ふたりきりの生徒会室
「君、あのシュトレーメルと実技のペアを組むことになったというのは本当?」
ペア決めの授業が行われた日の昼、生徒会室にて。
リーゼが見たことのないほど豪華かつ品数豊富なランチを広げるフェリクスが不意に訊ねてきた。
「耳が早いですね……決まったのはつい数時間前ですよ?」
「この程度の情報は黙っていても勝手に入ってくるものだよ。シュトレーメルは二回生の中でも抜きんでた実力者だし、君は君で最近は注目の的だからね」
「それ、ほぼ先輩の所為ですけどね」
「違いないね」
まったく悪びれる様子もないフェリクスにリーゼは恨みがましい視線を向ける。
中庭での一件から一気に噂は広まり、おそらく学院内のほぼ全員がリーゼの生徒会入りを知るところとなった。その結果、ひとたび廊下を歩けばヒソヒソ、教室に入ればコソコソと話題の中心になってしまったことを直に感じている。
「しかしまぁ、シュトレーメルとペアになったことでまた知名度が上がってしまうが、くれぐれもヘマはするなよ? もし僕に迷惑が掛かる事態になったら……残念だが、君を切り捨てざるを得なくなる」
「分かってますよ。私も人生が掛かってますし」
「結構。……しかし君の食事は代わり映えしないね。飽きないの?」
こちらのランチボックスを覗き込みながらフェリクスが何気なく言う。今日の中身は安定の卵サンドである。ハムはとっくに使い切ったので卵サンドオンリーだ。
「飽きるもなにも、これが一番安上がりですので。昼食を贅沢に出来るほど私の懐事情は優しくないんですよ」
ちなみに飲み物は食堂から貰って来た水である。美味しい水が無料というのは大変素晴らしい。
「へぇ、想像よりも遥かに苦学生なんだな君は」
同情するというよりも事実を確認するような声音だった。だからだろうか不快感はあまりない。
そんなことより、とリーゼは手早く卵サンドを胃に落とし込むとランチボックスを片付けた。
そして生徒会業務に必要な資料を揃えている棚から、過去三年分の実績報告書をはじめとした資料を引っ張り出してくる。生徒会の業務に関わることになった手前、必要な知識はしっかり押さえておきたい。
「そして想像以上に仕事熱心だね、感心感心」
「やるからにはちゃんとやりますよ。というか、今までこの業務内容をほぼ一人で回していたという先輩に私は驚きを隠せませんが……そもそも他の生徒会の方々は?」
ここ数日、生徒会室に出入りをしているが全く見かけない。
全校集会等で生徒会メンバーの顔ぶれは知っている。全員が高位貴族で、最低でもフェリクスのほかに副会長と会計、書記が居るはずだが――
「ああ、彼らは必要最低限の業務にしか関わってないよ。実家の権力で生徒会入りをした奴らだから各方面に媚を売るのに忙しくて使い物にならない。簡単な作業はプライドが邪魔するのか露骨に嫌がるしで正直、僕一人で回した方がよほど円滑なんだよね」
俄かには信じがたいが、おそらく事実なのだろう。まだ数日の付き合いだがフェリクスの優秀さには舌を巻いていた。とにかく決断が早い。そして指示が端的かつ的確だ。リーゼの疑問にも即答するし、すべての内容が頭に入っていなければ到底こうはならない。
「けど、君が入ってくれたことで事務処理の速度はかなり上がってるよ。細かい雑務を片付けて貰うだけでもだいぶ違うものだね」
裏を返せば、まだその程度の戦力にしかなっていないということだ。
事務作業能力に多少の自負があるリーゼとしては、その程度で満足されるのは業腹だ。
「……来週からはもう少し戦力に数えて貰えるように頑張ります」
「そういう負けず嫌いなところも好きだよ。期待している」
さらりとした返しにも余裕が窺える。なんだかとても悔しいが、悔しがる暇があるなら少しでも知識を蓄えて結果を出すべきだろう。娼館の業務もそうだが、結果を出せて初めて価値が生まれる。ただ努力するだけでは駄目なのだ。そうでなければ本当に一年を待たずクビを切られかねない。
