合同演習【3】
時刻は夕暮れに差し掛かろうという頃。
その後のD班は特に目立ったトラブルもなく森の散策と特別課題を順調にこなすことが出来た。
フェリクスがリーダーの時点で統率が完全に取れていたことも大きい。
そうして最終チェックポイントで教員に課題の魔獣や植物を引き渡してから辿り着いた本日の野営地は、森の中にあっても明らかに人の手が入り整備された平地の一画だった。
さらに学院側が手配したと思しき野営用の荷物一式まで置いてある。
「過保護だな」
とはジークヴァルトの言である。確かに実際の野営ではありえない程お膳立てがされている。
しかし所詮は学生による演習なのだ。しかも大半は貴族の子息子女。本格的なものよりも安全性を優先させた結果だろう。
「まずはテントの設営からかな。力仕事だしこれは女子用テントも男性側で請け負うとして――」
「では、私達は食事の準備でしょうか?」
「そうだね。食材自体は荷物の中にあるから手分けして作業してくれ」
荷物を前にフェリクスとパラッシュ侯爵令嬢がそんなやりとりを交わしていると、ヘルタが二人に対しておずおずと声を上げた。
「あのぅ……わたし、お料理ってしたことがないのですが……」
「大丈夫ですわヒルシュ子爵令嬢。料理と言ってもそれほど複雑なものを要求されはしません。火を起こして煮るか焼くかというぐらいのものですわ」
意外とワイルドなパラッシュ侯爵令嬢の発言にヘルタが感心しながら「それならわたしにもお手伝いできそうです……っ」と顔をほころばせる。
男子は男子でフェリクスに呼ばれて早速テントの設営に向かっていったので、残ったリーゼは女子二名のもとに近づいていった。
「具体的にはどんな食材があるんですか?」
「ええと……干し肉、パン、チーズに瓶詰のトマトソースとお野菜と果物がいくつか――」
同封のメモをパラッシュ侯爵令嬢が読み上げていくので、リーゼはそれを聞きながら実物を点検していく。
(うわ、私がいつも食べてるパンより上等なやつだ……)
食材のレベルが自分の水準よりもずっと高くてちょっぴり悲しい気持ちを覚えつつ、抜け漏れがないか確認し終える。大半は手を加えずにそのまま食べても問題はない食材だったので、最悪料理が出来なくても食事自体は可能だろう。ちなみにメモの裏には簡単なレシピも同封されていた。至れり尽くせりである。
「では石を拾ってきて簡単な竈を作り火を起こしましょうか。その間にスープの具材準備をするのがいいですよね?」
「そうですわね。とはいえ、私は包丁というものは使ったことがありませんので少々不安が……」
「わ、わたしもです……っ」
「じゃあ具材準備は私が引き受けましょうか。そんなに時間もかからないと思うので作業が終わったら竈づくりの方に合流しますね」
「そうしていただけると助かりますわ」
パラッシュ侯爵令嬢がにこりと微笑むのに、リーゼも同じく笑みを返す。
これほど和気藹々とした空気で演習に臨めるとは思っていなかったため喜びもひとしおだ。
「ヒルシュ子爵令嬢も怪我をしないことを最優先に出来る範囲でやっていきましょう。困ったことがあればすぐに相談してくださいな」
「は、はい……っ! よろしくおねがい、します……っ」
それから時間にして約一時間半ほどの後。
完全に日が落ちた星明かりの下で焚火を囲みながら。
無事にテントの設営を終え、念のためテントの周囲に獣除けの罠を設置し終えた男性陣と合流し、出来上がった夕飯を食べ始めた。
「ッ――う、美味い……!!」
男子生徒の一人が驚いたように声を上げる。
その言葉にリーゼは思わずホッと胸を撫で下ろした。
「うふふ、そうでしょう? このスープ、ほとんどリール嬢がお作りになられたのよ」
「へぇ! そうなんだ……リール嬢は料理が上手なんだね」
「野営って聞いて飯は全く期待してなかったけど、これなら全然悪くないな!」
口々に褒めてくれるメンバーにリーゼは照れくさくなって思わず頬を掻く。
母と二人暮らしだった頃から料理はリーゼの担当だった。今も当然ながら自炊だし、娼館での雑用の中に賄いづくりも入っている。ようは慣れの問題だった。
「……確かに美味いな」
「ほんと? 良かった」
隣で黙々と食べていたジークヴァルトが呟いた言葉にリーゼは自然と頬を緩ませる。
そこでチラリとフェリクスの方も目線で窺ってみれば、彼もこちらを見ていたらしくバッチリ目が合ってしまった。
「……フェルゼンシュタイン先輩、お味はいかがですか?」
「ん? ああ……悪くはない、かな」
彼にしては歯切れの悪い返答にリーゼは少しだけガッカリする。
これなら以前に成り行きでお裾分けしたハムサンドの時の方がよほど美味しそうにしてくれていた。
他のメンバーの反応を見るに味付けに問題がある訳ではないだろう。
(トマトスープはあまり好きじゃなかったのかな……って、別に私が気にすることでもないけど!)
しかしどうせならもっと美味しそうな顔をして欲しかったのも本音だ。
普段は餌付けされている身なので、自分がフェリクスに手料理を振る舞う機会はもしかしたら今回が最後かもしれない。
(……明日の朝ご飯はもっと気合い入れて作ろう)
そんな風にリーゼがひとり密かに闘志を燃やす中、夕食は和やかに進むのだった。
「――では、男子は持ち回りで火の番を。女性陣は朝までテントから出ないように」
夕食と片づけを終えると、すぐに就寝することとなった。
次の日の朝も早い上に慣れない環境下で十分な睡眠がとれる保証もない。
そうしたフェリクスの判断に意を唱える者は勿論おらず、男女に分かれてそれぞれのテントに入る。
テントの内部は思っていたよりもずっと広く、これなら三人でも十分快適に寝ることが出来そうだ。寝る際の配置はリーゼを真ん中に左側をパラッシュ侯爵令嬢、右側をヘルタが使うことに決まった。
「なかなか寝心地は悪くなさそうですわね……」
厚みのある敷き布の感触を確かめながら興味深そうに呟くパラッシュ侯爵令嬢に笑いながら、手元の魔石式ランプを一つだけ残して全ての灯りを消す。
余程疲れていたのだろう。左右からはすぐに寝息が聞こえてきたのでリーゼもゆっくりと目を閉じる。
(……思っていたよりも、ずっと楽しかったな)
寝入り端に、そんなことを考えながらリーゼもほどなく眠りに落ちていった。
本当の試練はここから始まるとは、まさに夢にも思ってはいなかった。