試験結果とご褒美と
「リーゼがこの時間に居るってことは、試験は無事に終わったのねぇ」
そう声を掛けてきたのはリーゼが務める娼館ブルーリリウムの主ガブリエラである。
事務室で溜まっていた帳簿を片付けていたリーゼは顔を上げて、いつ見ても麗しい彼女に笑いかけた。
「はい、おかげさまで。溜まってる仕事も数日中には済ませますね」
「別に焦らなくても大丈夫よ。月末までに間に合っていればいいから……それよりも」
ガブリエラが近くにあった椅子に腰かける。そこでリーゼは完全に作業の手を止めた。
「肝心の試験はどうだったのかしら? もう結果は出ているの?」
「ええ、結果はですね……なんと学年総合一位を取れちゃいました!」
「あらまぁ! それは良かったわねぇ!」
我がことのように喜んでくれるガブリエラにリーゼもへにゃりと表情を崩す。
「これも仕事を融通してくれるガブリエラさんのおかげです! 本当にありがとうございます」
「うふふっ、相変わらず謙虚ねぇ。結果はリーゼが一所懸命頑張ったからでしょう? もっと素直に誇ればいいのよぉ」
ガブリエラの言葉にリーゼは首を軽く横に振る。
「いえ、実は今回はガブリエラさんだけじゃなくて別の人にも助力いただいたんですよね。だから自分だけの力って言えるほどじゃないかなと」
「? どういうこと?」
「えっとですね――」
娼館勤務がバレたことが発端であることは伏せつつ、リーゼは今年度から生徒会入りしたことと、生徒会長フェリクスから試験についてアドバイスを受けたことなどを掻い摘んで説明した。
(……そういえば先輩、私が一位取れたこと普通に喜んでくれたな)
よくやった、と頭を撫でてくれたのはつい昨日のことである。おまけに好成績のご褒美だとお菓子の詰め合わせまでくれた。かなり驚いたが、どうやら彼はリーゼに甘味を食べさせるのが好きらしいと最近気づいたので、ありがたく頂戴することにした。食料に罪はないし、何よりお菓子はとても美味しいので。
そんなリーゼの話を聞いたガブリエラは紅く色づく唇をちろりと舐めながら笑みを深める。
「そのフェリクス様って、もしかしなくてもフェルゼンシュタイン侯の御子息よね?」
「あ、ご存知なんですか?」
「フェルