合同演習【7】
フェリクスに抱えられたまま、リーゼは無事に野営地へと戻ることが叶った。
こちらの姿に気づいたパラッシュ侯爵令嬢やD班の三回生男子が気づいて駆け寄ってくる。
「良かった!! 無事に見つかったか!!」
「その格好……なんてひどい……っ! さぁ、早くこちらのテントに――」
野営地は大きな火が焚かれ、教員をはじめ学院関係者の姿もチラホラと見えた。
フェリクスに地面へと下ろして貰い、パラッシュ侯爵令嬢や女性教員の手を借りながらリーゼは着替えや怪我の具合を診るためにテントの方へと速やかに移動する。
ちなみにフェリクスの治癒魔法のおかげかだいぶ体調も楽になっていた。流石に熱で頭はややぼんやりとしているが意思疎通を図る分には問題ない。
泥だらけの運動着を脱ぎ、髪や身体をざっと濡れタオルで清める。
しかしその過程でパラッシュ侯爵令嬢が唐突に息を呑んだ。彼女の視線の先からリーゼはすぐに察する。
「背中、そんなに酷いですか?」
「――っ」
その無言は肯定を意味していた。だいぶ痛みは引いているのでリーゼ自身としてはさほど気にならないが、貴族令嬢の目からは見るに堪えない痕が残っているということだろう。
「……背中もだけど、右足もかなり酷く折れているわね。この怪我に対応出来る治癒魔法の使い手は今この場に居ないから、学院から至急応援を要請しましょう」
「ええ、すぐにお願いしますわ先生。女性にこんな……もし学院の方で不足でしたら、我がパラッシュ侯爵家からもお抱えの魔法士を派遣いたしますので」
「え!? そんな、大丈夫ですから――」
「大丈夫なはずないでしょう! 貴女は黙って身体を休めることだけを考えればいいのです!!」
「……は、はい」
パラッシュ令嬢の剣幕に気圧されつつ、リーゼは黙々と着替えを終えるとすぐ傍にあった簡易椅子へ腰かけた。気持ち悪かった身体が少しさっぱりしたことで自ずと思考に耽る余裕も生まれる。
正直なところ、リーゼとしては傷痕が残る程度は別に構わなかった。右足をはじめ後遺症さえ残らなければ生きる上で支障はないから。それよりも治療費の方が遥かに心配である。流石に学院実習中の出来事なので、高額請求はされないと信じたいところだが――と、そこへテントの外から声が掛かった。
「――フェルゼンシュタインです。少し入っても大丈夫でしょうか?」
「どうぞ」
代表してリーゼが返事をすると、少し難しい顔をしたフェリクスのほかにもう一人、テント内へと勢いよく入ってきた。
「ジーク?」
「ッ……リーゼ」
リーゼは目を丸くする。何故なら入ってきたジークヴァルトは全身汗だくで、酷く息を荒くしていたからだ。息も碌に整わないまま彼はリーゼの方へ真っ直ぐに歩み寄ると、膝を折ってそっとこちらの両肩へ触れた。そしてリーゼの顔を覗き込んでくる。至近距離で揺れる黒曜石みたいな瞳に自分の顔が映って、思わず動揺しそうになった。
「あ、あの……っ」
「――――無事で、良かった……ッ」
絞り出すような言葉と共にジークヴァルトからぎゅうと抱きすくめられて、リーゼは驚きのあまり身体を硬直させた。ジークヴァルトの匂いがする。首筋に当たる呼吸が熱い。さらに伝わってくる彼の心臓の音があまりにも速くて、リーゼは不意に泣きそうになった。こんなにも心配を掛けてしまった。きっと今の今まで自分を捜してくれていたのだろう。
「……見つけてやれなくて悪かった」
「ううん、そんなこと……ありがとう。私のこと捜してくれてたんだよね?」
僅かに頷き返してきた頭にそっと触れる。そのまま相手を落ち着かせるように、リーゼは彼の黒髪を優しく撫でた。その様子をテント内にいる他の三人は黙って見守ってくれる。なんとなく気恥ずかしさはあるが、リーゼはジークヴァルトを決して引きはがそうとはしなかった。
時間にしたら数分もなかっただろう。
多少冷静さを取り戻したらしいジークヴァルトが顔を上げると、改めてリーゼの目を見て問う。
「……熱があるな。怪我は?」
「あー……うん。大丈夫だよ? フェルゼンシュタイン先輩に治癒魔法で応急処置もしてもらったし」
「もう一度訊く。どこを怪我したんだ。全部教えろ」
その真剣さにリーゼは僅かにたじろぎながらも素直に怪我の場所を申告した。するとジークヴァルトは依然としてリーゼの両肩に手を置いたまま、一呼吸の後に詠唱を開始する。
「《遍く世界を照らす金色の光よ、その尊き力による奇跡を、我は今ここに希う、我が魔力と引き換えに、深く傷つきし彼の者を癒し、その身を祝福し給え》」
朗々と謳うような美しい響きの後に、テント内を柔らかくて温かな金色の光が満たしていく。
「!? 上級治癒魔法……っ!?」
女性教員の驚愕に満ちた声を拾いながらリーゼは自分の右足に視線を落とす。
そこは集中的に光が集まっており、明らかに赤く黒く腫れていた部分が正常な皮膚の色を取り戻していく。まるでその部分だけ時を早回ししているかのような、不思議な光景だった。
光属性の適性が高いリーゼでも上級治癒魔法を使うことは出来ない。上級魔法はどの属性も膨大な魔力とそれを完全に制御する技術が必要になるが、中でも光属性は扱いが難しいことで有名だ。
その代わり、効果は中級魔法の比ではない。僅か数十秒で全治数ヶ月相当の骨折を完治させてしまうほどの圧倒的な技量は――もはや一学生が使える範疇を軽く超えている。
「……ジーク、大丈夫? こんな凄い魔法、いくらジークでも無理してない?」
「この程度は問題にもならねぇよ。それより右足の方はちゃんと治ったな……背中は後であっちの二人にでも確認して貰ってくれ」
「うん。本当にありがとう」
もう一度改めてお礼を言えばジークヴァルトは無言で首を振った。
気にするな、ということなのだろう。
金色の光が完全に収まると、発熱以外にリーゼの身体で違和感が残る部分はなくなっていた。
「……シュトレーメル、治療は終わったのだろう? いつまで彼女に触れてる気だ?」
その言葉にリーゼが我に返って顔を上げれば、腕を組んだまま分かりやすく眉を顰めるフェリクスの顔に行き当たる。一方、暗に距離を取れと言われたジークヴァルトは面倒臭そうに溜め息を吐いた。
「アンタに指図される謂れはないんだが?」
「そうもいかない。僕らが居る状態では彼女も休めないだろう。そんなことくらい言われずとも察したらどうだ?」
「……」
その指摘には反論出来なかったようで、ジークヴァルトはリーゼからようやく距離を取った。
「では、僕らは一旦これで。先生とパラッシュ侯爵令嬢は彼女についていてあげてください。今回の事件に関する詳細は夜が明けて学院に帰還した後の方がいいでしょうから」
「事件……――ッ!!」
リーゼが拾った単語を繰り返した後に、ハッと目を見張る。
「そうだ、どうして……! どうして、私が居ないことに気づいたんですか!? というか、ヘル――……ヒルシュ子爵令嬢は? 彼女はいま、どこに――」
そんなリーゼの問いに、テント内の空気は一瞬にして重みを増した。