エピローグ
三回生に進級したリーゼの日々は相変わらず多忙を極めた。
学院生活と娼館でのバイトの二重生活はそのままに、三回生ならではの高度な座学に実習、そして新生徒会の補助に自主訓練と正直休む暇はほとんどなかった。それでも隣には三回生でも同じクラスとなったジークヴァルトが居てくれて。リーゼの毎日は非常に充実していた。
そんなリーゼの耳にある日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
それはフェリクス・フェルゼンシュタインとエデルトルート第三王女殿下の婚約破棄という国内を大きく騒がせる報道だった。
原因はエデルトルート第三王女殿下にあり、なんと彼女は護衛騎士を務めていた青年と駆け落ちして行方不明になってしまったのだという。
庶民のリーゼに詳しい情報を得ることは出来なかったが、当事者であるフェリクスは王女殿下の失踪に対して特に彼女を責めるでもなく、世間では悲劇のヒーローとして扱われている。
なんとなく彼のことだから王家に凄まじい貸しが出来たと喜んでいそうだな、とリーゼは思った。
――フェリクスと決別したあの日。
大事なファーストキスを奪っていくという暴挙に出た彼のことをリーゼは未だに忘れられてはいない。
それはどちらかというと切なさより怒りの感情の方が強くて、もし次に会う機会があれば今度こそ絶対に一発殴ると心に決めている。
そんな風にリーゼの中でフェリクスの存在は強く刻まれているが、同時にもう会うことはないだろうということも分かっている程度には、自分の中での落としどころをきちんと見つけられていた。
――そうして季節は廻り、冬。
「本当に……おめでとう、リーゼ。よく頑張ったわね」
「ありがとうございます……!」
感極まったように抱きしめてくるガブリエラの華奢な背中にリーゼもそっと手を回した。
正午過ぎに自宅の安アパートで国家公認魔法士試験の合格通知を受け取ったリーゼは、まず一番に娼館ブルーリリウムを訪れた。
母が死んでからの三年間、最も面倒を見てくれたのはこの麗しき夜の女王だ。彼女が居なければ今の自分は確実になかった。どれだけ感謝してもしきれない。
「ロッテちゃんもきっと喜んでるわ……そうだ! 今度きちんとお祝いさせてちょうだいね?」
珍しく目尻に涙を浮かべながら微笑む美しいガブリエラに、リーゼは「はい」と笑顔を返す。
「これでやっと、スタートラインに立てます。今までガブリエラさんにお借りしていたものも少しずつお返ししていきますね」
「あら、そんなことまだ気にしているの? 前にも言ったでしょう? 私は貴女を自分の娘のように思ってるわ……だからこうして元気に過ごしてくれているだけで十分なの」
優しい声音と共に再び強く抱き寄せられる。その温かさに胸の奥がジンとした。
烏滸がましいかもしれないが、リーゼにとってガブリエラはもう一人の母親のような存在で。そんな彼女が心から喜んでくれている姿は亡き母も同じように喜んでくれただろうなと想像させてくれた。
それで少し涙ぐむリーゼに気づいたガブリエラは「仕方がない子ねぇ」と頭を撫でてくれる。
「ところで今日が発表ってことは当然あの黒髪の坊やの結果も出ているのよね?」
「その筈です。実はこの後、会う予定になってます」
「あらそうなの。……つまりデートなのかしら?」
揶揄うようなガブリエラの口調に、リーゼは僅かに頬を赤らめる。
そんなリーゼの柔らかな薄茶の髪には黒いベルベットのリボンが飾られていた。
ガブリエラへの報告を済ませた足でリーゼは待ち合わせ場所へと向かう。
そこには一台の馬車が既に待機しており、こちらに気づいた御者が恭しく頭を下げながらにこやかに馬車へ乗るよう促してきた。
「坊ちゃまは屋敷でお待ちですので」
「ありがとうございます。お世話になります」
そうして馬車に揺られること数十分後、ジークヴァルトの住むシュトレーメル伯爵家のタウンハウスへと到着した。出迎えてくれた使用人に挨拶をすれば速やかに屋敷内のとある部屋へと通される。
「いらっしゃい」
そう言って目を細めるジークヴァルトにリーゼも同じく笑みを零した。
「お招きありがとう。早速だけど、その……」
「うん?」
「ジークも受かってた……よね?」
万が一にもないと思いつつも窺うように問えば、ジークヴァルトがおかしそうに頬を緩めた。
「おかげさまで。リーゼこそ次席合格おめでとう」
「!? な、なんで知ってるの!?」
合格の事実はともかく順位まで当てられたリーゼは目を丸くする。
ジークヴァルトはひとまずリーゼに席を勧めながら、彼女を座らせたソファーの隣に自らも腰を落とした。