「とりあえず、当面の目標は先輩に質問するまでもなく業務内容を完璧に把握することですね。最終的には放課後に時間を余らせたいところです。出来れば魔法の自主訓練もしたいですし」
学院生は緊急時を除き、魔法の使用を学院内と自宅でのみ許可されている。
貴族の家の大半は自宅に訓練室を持っているが、リーゼの住処は人が一人住むだけで精一杯のボロアパートだ。必然的に魔法の練習は学院に居る時間帯に限られてしまう。
ただでさえ人より経験が足りていないので、出来る限り自主練習には力を入れていきたいのである。
(まぁ、治癒の魔法や攻撃性のない魔法に関してはこっそり練習してるけどね)
先日娼館で行使した治癒魔法も校則違反だが、怪我をした人を放置することはリーゼには出来ない。ようはバレなければいいのである……目の前の男にはバレたけども。
資料に目を通しつつ、そんなことをつらつらと考えていたリーゼへ、まだゆったりと食事を続けるフェリクスがぽつりと言った。
「……それなら、僕が個人指導してあげようか? 頑張ってくれてるし、そのくらいの見返りは用意してあげてもいいよ」
「あ、普通に遠慮します。これ以上、周囲からの恨みとか買いたくないですし」
嫉妬心というものは恐ろしいものだ。ただでさえ生徒会室に出入りする平民としてよく思われていない現状で、フェリクスから魔法の個人指導を受けようものなら――想像するだけで背筋がゾッとする。
しかしそんなリーゼの反応が面白くなかったのか、フェリクスが露骨に眉を顰めた。
「君の言い分は分かるけど、そこまで拒否されるのも正直面白くないなぁ」
「いや先輩の面白さで私の平穏をこれ以上脅かさないで欲しいんですけど」
「その割にはシュトレーメルとはペアになってるじゃないか」
「? ジークとペアになることに何か問題でも?」
聞き捨てならない発言にリーゼは紙束から視線をフェリクスへと向ける。彼はそんなこちらの顔をジッと見つめた後で、
「ジーク、ね……まぁそのうち分かるよ」
とだけ口にした。どうやら素直に教える気はないらしい。
問い詰めたところで無駄だろうと悟り、リーゼは「そうですか」とだけ返して再び書類に目を通すべく視線を俯けようとする。だが、その前にフェリクスが動いた。
「リーゼ」
「はい?」
普段は君と呼ばれることが多いのに、ここに来て名前の呼び捨て。
何か気に障ることでもしてしまったのだろうかと内心少しだけ焦りながらリーゼが目を瞬かせれば、
「――はい、口あけて」
その言葉と共にフェリクスが持参したランチの中にあった苺が一粒、差し向けられる。
「……なんですか、これ?」
「苺だけど」
「それは見れば分かりますが……え、もしかしてくれるんですか? なんで?」
思わず素で返せば、フェリクスが「いいから早く口あけて」と再度要求してくる。
そこで逆らわずに口を開けば、瑞々しい果肉が口の中に放り込まれた。咄嗟に手を口もとに当て、もぐもぐと咀嚼する。甘くてじゅわりとした果肉と果汁が口いっぱいに広がって幸せな気分になる。
普段甘いものなどトンと縁がないし、特に苺は果物の中でも非常に高価だ。
呑み込んでからもしばらく余韻に浸っていると、唐突に前方からクスクスという笑い声が響いてきた。
「そこまで喜んでくれるとは思わなかったなぁ……うん、案外こういうのも悪くない」
先ほどとは一転して上機嫌な様子のフェリクス。なんとなく揶揄われていることだけは理解したが、ここまで機嫌が良くなった理由はリーゼにはさっぱり分からない。まぁ、不機嫌でいられるよりはマシだろう。
「良ければもうひとつあげようか?」
その言葉にリーゼは束の間、葛藤した。施しを受けるのは本意ではない。
だが、誘惑の果実の甘さを既に知ってしまっている。
「……いただきます」
「素直でよろしい」
これ以降、フェリクスが持参する昼食には必ずデザートが二人分、用意されることになった。