ジークヴァルトのお師匠様【1】
ほどなくしてフェリクス・フェルゼンシュタインとエデルトルート第三王女殿下の婚約が大々的に発表された。学院内はその話題で持ち切りとなっているが、リーゼは極力その話からは距離を置いた。何よりも自分の心の平穏のために。
一方、噂の的であるフェリクスはこのところ忙しさに拍車が掛かっており、生徒会室へはおろか登校すらままならない様子だった。そのことにホッとしている自分がいる。今はなるべく顔を合わせたくはない。
その代わりに当のフェリクスから任されている生徒会関連の仕事へ没頭する日々を送る中、
「リーゼ、来週末の午後に少し時間取れるか?」
唐突なジークヴァルトの誘いにリーゼはキョトンと小首を傾げた。
「大丈夫だけど、何か用事?」
「ああ、実は師匠にお前の話をしたら興味を持たれてな。一度会ってみたいんだと」
「ええっ!?」
ジークヴァルトの師匠にあたるアンスガー・アルテンベルクは魔法士を目指す者ならば誰しもが憧れる雲の上のような存在だ。その人が自分に会いたがっているという話にリーゼは驚きのあまり目を瞬かせる。
「気が乗らないようなら断って貰っても構わないが」
「えっ! や、だ、大丈夫! 私もお会いしたい!!」
心配そうなジークヴァルトに慌てて返しながら、リーゼは以前彼から聞いた話を思い起こす。
アンスガーは幼き日のジークヴァルトを今日まで育ててくれた恩人でもある。一度会って直接お礼を言いたかったのだ。この機会を逃す手はない。
「良かった。じゃあ詳しい時間が決まったら連絡する」
「ありがとう。……ところでジーク」
「ん?」
「アンスガー様に私のことどんな風に話したの?」
真剣な面持ちのこちらに対し、ジークヴァルトはしばし考えるように視線を逸らした後で、
「――まぁ、悪いようには言ってないから」
と曖昧な回答を寄越したのだった。
そして数日後。
場所は国家公認魔法士の総本山とされる王都中央魔法局。王宮と隣接する位置に建てられたその建物の中でも特に限られた者しか入ることが赦されない局長専用の応接室にリーゼとジークヴァルトは通されていた。
「おお! こんなところまでわざわざ呼びつけちまってすまねぇなぁ!」
「い、いえ……っ! お会いできて光栄です、アルテンベルク様」
緊張でカチコチに固まるリーゼをフランクに出迎えたのは、偉大なる魔法士アンスガー・アルテンベルクその人である。年齢は六十を超えていると聞くが、その姿は存外若々しく四十代と言われても納得してしまうほどに背筋が伸びて体格もいい。オールバックの白髪と顎に蓄えられた白髭が風格を醸し出しているが、その瞳は人好きのする柔らかい色彩を纏っていた。
(この方がジークのお師匠様……優しそうな方で良かった、けど……)
リーゼにとって魔法局は目標の地であり、目の前の人物は魔法士の頂点に座す重鎮筆頭である。
この状況で緊張するなという方が無理な話で先ほどから密かに手汗が止まらない。
そんなリーゼの心境をある程度汲んでくれているであろうジークヴァルトは、こちらの背中を軽く叩きながら「落ち着け」と小さく囁いた。
「別に緊張するほど大した相手じゃない。言っただろ、女好きのろくでなしだって」
「ちょ!? ジ、ジーク! そんなご本人を前に失礼過ぎない!?」
「あっはっは!! 構わねぇよ嬢ちゃん! こいつは昔から生意気なのが可愛いところだからよぉ」
豪快に笑うアンスガーは立ち尽くしているリーゼのすぐ横までひょこひょこと歩み寄る。
そして上から下までじっくりと観察すると、
「うむうむ、嬢ちゃんは安産型だな! これはいい嫁になる――ぶへっ!!?!」
セクハラまがいの発言をしたと思ったらジークヴァルトに容赦なく頭を叩かれていた。
ジークヴァルトはそのままリーゼの肩を抱き自身の方へ引き寄せると頭を押さえながら呻いている師へ、
「死ね」
と辛らつ過ぎる言葉を放った。リーゼは突然の事態におろおろしながらジークヴァルトを見上げる。
一方、アンスガーは首をコキコキと鳴らしながら「いてて」と苦笑いを浮かべていた。
「ったく冗談通じねぇなぁ! まぁ確かに初対面の嬢ちゃんにすることじゃなかったけどよ」
ごめんな、と軽く謝られたリーゼは慌てて首を横にぶんぶんと振る。
「いえ、お気になさらず! その……は、母も安産型でしたので!!」
咄嗟にフォローしようとした結果、おかしなことを口走ってしまったリーゼは思わず赤面する。
アンスガーはそんなリーゼに対して僅かに目を瞠った後、またしても声高に笑った。
「ははっ、いいねぇ! 嬢ちゃんは話が分かるいい女だな!! オレがあと三十ほど若けりゃ嫁に貰ってたぜ!」
「……おい、調子に乗るなクソジジイ」
「はぁ、それに比べて我が弟子の狭量なことよ。ちったぁ嬢ちゃんを見習えってんだ」
「こいつはアンタに気を遣っただけだろうが。いい加減、女と見れば品性のない軽口を叩くの止めろ」
ジークヴァルトはリーゼを腕の中に抱き込む形でアンスガーを鋭く睨みつける。
しかしそれすら楽しいようで、アンスガーはニヤニヤと口もとを吊り上げるばかりだ。
「お、いいねいいねぇ。想像以上に独占欲丸出しじゃねぇか。なぁジーク?」
「うるせぇ黙れ」
そんな二人の応酬を間近で見ているうちに肩の力が抜けてきたリーゼは、改めてジークヴァルトを仰ぐと柔らかく目を細める。
(こんなに口が悪いジーク、初めて見たな……それだけアルテンベルク様のこと信頼してるんだ)
身内だからこそ赦される気安さを感じてほっこりしてしまう。
するとそんなこちらの視線に気づいたらしいジークヴァルトが非常にバツの悪そうな顔をした。
「……なにニヤニヤしてんだよ」
「別に? 私はただ、二人の関係が羨ましいなーって思ってただけだよ」
「は? なんだよそれ……」
心底嫌そうな顔をするジークヴァルトは普段より少しだけ子供っぽくて可愛らしい。
こういう一面もあるんだなと、リーゼは彼のことがまたひとつ知れて嬉しい気持ちになった。