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平民特待生リーゼ・リール【2】


 今日は始業日のため本格的な授業開始は明日から――ということで、申請式の個人訓練室を時間いっぱいまで借りて魔法の自主練習に励んだ後、リーゼは夕暮れと共に学び舎を出た。

 一度自宅のボロアパートに戻ると急いで制服から男物のシャツとズボンに着替え、最後にキャスケット帽を目深に被って再び外へ。長い髪はキャスケット帽の中に仕舞ってあるので、今のリーゼを見ても女子とバレる可能性は低い。


「……こんばんはー。お疲れさまですー」


 そうして足を向けた先は、王都の北西地区に軒を構える老舗の娼館【ブルーリリウム】。

 人目を気にしつつ裏口から娼館へと入ったリーゼを出迎えたのは、華やかで煽情的な衣装に身を包んだ美しき金の蝶のような女性であった。


「あらリーゼ、今日は少し早いのねぇ」

「本格的な授業は明日からなので。ガブリエラさんは今日も変わらず美人さんですね」

「うふふ、ありがとう。けど煽てたところで給料は上がらないわよぉ?」


 どこか甘ったるい声で笑うこの女性こそ、リーゼの雇い主であり娼館の主ガブリエラだ。ちなみに本名かどうかはリーゼの知るところではない。

 見た目の年齢だけで言えばニ十代後半といったところだが、実年齢は不明。とにかく謎の多い人物だが、その経営手腕と変わらぬ美貌で【ブルーリリウム】の看板を守り続けている女傑である。


「お給料は既に十分いただいてます。むしろ借金返済のためにもっと頑張りたいんですけど」

「それはだーめ。今だって本当は働かせたくないのよ? なんてったって貴女はロッテちゃんの忘れ形見なのだから、わたしの娘も同然だもの」


 ロッテちゃんというのは亡くなったリーゼの母のことである。ガブリエラと母ロッテはリーゼが生まれる前からの付き合いらしく、自他ともに認める大親友の間柄だった。一年前、母が亡くなった時にガブリエラがいてくれなければ、きっとリーゼは学院入学を断念するどころか路頭に迷っていたことだろう。

 色んな意味で恩人であるガブリエラの優しさに、リーゼは自然と顔をほころばせた。


「お気持ちは嬉しいですが、流石にこれ以上ガブリエラさんに甘えるわけにはいきませんよ。自分の食い扶持は自分で稼ぐのが平民の流儀ですしね」

「……まったく、頑固なんだからぁ。そういうところもロッテちゃんそっくり」

「そこは親子ですから。……さて、まずは先週分の帳簿の確認から始めますね」


 ガブリエラとの会話をそこそこに切り上げ、リーゼは給料分の仕事をすべく隣の事務室へと移動した。

 娼館でのリーゼの主な仕事は帳簿関連の処理だ。他にも手が空いていたら清掃作業や軽食準備などの雑用も頼まれている。娼館勤務ではあるもののお客を取るようなことは一切なく、完全に裏方の健全な業務のみだ。しかもたった週ニ、三日の通いでリーゼひとりが生活できるほどの給料を貰っている。


 他の店で同じだけの給料を貰おうと思ったら毎日身を粉にして働かなくてはいけない。しかしそれでは確実に学業に支障が出る。

 だからこそ多少危ない橋を渡ってる自覚はありつつも、リーゼはガブリエラの厚意に甘え娼館で働く選択肢を取った。念のため男装もして身元を分からなくしているので、あと二年くらいならばどうにかなるだろう。


(さて、先週の売り上げはっと……)


 いそいそと棚から取り出した帳簿と睨めっこしながら、リーゼはペンを手にカリカリと計算を始める。

 この作業も既に一年近く行なっているので慣れたものだ。元々こうした細かい計算や事務処理能力に長けているリーゼは、なんだかんだとガブリエラから信頼され重宝されている。

 そうしてしばらく一人静かに作業に没頭していると、突然事務室の扉が開いた。


「リーゼ、いる!? ちょっと来て欲しいんだけど!」


 大声と共に慌てた様子で飛び込んできたのは、まだここに来て日が浅い娼婦のビアンカだった。


「何かあったんですか?」

「さっき隣の部屋の子が客に殴られたみたいなの! えっと、こういう時はリーゼに頼めって前に聞いてたから……っ」

「っ! 分かりました、ちょっと待ってください」


 リーゼはやりかけの帳簿を閉じ急いで棚へ仕舞うと、先導するビアンカの後に続いた。ほどなく客室のひとつに通されると、左頬を腫らした女性がガウンを羽織った姿でベッドに寝そべっているのが目に入る。どうやら意識はあるらしく、彼女はリーゼの存在に気づくと安堵の息を漏らした。


