合同演習【8】
リーゼが居なくなった後、最初に異変に気づいたのはパラッシュ侯爵令嬢だった。
というのも彼女はリーゼとヘルタがテントを出た時に実は起きていたらしい。会話の流れから出ていった理由も察せられたので、特に疑問に思うこともなく寝たふりをしていたそうだ。
しかし、数十分経っても二人が戻って来ないことをだんだん不審に思い、何かあったのではないかとテントを出たところで一人戻ってきたヘルタと遭遇。
当然、一緒にいる筈のリーゼが居ないことをパラッシュ侯爵令嬢が問うと、ヘルタは明らかに動揺した。
「それでも最初はしらを切ろうとしていたんですが、私が二人が一緒に出ていくのを見ていたことを告げた後は態度を一変させてきて――」
なんとヘルタはその場で泣き崩れたのだという。
曰く、一緒に森の中に入った後、はぐれてしまったと。
懸命に探したが見つからず、怖くなって自分一人だけで戻ってきたのだと。
「……正直、彼女の言葉をそのまま信じる気にはなりませんでしたわ。しかし事実としてリール嬢が行方不明になっている。ですので私は急いでフェリクス様や他のD班の方々に報告をし、そこからはフェリクス様の指示のもとで貴女を捜索する形になったのです」
夜の森を学生が捜索するのは二次被害を生みかねない。そのためD班からはフェリクスとジークヴァルトのみが先行して単独での捜索に臨み、残りのメンバーで手分けして教員への報告や見つかった後の対処の準備などを進めていたのだという。
「後のことは貴女もご存知の通りですわ。一応、私とフェリクス様の判断のもとヒルシュ子爵令嬢は保護という名目で先生方に監視して貰っている状態ですが……」
言って、パラッシュ侯爵令嬢が心配そうにこちらを見る。
リーゼは自分自身が今、どういう表情をしているのか分からなかった。
ただ現状のヘルタがこちらへ危害を加えられる状態にないということが分かり、その点だけは心底安堵した。流石にこの精神状態で彼女と対峙するのは厳しすぎる。
「……リーゼ、君に確認しなければならないことは多くあるが今はとにかく身体を休めてくれ。話の続きはまた明日にしよう」
フェリクスの優しい声にリーゼはコクリと頷いた。もう朝もほど近い。自分の捜索のせいでフェリクス達だって碌に寝ていないのだから少しでも休息を取るべきだろう。
そうして男性陣はテントを出ていき、リーゼはパラッシュ侯爵令嬢や女性教員に見守られながら静かに横になって目を瞑った。最初は上手く眠れるか不安だったが、自分で思うよりも遥かに限界だったのだろう。リーゼはあっさりと眠りの世界へと落ちていった。
そして次の日の朝。
昨夜の疲れは残しつつも、リーゼは今回の経緯についてをヘルタを除いたD班の面々や教員方に改めて説明した。出来るだけ客観的事実を淡々と口にしていったが、聞き手側の表情は話が進めば進むほどに険しさを増していく。
特に顕著なのはジークヴァルトで、普段あまり表情に変化がない彼だからこそ、その憤り様は凄まじかった。あまりにも隠さない態度にリーゼの方が途中で心配になり、思わず彼を宥めたほどだ。
「――という流れで、私が管理外区域で身を潜めていたところをフェルゼンシュタイン先輩に発見され、今に至ります」
そこで言葉を切り、ふぅと息を吐く。
するとすぐ横で話を聞いていたパラッシュ侯爵令嬢が不意にぎゅっとこちらを抱きしめてきた。
「あの時、私がついて行っていれば良かった……怖かったでしょう? 本当によくぞ無事で……っ」
その言動にリーゼは驚きを隠せなかった。
「あ、あの……信じて、くださるんですか? 私の話――」
思わず口をついて出たその発言に、今度はリーゼ以外の面々が顔に困惑の色を浮かべる。
そこでリーゼは慌てて言葉を付け加えた。
「あ、いえ、その! 誓って嘘は言ってません! ……ただ、私は平民ですので。普通に考えれば私の話よりも、ヒルシュ子爵令嬢の話の方を信用するのではないかと」
平民であるリーゼにとって、それは当たり前のことだった。
