ジークヴァルトのお師匠様【3】
もうずっと前から決めていたことだ、とジークヴァルトは言った。
「俺は愛人の子で次男だから、そもそも家督を継ぐ立場じゃない。なのに家に縛り付けられる一生なんてのは流石にごめんだからな」
彼の表情は非常にスッキリとしたもので肉親との縁を切ることへの憂いや罪悪感は微塵もない。
きっと心からそうなることを望んでいるのだろう。
一方、リーゼは衝撃冷めやらぬ頭を何とか動かしながらジークヴァルトを見つめる。
(もしジークが平民になるなら……)
貴族と平民という絶対的な壁がなくなる。
つまり学院を卒業してからも友人として正々堂々と付き合っていけるかもしれない。
その可能性に思い至り、リーゼは己の胸が高鳴るのをハッキリと感じていた。
「しかしまぁ、シュトレーメルとしてはこいつの才能は勿論惜しいわけだ。出来れば手元で飼っていたいのが本音だろうよ」
それはその通りだろう。
ジークヴァルトの魔法士としての才を考えれば手放す選択肢を取る方がおかしい。
「そこでオレの出番ってわけだな! シュトレーメルには貸しがたんまりあるし色々と弱みも握ってるからぶっちゃけどうとでもなる。そもそも奴らはこいつがガキの時に死ぬ前提で戦場に出したんだ。今更戻って来いなんてのは虫が良すぎる話ってもんだよなぁ」
アンスガーは腕組みをするとしみじみした様子でそう吐き出した。まったくもって同感である。
「じゃあ、本当にジークは平民になるつもりなんだ……」
「お前と一緒のな」
こちらに視線を落としながら、ジークヴァルトがニヤリと笑う。
「就職先もお互いに魔法局志望だし長い付き合いになりそうだな?」
暗に卒業後の、将来の話をされてリーゼも自然と顔をほころばせた。
少なくともジークヴァルトが望む未来には自分の姿もある。その事実に心が沸き立つ。
「そうなったら本当に凄く嬉しい! でもジークはともかく私は合格できる保証が全然ないから、今まで以上に頑張らないと……っ」
「いや、お前の成績なら余裕だろ」
「そんなことないよ。座学はともかく実技はジークの足元にも及ばないし」
「おいおい嬢ちゃん、実技でこいつを基準にしたら他に誰も受からねぇからな? この年で全属性の上級魔法が使える奴なんて過去遡っても出て来ねぇからな?」
アンスガーから呆れ混じりのツッコミが入ったところで、リーゼはふと当初の目的を思い出す。
和やかなムード的にも今を逃す手はないと、その場で姿勢を正したリーゼは改めてアンスガーへと向き直った。
「――あの、アルテンベルク様」
「ん? どうしたよ急に改まって」
「……実は以前にジークから子供の頃のことを聞きまして。それからずっとお礼が言いたかったんです」
ただの自己満足だということは分かっている。
それでもどうしても伝えたかった。
視界の端で瞠目しているジークヴァルトに小さく目配せをしてから、リーゼは柔らかく微笑む。
「アルテンベルク様が居てくださったからこそ、私はジークとこうして出会うことが出来ました……その機会をくださって、本当にありがとうございました」
そう言ってソファーから立ち上がり深々と首を垂れたリーゼに対し、アンスガーは僅かな間の後で「顔を上げてくれや、嬢ちゃん」と優しい声音を響かせた。
それに従ってそろりと身体を起こせば、彼もまたゆっくりとその場で立ち上がる。
「礼を言うのはこっちの方だ。嬢ちゃんが居てくれて良かった。こいつは昔から人と距離を取ってばかりいたからよ……オレとしてもちょっとばかし心配だったんだよ。けど、嬢ちゃんみたいな子が傍で見ててくれるなら安心出来るってもんだ」
くしゃりと笑ったアンスガーはゴツゴツとした男らしい右手をこちらへと差し出す。
リーゼは迷わずその手を握り返した。
「これからもこいつのこと、よろしく頼むな!」
「はい!!」
ガシリと固く握手を交わしながら互いに頷き合う。
すると黙ってこちらのやり取りを見ていたジークヴァルトが徐に立ち上がり、何故かリーゼの肩口に項垂れるようにしてその頭を寄せてきた。そして無遠慮にぐりぐりと額を押し付けてくる。
「ひゃっ!? ……ジ、ジーク? どうしたの?」
「……別に、なんでもない」
この状況が既になんでもなくないのだが、リーゼはなんとなく押し黙った。
代わりに助けを求めるような気持ちでアンスガーに視線を投げれば、彼はにんまりと口角を上げる。
「嬢ちゃんもなかなか罪作りだな。こいつをここまで骨抜きにしちまうんだからよ」
「ほ、骨抜き……?」
「おうよ。まぁオレとしちゃあ可愛い弟子の初恋成就を願ってるんだがな?」
何やら聞き捨てならない単語が飛び出してきてリーゼが面食らう中、そのタイミングでジークヴァルトがのそりと身体を起こした。そして未だにリーゼ達が握手をしたままの状態だと気づくとあからさまに顔を顰める。
「いつまで握ってんだクソジジイ」
「いやぁ、若い女の子の手ってすべすべしてていいよなぁ」
「マジでいっぺん死ね」
ジークヴァルトが低い声と共にアンスガーの手を無理やり引き剥がす。
さらに彼はそのままリーゼの手を自分の手で絡め取ると、
「用は済んだし帰るぞ」
とぶっきらぼうに宣言した。
それまで意識していなかったが、時計を見れば確かにいい時間になっている。
魔法局を束ねるアンスガーは忙しい身なので、これ以上の長居はしない方が良いだろう。
「おう、今日はありがとな。嬢ちゃんも会えて嬉しかったぜ」
「こちらこそ、お会い出来て本当に光栄でした」
「またいつでも遊びに来な。でもって学院を卒業したら存分にこき使ってやるから覚悟しておけよ?」
その何気ない言葉は、リーゼにとって何よりの土産となった。
リーゼは改めて深々とお辞儀をしてからジークヴァルトに手を引かれて部屋を後にした。
そのまま二人、手をつないで魔法局内を歩く。
直前まで握っていたアンスガーのものとは違う、少しひんやりとした大きい手。
こちらの手をぎゅっと掴んで離す様子がない彼の背を仰ぎ見ながら、リーゼは心の中で先ほどの会話の一部を思い返す。
(初恋成就って、確かに言ってたよね?)
ただの冗談で真面目に捉えるようなものではないかもしれない。
だけどどうしても気になってしまう。
(もし、万が一……ジークが私のことを友達以上に想っているとしたら)
そこまで考えた瞬間、リーゼは自分の頬がにわかに熱くなっていることを自覚せざるを得なかった。