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幼い頃のジークヴァルトのこと


「――ところで」


 リーゼは話を切り替えるように声を発した。


「ジークはなんで娼館街に居たの?」


 普通、健全な学生は朝早くに娼館街などには居ない。

 つまりジークヴァルトはあの界隈に用事があったということだ。

 そう思って指摘すれば、彼が視線をリーゼの右手首から正面へ戻して言った。


「昔世話になった人の付き合いで朝まで飲んでた。で、帰りに近道しようとして通った道でお前を見つけたんだが」


 おかげで眠気が吹き飛んだ、とのたまうジークヴァルトにリーゼは苦笑いを禁じえない。

 それと同時に、彼が娼館帰りではないという事実にどこかホッとしていた。フェリクスの時もそうだが、身近な男性がそういうお店を利用しているかと思うと、なんとなく胸がモヤモヤしてしまう。


(……いやいや! 私にそんなこと思う権利とかないから!)


 慌てて雑念を振り払い、リーゼは更なる質問を重ねる。


「昔お世話になったってことは、子供の頃ってこと?」

「ああ……俺の魔法の師匠みたいな存在だな」

「そうなんだ! ジークの師匠なら凄い魔法士ってことだよね! どんな人?」

「魔法の腕は一流だが中身は女好きのろくでなしだな」


 しれっと答えるジークヴァルトだが、その言葉とは裏腹に表情は柔らかい。きっと、その人のことを信頼しているのだろう。彼の性格上、そうでなければ朝方まで付き合うこともなかった筈だ。


「そっかぁ、私も会ってみたいなぁ」

「……どうせそのうち嫌でも会うことになるだろ」

「え、なんで?」

「あー……お前、アンスガー・アルテンベルクって知ってるか?」

「もちろん。現魔法士の頂点って言われている凄腕の戦闘魔法士だよね?」

「そいつが俺の師匠」

「…………えっ!?!?」


 魔法士界きっての大物の名前に素っ頓狂な声を上げるリーゼ。

 それに対してジークヴァルトは淡々と話を続ける。


「俺が七歳の時にシュトレーメル領で大規模な魔獣侵攻があったんだが、その時に中央から増援として来たのが師匠だったんだよ」

「そ、そうなんだ……! ――ん? でも当時ジークは七歳だったんでしょ? アルテンベルク様とはどういう経緯で師弟関係に?」


 大規模侵攻の増援で領地にやって来たというのであれば、七歳のジークヴァルトに構っている暇などなかったのではないだろうか。そんな疑問を口にすれば、ジークヴァルトは平然と返す。


「俺も参加してたんだよ、魔獣侵攻の討伐戦線に」


 リーゼは絶句した。あり得ない。そんな、七歳の子どもを戦場に投入するなど。いくらジークヴァルトが魔法に対する天賦の才を持っていたとしても自殺行為だ。正気の沙汰ではない。

 思わず顔を強張らせたリーゼに対し、ジークヴァルトはどこか自嘲気味に笑った。


「別に大した話じゃない。言ってなかったが、俺はシュトレーメル伯爵が愛人に産ませた子だ。そして三つ上に腹違いの兄がいるんだが――当然そっちとは折り合いが悪くてな」


 代々、大型魔獣が生息する山脈の管理をしてきたシュトレーメル伯爵家。

 そうした過酷な環境上、歴代当主は魔法の才に優れた者が多く、魔獣侵攻の際には先陣をきって作戦指揮に当たるのが習わしだった。


 そんな中で生まれたジークヴァルトの才能は、長いシュトレーメル伯爵家を紐解いても類を見ない程に傑出していた。

 潤沢な魔力量に加えて、三歳にして六つの初級魔法を全て習得した圧倒的なセンス。

 五歳の時には中級魔法ですら使いこなすという規格外ぶりに、シュトレーメル伯爵はご満悦だった。


 その一方で、正妻であるシュトレーメル伯爵夫人と彼女が生んだ長男は激しい憎悪をジークヴァルトへと惜しみなく向けた。実母は産後の肥立ちが悪くその頃には既に他界しており、ジークヴァルトを守ってくれる者は屋敷内にはほとんどいなかった。


「七歳で戦場に放り込まれたのは、兄の立場を盤石にするために俺を合法的に葬ろうとした結果だな」


 実父であるシュトレーメル伯爵はジークヴァルトの才能を惜しんだものの、最終的には正妻の味方に付いた。よってジークヴァルト自身、戦線に送られた時には死を覚悟していたらしい。

 だがそれを覆したのは他ならぬアンスガー・アルテンベルクとの出会いだった。

 彼は戦場でジークヴァルトの才能を見抜くと、自身の傍において実戦的な魔法を徹底的に叩き込んだ。なるべく死ななくて済むように、と。


「そんな環境だったから必要に駆られて無詠唱魔法も習得したし、上級魔法も実地で覚えた。だからまぁ、俺の実技の成績がいいのはその名残みたいなものだな」


 そう締めくくったジークヴァルトは、リーゼに向かって右手を伸ばすと優しく頬を撫でる。


「そんな顔するなよ。別に大した話じゃない」

「ッ~~~大した話だよ! なにそれ! 信じられない!!」


 リーゼは悔しさのあまり堪らず声を荒げた。

 当時のジークヴァルトの境遇を思うと涙が出そうになる。


「ジークのお父さんだろうがなんだろうが、思いっきり引っ叩いてやりたい……!」

「……一応、シュトレーメルの当主だぞ」

「関係ないよそんなの! 言っとくけど私は本気だからね!!」


 思わず握った拳を見つめながら、リーゼは顔も知らないシュトレーメル伯爵や夫人に怒りを燃やす。

 と同時に、心の中でアンスガー・アルテンベルクに感謝した。彼が居なければジークヴァルトは幼くして命を落としていたかもしれない。たとえ女好きのろくでなしだろうが、その一点だけでリーゼは彼を尊敬出来る。


(これはなんとしても一度お会いして感謝を伝えなければ……!)


 リーゼが密かに決意を固めていると、ジークヴァルトがもう一方の手も伸ばしてこちらの頬に当ててくる。さらに軽く両頬をつままれてしまい、リーゼは思わず目を瞬かせた。


「……な、なにひゅるにょ……っ」

「――いや、なんだろうな。俺にもよくわからないんだが」


 こちらの頬をむにむにと弄びながら、ジークヴァルトは優しく目を細める。


「今は少し、気分が良い」


 そう告げた彼の顔は確かに常になく嬉しそうで。

 リーゼはなんとなく腑に落ちないものの、ご機嫌なジークヴァルトの好きにさせた。


 その後、リーゼは心配を掛けたお詫びも兼ねて朝食をご馳走することにした。

 といっても庶民の朝食などパンとチーズと野菜スープがあれば上出来な部類である。きわめて質素な食事ではあったが、思いのほかジークヴァルトは喜んでくれた。


「演習の時も思ったけど、お前やっぱり料理上手いな」

「ほんと? 良かったーいっぱい食べてね! ……あ、そうそう! ジーク、もし良かったら学院が始まる前に自主練に付き合ってくれない? あれから風の初級防御魔法までは無詠唱に成功したから見て貰えると嬉しいんだけど」

「ん、分かった。何時にする?」

「明後日のお昼でどうかな?」


 とんとん拍子に決まっていく予定に、リーゼは自然と頬を緩ませる。


「いつも本当にありがとね、ジーク。合同演習の時もすごく助かったよ」


 そういえばきちんとお礼を言えていなかったことに気づき、改めて謝意を示す。

 するとジークヴァルトは一転して神妙な顔つきになった。


「いや……お前はむしろ俺の近くに居たから巻き込まれたんだ。すまなかった」

「それはジークのせいじゃないよ。悪いのはあくまでヒルシュ嬢だもん。私、こんなことでジークに負い目を感じて欲しくないよ」


 だって大切な友達だもん、とリーゼは笑う。

 むしろヒルシュ子爵令嬢の歪んだ矛先がジークヴァルトに向かなくて良かったとすら思っていた。

 大事な人が傷つくくらいならば自分が傷つく方が良い。それがリーゼの持論である。


「もしジークが困ったら今度は私が助けるから。これからも仲良くしてくれると嬉しいな」


 そう堂々と宣言すれば、ジークヴァルトは不意に顔を横に向けて少しだけぶっきらぼうに「それは俺の台詞だろ」と零す。

 その際に見えた彼の耳が淡く朱に色づいていることに気づいて、リーゼは柔らかく目を細めたのだった。


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