平民の訴えなど貴族の前ではほとんど無力だ。いくら正しいことを訴えても容易に握り潰されてしまう。この社会は決して平等などではない。
しかも前回の令嬢集団の一件と違い、今回は第三者の目もない中で起こった事件だ。
被害者であるリーゼの証言だけで貴族令嬢であるヘルタを罪に問えるのかどうか。最悪、証拠不十分で無罪放免になってもおかしくはないのではないか。
自然とそう考えたリーゼを真っ先に否定したのはジークヴァルトだった。
「他の奴は知らねぇけど、俺はお前の言葉を信じる」
あまりにもキッパリと言い切るものだから、リーゼは思わず笑ってしまった。
「気持ちは嬉しいけど、盲信は良くないと思うよ?」
「それを決めるのは俺の自由だろ」
どうやら譲る気はないらしい彼の信頼は、正直なところリーゼの胸を打った。少なくともジークヴァルトだけはリーゼの味方で居てくれる。それがとても心強い。
だが、賛同者は他にもいた。
「……生徒会長としてリール嬢の人間性については他の者より理解しているつもりですし、第一発見者としても、発見時の状況からリール嬢の自作自演を疑う気はありません」
「私もリール嬢の話を信じますわ。昨夜ヒルシュ子爵令嬢と対峙した際、彼女が何かを隠そうとしていたことは明白でしたから」
フェリクスとパラッシュ侯爵令嬢の言葉に、教員たちは顔を見合わせながら小声で何かを囁き合う。彼らとしてはむやみに事を荒立てたくはないだろう。しかし高位貴族の子息子女が揃って平民であるリーゼ側を支持したことで、事件自体を有耶無耶にすることはほぼ不可能となった。
そこへさらに追い打ちをかけるように、おずおずと手を伸ばしたのはD班の二回生男子だった。
「……あの、実はオレ……昨夜ヒルシュ子爵令嬢と会話をしたんですけど」
「それは本当か? なぜ今まで黙っていたんだ」
フェリクスの詰問に男子生徒は顔を青くしながら慌てて弁明する。
「だ、黙ってて欲しいって! ヒルシュ子爵令嬢に頼まれたんです!! ……火の番をしていたオレに、彼女はもじもじしながら『今から少しだけ森に行くけど恥ずかしいから皆には秘密にしてて』って。最初は心配だからオレが一緒について行くか、他の女子生徒と一緒に行ったらって提案してみたんですけど、一人で大丈夫って」
「……それで?」
「オレが『分かった』って言ったらすぐに離れていきました。そのまま森の方へ走っていったので、一応戻ってくるまでは心配でそっちを警戒してたんですが……間違いなく三十分以上は掛かってました」
彼はそこまで言うと、ちらりとパラッシュ侯爵令嬢の方を見る。
「その後はパラッシュ侯爵令嬢が話した通りです。ヒルシュ子爵令嬢は間違いなく一人で森に行くと言っていました。でも、パラッシュ侯爵令嬢にはリール嬢と一緒に行ったと話していた……つまり、オレには嘘を吐いていたんだって、その時に気づいて……正直、怖くなりました」
その証言にテント内がしんと静まり返る。
もはやヘルタの証言を全面的に信用するのは難しいということは誰しもが悟っただろう。
難しい顔をする教員たちへフェリクスが毅然とした態度で告げる。
「僕は今回の件について、徹底的な調査と真相究明、その結果を踏まえた厳正なる対応を学院側に求めます」
「だが、あまり事を大きくするのは――」
「ッ……ひとつ間違えば死者が出ていたかもしれないんですよ! 事の重大さをきちんと理解していただきたい」
その声には静かな怒りの色が滲んでいた。
それを重く受け止めたのか、教員達の中で一番年長と思しき男性が神妙な面持ちで頷く。
と、ちょうどその時、テントの外から声が掛かった。
「――すみません、少しよろしいでしょうか?」
教員が応じると、テント内に数人の男女が入ってくる。その中にあり得ない人物を見つけてリーゼは思わずひゅっと息を呑んだ。
「ああ! ご無事で何よりです、リーゼさま……っ!」
感極まったように目尻に涙を浮かべながらそう微笑みかけてきたのは、他でもない――ヘルタ・ヒルシュ子爵令嬢その人だった。