後始末と後遺症【3】
それからフェリクスは定期的に娼館へとやって来るようになった。
そしてその度にリーゼのことを指名しては、眠るまで一緒に居てくれるのである。
正直、フェリクスが訪れた日の夜は安心して眠ることが出来た。
しかしいつまでも彼の優しさに甘えるわけにはいかない。
ということで五度目の訪問時。リーゼはベッドには上がらず、部屋の奥側のソファーに腰かけたフェリクスへ真剣な面持ちでもって話し掛けた。
「あのですね先輩、いつまでもこんなことを続けるべきじゃないと思うんです」
すると持参してきた書物を片手に、首元の細いリボンタイを軽く緩めたフェリクスが面白くなさそうに目を眇める。
「別に何も問題はないと思うが?」
「いや問題しかないですからね! 万が一にでも私達が娼館で会ってることが学院の人に知れたらどうするんですか!」
「揉み消す」
あまりにもシンプル過ぎる回答にリーゼは一瞬、言葉に詰まった。
だがすぐに気を取り直すと、
「私は……私のせいで先輩に迷惑を掛けたくないです。なので、私のためにここは引いて貰えませんか?」
素直な気持ちを吐露する。
対するフェリクスは僅かに眉根を寄せるが、やがて諦めたように大きく息を吐いた。
「君はなかなか狡い言い回しをするね」
「だって本当のことですもん」
「……だが、未だに夜は怖いんだろう?」
「そこは気合いでなんとかします! 実際、先輩のおかげで少しずつ改善はしてきてるんですよ」
これは本当のことだった。未だに眠りは浅く熟睡とは程遠い。さらに悪夢で飛び起きてしまうこともある。だがその頻度自体は着実に減っている。きっと自分の中で少しずつ折り合いがついてきているのだろう。
「それもこれも先輩のおかげです。本当にありがとうございました」
心からのお礼と共に深々と頭を下げる。するとフェリクスはこちらの下げた頭を乱暴にかき混ぜながら、仕方がないなという雰囲気で小さく笑った。
「――分かった、君の意思は尊重しよう。その代わり何か問題が起こったらすぐに僕に言うこと。いいね?」
リーゼは少し迷ったものの、最終的には首を縦に振った。
ここで固辞するのは違うと思ったし、何よりフェリクスの気持ち自体はとても嬉しいものだったから。
「このご恩は生徒会の仕事できっちりお返ししますね! もうすぐ新学期も始まりますし」
「ああ、期待しているよ。僕としても今まで以上に忙しくなるからね」
「それって……魔法士の資格試験とかですよね?」
「うん。生徒会長の引継ぎもあるしね」
「なるほど。次の生徒会長って決まってるんですか?」
「候補はいるけど確定ではないかな。まぁ僕の後任は荷が重いだろうけど、精々頑張って貰わないとね」
そんな雑談を挟みながらもリーゼは早々にベッドへと追いやられ。
いつも通りフェリクスに見守られながら深い眠りについた。
そして夜明けとともに目を覚ましたリーゼは、ソファーでうたたねをしていたフェリクスを起こすと人目につかない娼館の裏口の方へと一緒に向かう。表の玄関では見送れないので、彼が帰る際には裏口を使うのが二人の間では暗黙の了解となっていた。
「では、お気をつけて」
無暗に顔を晒さないようにフード付きの外套を纏ったフェリクスへ、飾り気のないシャツとスカート姿のリーゼが笑みと共に軽く手を振る。普段ならそれで去っていくフェリクスだが、今日は何故か足を止めたままだった。
「……どうかしましたか?」
不思議に思って声を掛ければ、彼はおもむろに自身の首元に手をやるとリボンタイをしゅるりと抜いた。彼の眼の色と同じアイスブルーの綺麗な細いタイ。滑らかな光沢をもつその美しさに目を惹かれていると、唐突にフェリクスが言った。
「手、出して」
「え?」
戸惑うこちらを無視して、彼はリーゼの右手を取るとその手首に外したばかりのリボンタイを器用に巻き付けた。突然の行動に面食らうリーゼを置き去りにして、フェリクスはどこか満足げな表情を覗かせると無言で歩いて行ってしまう。
意味不明過ぎて真意を問いたい気持ちでいっぱいだが、娼館の近くで長話をするわけにもいかないので結局そのまま彼の背中を見送るほかなかった。
フェリクスの姿が見えなくなったところで、リーゼは改めて右手首へと視線を落とす。
(……くれたってことで、いいんだよね?)
上質な布の感触を確かめながら、リーゼはどう受け止めればいいのか頭を悩ませる。
ただのきまぐれなのか、それとも他に何か意図があってのことなのか――しかし、そんな風に悩めたのも僅かな間のみだった。
「――リーゼ」
不意に聞こえてきた己の名前。
反射的に声の方を向いてしまったリーゼは、そこに居た人物に目を剥いた。
「……ジー、ク」