらず、ジークヴァルトはとても優しい。それを実感しながら笑顔でお礼を言えば、彼はややバツの悪そうな表情を浮かべる。もしかしたらお礼を言われ慣れていなくて、照れてるのかもしれない。
「じゃあ、私は生徒会に行きますね。また明日」
「……やっぱり何もわかってねぇ」
「え?」
「一人になるなって言った直後に一人にするわけねぇだろ。生徒会室まで送る」
「え!?」
有無を言わさずジークヴァルトはリーゼの手を掴んで歩き出す。
「いや、そんな悪いです! 流石に今日はもう絡まれないと思いますし……っ」
「俺が勝手にやってんだから気にするな。それと敬語」
「け、敬語?」
「これからはタメ口でいい。その方が俺も気が楽だ」
貴族らしからぬその物言いに、リーゼは本日何度目かの苦笑を漏らす。
だが、彼の気遣いが嬉しいのも事実だったので最終的には素直に甘えることにした。
「本当にありがとね、ジーク」
「……」
返事の代わりに繋いだ手が少し強く握り返されたのが、とてもくすぐったかった。