公爵令息の昼食事情は意外と苦労が多い模様
翌日の昼休み。さっそく中庭に来るよう指示を受けたリーゼがランチボックスを片手に指定場所へと足を運べば、既にフェリクスは女子生徒数名に囲まれている状態だった。
学院の広大な中庭は食事をするのにも便利なベンチやテーブルセットがいくつも設置されており、学生たちの憩いの場として提供されている。とはいえ平民のリーゼは貴族が集う場所には極力近づかないようにしているため、昼休みに中庭に来た事は数えるほどもなかった。
しかし今日から一年間は強制的にフェリクスのお伴である。
逃げるわけにはいかないので覚悟を決めて女子集団の背後へと回る。そして一言。
「――フェルゼンシュタイン先輩」
瞬間、集団の視線が一斉にリーゼを射抜いた。あまりの恐ろしさに軽く鳥肌が立つ。彼女たちはリーゼの姿を認識すると、揃いも揃って不快感を露わにした。まぁ予想通りの反応ではある。
「ごめん、この通り先約があるんだ。しばらくは一緒に食事をとるのも難しいと思うけど、理解してくれるとありがたいな」
一方、申し訳なさそうな表情と声色で周囲の女子にそう説明したフェリクスは、包囲網を抜けてリーゼの横に立つ。すると女性陣の中でも一際目立つ薔薇色の髪をした美しい女性が嫋やかに口を開いた。
「あの、フェリクス様? そちらの方は……?」
チラリとこちらに視線を寄越した彼女のタイの色は赤。つまりフェリクスと同じ三回生だ。
周囲の反応から、どうやらこの取り巻き集団のボス的な存在だとリーゼは理解する。
「ああ、昨日から生徒会の手伝いをしてくれることになった特待生の子だよ。しばらくは昼食の時間もミーティングに充てることにしたんだ」
「……生徒会のメンバーを増やすというお話は初めて伺いましたわ。何故、彼女を?」
「こう見えて彼女はとても優秀なんだよ、パラッシュ侯爵令嬢。それに僕は生徒会長として貴族平民問わず意見に耳を傾けるべき立場だろう? そういう意味でも彼女の加入は生徒会にとって大きな価値を持つと考えているんだ」
よくもまぁこうスラスラと思ってもないことが口から出てくるなぁと、リーゼはフェリクスを仰ぎながら色んな意味で感心した。
「ということで悪いけど失礼するよ。行こうか、リール嬢」
「あ、はい」
リーゼは歩き出したフェリクスの後に続く。一刻も早くこの場から離れたい気持ちはフェリクスもリーゼも同じだ。さっきから背中に刺すような視線がビシビシ飛んできているが、それもまるっと無視する。
そのままフェリクスの誘導で中庭の奥手の方にある小さなガゼボへと辿り着いたリーゼは、
「……は~~~、怖かったぁ!」
周囲に視線がないことを確認した瞬間、間の抜けた声を出しながらガゼボ内のテーブルに突っ伏した。
「これで少しは僕の苦労も分かっただろう?」
「ええ、身に沁みましたよ本当に……」
フェリクスの言葉に心の底から同意を返す。
確かにあんな集団と一緒に食事をするなんて想像するだけでも嫌すぎる。
と、そこである疑問がリーゼの脳裏に浮かんだ。それをそのままフェリクスにぶつけてみる。
「ところで先輩、なんで中庭に来る必要があったんですか? そもそも食事を生徒会室で取れば、ああいった集団に囲まれなくて済むのでは?」
「と、思うだろう? それが彼女たちは平気で生徒会室に押しかけてくるんだよ……」
「それは……なんというか、逞しいご令嬢たちですね……」
リーゼは持ってきたランチボックスを広げながら「あはは……」と乾いた笑いを漏らす。
「だからこそ、今日この場で君としばらくランチミーティングをするという情報を広める必要があったわけだ。これで明日から生徒会室に突撃されても断る口実が出来ただろう?」
「どうしてそうまでして外面を気にされるんですか? 普通に迷惑だから近づいてくるなって言えば良いのでは?」
「そうしたいのは山々だけどね。公爵家の方針なんだよ。在学中はなるべく敵を作らずに味方を作れってね。それにもしかしたらあの集団の中の令嬢と縁づく可能性だってある。早々軽率な行動は出来ないよ」
「なるほど……先輩にも色々と事情があるんですね。お疲れさまです」
心からそう労う傍ら、リーゼはひとり淡々と食事を開始した。今日のランチボックスの中身は自作の卵サンドとハムサンド。普段は卵サンドだけだが、ガブリエラからハムをお裾分けされたので少し豪華仕様である。
「…………君、この状況でひとりだけ食べ始めるとは、なかなか肝が据わってるな?」
「え、あー、そうですかね? でもお昼はしっかり食べないと午後の授業もありますし」
「――僕の分は?」
「……は? え、あるわけないです……というか、先輩こそお昼用意してないんですか?」
話の流れに困惑しながらリーゼが訊ねると、
「普段は例の集団に有り余るほど弁当を押し付けられるんだよ……だから自分で用意するって発想がなかった」
フェリクスが憮然とした表情で答えた。心なしか頬が赤いような気もするので、おそらく失態だとでも思っているのだろう。
それはさておき、このままでは彼は昼食抜きということだ。リーゼは手元のランチボックスに目線を落とす。どう考えても貴族の――しかも次期公爵が食べるような代物ではない。だが、一応、礼儀として訊くべきだろう。
「少し食べますか?」
「貰う」
まさかの即答だった。驚きのあまり目を見開いて呆気に取られたリーゼを横に、フェリクスはランチボックスの中からハムサンドを取り出すと遠慮なく口に運ぶ。そう、よりによってハムサンドの方である。
せめて卵サンドの方にしてくれと文句の一つでも言おうと思ったリーゼだったが、
「……ん、悪くない」
直後に聞こえてきた彼の穏やかな声と柔らかな表情に思わず口を噤んでしまう。
そのまま彼はあっという間にハムサンドを胃に収めてしまった。
「ご馳走様。美味かったよ」
「それはどうも……明日からはちゃんと自分で用意してくださいね」
「ああ、分かってるよ。じゃあ今日のところは解散ってことで。また明日の昼、次は生徒会室に直接来るように」
そう言ってフェリクスはリーゼを顧みることなくガゼボを出て行った。
ひとり残されたリーゼは手に持っていた卵サンドをモソモソと齧りながら、
(あんな風に食べてくれるなら……もう一切れくらい、あげても良かったかなぁ)
なんとなく、そう思ってしまった。