事情説明
速足でこちらにやって来たジークヴァルトは、戸惑うリーゼの両肩をやや強引に掴んできた。
そのまま至近距離で顔を覗き込んできた彼の表情は、今まで見たことのない類のもの。
強いて言うならば、そう――彼は、とても苦しそうな顔をしていた。
「なんで……」
怒り、焦り、悲しみ。色んな感情がごちゃ混ぜになった声がする。
「なんでお前が、こんなとこで働いてんだよ……ッ!」
そうやって発せられた言葉にリーゼは瞠目した。そしてようやく気づく。彼の根本的な勘違いに。
「ち、違う! ジーク、ごめんたぶん凄く誤解があると思うの!」
「この状況で誤解も何もないだろうが! たった今、客の男を見送ってたのも見てたんだぞこっちは!」
「え!? あー、いや、それは……」
うちの学院の生徒会長です、とは流石に言えず口ごもれば、
「お前のことだからきっと事情があるんだってことぐらい分かってる……分かってるんだよ、クソッ……!!」
彼の誤解はますます加速していく。
それを何とか止めようとリーゼは努めて冷静にジークヴァルトの目を真っ直ぐに見た。
「……ごめん、ジーク。とりあえず落ち着いて。あまり騒ぐと誰かに見られるかもしれない」
「っ! ……悪い、ここでする話じゃない、よな……」
「うん。だからちゃんと落ち着いて説明させてほしいんだ。この後、時間大丈夫?」
即座に頷き返したジークヴァルトに微笑むと、リーゼは少しだけここで待つように頼み、急いで娼館の中へと引っ込んだ。
――それから数十分後。
リーゼはジークヴァルトを連れて自宅である古めかしいアパートへと戻って来た。
一人暮らしの狭い室内に男性を招くということ自体を恥ずかしいと感じつつも、他に適切な場所が思いつかなかったのだから仕方がない。
「ごめんね、散らかってるけど」
「いや……」
居心地悪そうにしているジークヴァルトを促してひとまず食事用のテーブル席に座って貰う。
その間に手早くお茶を用意して出しながら、リーゼは彼の向かい側の椅子に腰かけた。
「えっと……その。とりあえず私から事情説明してもいいかな?」
「ああ、頼む」
少し時間が経ったことにより冷静さを取り戻したのか、ジークヴァルトが鷹揚に頷く。
それを受け、リーゼは事の経緯を説明し始めた。
――そもそもの発端は、母が病に倒れたことだった。
学院入学を三ヶ月後に控えた頃のことである。
厳しい冬の寒さと共に流行した高熱を出し肺の機能を弱らせる病は、老人や子供など体力のない者を中心に少なくない死者を出した。
リーゼの母は下町を中心に活動する治癒専門の魔法士だった。
治癒魔法は外傷には有効だが病にはあまり効果がない。それでも体力を維持する上では多少の効果が期待できる。だからリーゼの母は病で苦しむ人々に対して惜しみなくタダ同然で治癒魔法を使った。
その尽力により救われた命はいくつもあった。だからリーゼは母の行動を誇りに思っている。
「そうしてようやく流行り病が終息してきた頃にね、母も罹患したの」
連日の魔法の行使が祟り、体力の落ちていたリーゼの母はみるみるうちに重篤化した。
当然リーゼは母の治療のために病に効くとされる薬を買い求めた。しかし需要に対して供給が不足していた薬は大変に高価で、平民がおいそれと買えるような代物ではなかった。
ゆえにリーゼは学院入学のために貯めていた預金に手を出した。
「母は反対したけど、私にとって一番大切なのは母だったから」
迷いはなかった。しかし預金だけでは薬代は払いきれず、リーゼは娼館ブルーリリウムのオーナーであるガブリエラにも助力を求めた。そうしてようやく工面したお金で薬を買い、リーゼは必死に看病を続けた。
――それでも、母の病は残念ながら治らなかった。
「最後まで母は謝ってた。悪いことなんてしてないのにね」
結果として、リーゼのもとには何も残らなかった。
なけなしの貯金も使い果たしたため、学院入学自体を諦めて働くことに決めたリーゼだったが、そこに待ったのを掛けたのがガブリエラだった。
最初は学院卒業までの間、生活費諸々を援助するとガブリエラは申し出た。
しかしリーゼはそれを断った。いくら母の親友とはいえ、そこまで迷惑を掛けるわけにはいかないと思ったのだ。それでも学院には絶対に入学すべきだと主張したガブリエラは、リーゼの気持ちを汲んで別の提案をしてくれた。
「これが私が娼館に居た理由なの。夜に蝶としてお客様を相手にするんじゃなくて、あくまでも裏方として雑用や経理の手伝いをして欲しいって」
本当にガブリエラには頭が上がらない。
彼女が居なければリーゼは昼も夜もなく働き詰めの毎日を送っていたことだろう。場合によっては本当に身体を売ることを選択していたかもしれない。
「ということで、娼館で働いてはいるけどジークが思うような仕事はしてないから」
ひとしきり説明を終えたリーゼは、そこでふぅと大きく息を整えた。
なんとなく流れ的に母に関することまで全部話してしまった。あまり聞いていて楽しい話ではないので、もしかしたらジークヴァルトにとっては負担になってしまったかもしれない。
(それでも誤解されるよりは良かった……よね?)
リーゼ自身、ジークヴァルトに誤解をされることは絶対に避けたかった。
学院でただ一人の大事な友達に嘘はつきたくない。
「これで一通り説明したつもりだけど……何か質問とかある?」
すっかり温くなったお茶で喉を潤いしながらリーゼはジークヴァルトに水を向ける。
彼は僅かに逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「……さっき見送ってた客は?」
想定外の質問にリーゼは回答を迷う。
自分に関することだけなら偽りなく答えるつもりだった。しかしフェリクスが絡むとなれば話は別だ。
正直に話してフェリクスの不利益になるような事態は避けなければならない。
チラリと右手首に巻かれたリボンタイへ視線を移した後、リーゼはジークヴァルトに向き直った。
「あの人はお客様じゃなくて、私のことを心配して様子を見に来てくれた人なの」
「……恋人とかか?」
「――は? えっ!? いや違うけど!?」
「じゃあどういう関係なんだ?」
問われて、リーゼは真剣にフェリクスとの関係について考える。
友人ではない。しかしただの知り合いというには距離が近いし雇用関係というには親密。けれど決して恋人のような甘いものではない。そもそも弱みを握られている時点で対等な関係ではないのだ。
一番近いのは飼い主と下僕なのだろうが、それを馬鹿正直に伝えたら絶対に誤解を生む。
「……色々とお世話になってる人、かなぁ」
結局無難な言い回しに留めたリーゼに対し、ジークヴァルトは眉こそ顰めたものの、それ以上の追及はしてこなかった。
代わりに彼の視線は、リーゼの右手首へと静かに注がれていた。