「合格通知と一緒に入ってた師匠からの伝言でな」
「アルテンベルク様からの?」
「そう。それで俺とお前は望めば魔法局の今年の採用試験はすっ飛ばして雇用決定だってさ」
「――――えええええっ!?!?」
驚きすぎて素っ頓狂な声を上げるリーゼの頭をジークヴァルトが落ち着けというようにポンポン叩く。
「そんな驚くほどのことじゃねぇよ。魔法局も万年人材不足だからな。優秀な人材のスカウトぐらいは率先して動くってことだ」
「そうなんだ……なんだか全然現実味がないんだけど」
「まぁ珍しいことではある。なんでも俺らの試験を担当した今年の試験官達が満場一致で俺とお前の確保を提言したらしいからな」
「ジークはともかく、私まで?」
「当然だろ? この年代で四属性中級魔法の無詠唱が出来て上級治癒魔法も使える人材なんて国内どころか国外探してもそうは居ない」
実力の評価だよ、とジークヴァルトに断言されてリーゼはくすぐったい気持ちになる。
まだまだジークヴァルトの背中は遠いが、それでも一歩前進したような。客観的な視点で自分の魔法士としての能力が認められたことが素直に嬉しい。
ガブリエラに報告することが増えたことも喜びつつ、リーゼは改めてジークヴァルトへ向き直る。
「その……改めてジークも合格おめでとう」
「ん、ありがとう。これで春からも一緒だな」
「あ、そっか。魔法局の正式配属は二年目からだから少なくとも一年間は一緒に居られるね!」
弾んだ声を響かせるリーゼに対して、不意にジークヴァルトは真剣な表情を作った。
その吸い込まれそうな黒い瞳にドキリとする。冷静に考えると二人掛けのソファーに座っているので距離もかなり近い。意識し始めると途端に恥ずかしくなってくる。
「リーゼ」
ジークヴァルトはリーゼの瞳を覗き込みながら、その指先をリーゼの髪――正確にはベルベットの黒いリボンに絡ませる。
「欲しいものがあるんだ」
「……欲しい、もの?」
「そう……一生、お前と人生を共有する権利が、欲しい」
焦がれるようなその声に全身が発火してしまいそうなほど熱くなった。
以前、彼から告白された時から早いもので九ヶ月以上の時が経っている。その間、彼は一切リーゼに関係を迫るようなことは無かった。それは魔法士試験の合格や就職活動のことを慮ってのことと、おそらくもうひとつ。
「……お前が、まだあの男のことを忘れられなくても」
「っ!」
「お前の隣はアイツにも誰にも譲りたくない。だから、頼むから俺を選んでくれ……」
懇願するように囁くジークヴァルトの姿に、リーゼは胸がいっぱいになる。
初めて出会った時からずっと寄り添ってくれた人。少し不愛想だけど優しくて、幼い頃から辛い思いをたくさんしてきたのに、それを力に変えて前に進んできた尊敬すべき人。
そして彼はリーゼにとって一番安心出来る――大好きな、人。
「ジーク」
リーゼは愛する人の名前を呼びながら、瞳を閉じて彼の唇にそっと自分のそれを重ねた。
少しかさついている彼の唇の感触に心臓が爆発しそうになる。
途端に大胆なことをしてしまったと自覚し慌てて身を後ろに引こうとするが、
「っ!? んぅ……っ」
退路はとっくに断たれていた。ジークヴァルトがリーゼの首の後ろに手を回し、逃げられないようにした上でキスを続行する。それはリーゼが酸欠を起こしかけるまで止むことはなかった。
荒い息を吐きながら涙目になったリーゼをぎゅうっと自分の腕の中に閉じ込めて、ジークヴァルトが囁く。
「好きだ」
「――うん、私も。ジークが好き。大好き」
そう返せば一際強い力で抱きしめられて、リーゼは思わず笑った。
きっとこの先、ジークヴァルトと共に歩んでいく道だって平坦とは程遠いものになるだろう。
その苦労すら分かち合いたいと願うからこそ、もうリーゼは迷ったりしなかった。
自然ともう一度、唇が重なる。
今度はさきほどよりも少しだけ余裕があって、それもなんだかおかしくて。
リーゼはジークヴァルトの体温を感じながら確かな幸福に微睡んだ。
【了】
ところで後日、リーゼとジークヴァルトの卒業式にて。
真っ赤な薔薇の花束を携えたフェリクスがリーゼの卒業を祝った上でひと騒動起こすことになるのだが――それはまた、別のお話である。
最後までお読みくださり誠にありがとうございました。
本作も無事に完結することが出来ました。
途中で一度も筆が止まることなく駆け抜けられたのも、連載中から応援してくださった皆様のおかげです。改めて厚く御礼申し上げます。
もし本作を気に入ってくださった方がおられましたら、ぜひブックマークや評価やご感想、いいねなどで応援いただけますと嬉しいです。
それではまた別の作品でもお目に掛かれたら幸いです。