「大丈夫ですか? 殴られたと聞きましたが、その左頬ですよね?」

「うん……ちょっとね。でも大したことないのよ? お客様もお酒が入って少し気が大きくなってただけで、悪気があったわけではないの」

「……とりあえず応急処置しますね」


 客を庇う女性の言葉を半分聞き流しながら、リーゼは彼女の左頬にそっと右手を当てる。そしてそのまま小さく詠唱を開始した。


「《小さき光よ、彼の者を癒し、巣くう痛みを払い給え》」


 詠唱に反応して淡い光がリーゼの右掌に集まると、女性の左頬へじんわりと移り広がっていく。

 これは光属性の治癒魔法。基礎魔法の一種で軽い打撲程度なら数分も掛からず完治させることが出来る。ほどなく女性の頬からは怪我の痕跡が綺麗に消え去った。


「……これでよし。痛くないですか?」

「ええ、大丈夫よ。本当にありがとう。流石はロッテさんの子ね。才能はお母様譲りだわ」

「私なんてまだまだですよ。とにかく酷い怪我じゃなくて良かったです。念のため、明日にでもお医者さんに診て貰ってくださいね?」


 そう言って軽く微笑んだ後、リーゼは速やかに部屋を出た。この時間は既に客を大勢娼館内に入れている。男装しているとはいえ姿を見られるのは得策ではない。早く事務室に戻らなければ。

 しかし、そんなリーゼの事情を理解していない人物がこの場には居た。


「ねぇねぇ! さっきのって魔法でしょ? 凄いわ! もう一度見せてくれない?」


 客室への扉が並ぶ廊下で悪気なく背後からこちらの両肩を掴んで強請るのはご機嫌なビアンカだ。

 彼女の甲高い声が廊下に響くのに、リーゼは慌てて小声を返す。


「すみません、ここではちょっと。営業終了後ならいくらでもお見せしますので」

「えー、別にいいじゃない。リーゼったらケチなんだからぁ」

「いやあの、ここで名前を呼ばれるのも困るんで! 話ならせめて裏で――」


 言いながら、リーゼはビアンカの顔を見ようと後ろを振り返った。しかし、彼女の背後に別の人物の姿を見つけて途中で言葉を止めた。


「な……んで」


 代わりに零れた自分の声にすら動揺しながら、リーゼは視界に映ったプラチナブロンドに目を見張る。

 何故なら相手もリーゼの方を興味深げに見返しているからだ。


「リーゼ? どうしたの……って、やだ、イイ男ぉ!」


 能天気なビアンカの声が今は恨めしい。そう、確かに見た目はすこぶるイイ男である。

 これが見知った顔でなければリーゼだって歓迎したことだろう。しかし、残念ながら今朝の全校集会でこの男の姿はしっかり目に焼き付けたばかりである。

 一瞬、男装しているし自分の正体がバレる可能性は低いのではないかと思ったが、彼の確信を持った瞳の色からそれが甘い現実逃避であることをなんとなく察する。


 しばらく無言で見つめ合っている――というよりも、蛇に睨まれた蛙の心境で固まっていたリーゼに対し、眼前の美青年ことフェリクスは柔和な笑みを湛えてみせた。


「とりあえずリーゼとかいうそこの君。二人きりで話せる場所に移動しようか?」

「え、と……お客様、ボクはしがない雑用係ですので、ご用ならば別の者を」

「あ、そういう風にしらばっくれるつもりなら、僕もそれなりの対応をするよ?」

「今すぐお部屋にご案内いたしますどうぞこちらへ!」

「え~、どういうことぉ? リーゼ、このお客様と知り合いなの?」


 ビアンカの疑問に答える余裕などなく、リーゼは彼女の手から逃れるとフェリクスの方へと近づき、少し躊躇いがちにその手を取って廊下を歩き始めた。とにかく二人きりで話せるところ、と考えて従業員用の休憩室へと進路を定める。

 平民などに手を取られて不快感を露わにされるかとも思ったが、チラリと背後を窺った限り、フェリクスはどこか機嫌が良さそうだった。それがリーゼからすれば逆に恐ろしくもあったが。



 ――かくして、物語は冒頭のやりとりへと戻る。

 それはリーゼの受難に満ちた新たな学院生活の幕開けを意味していた。


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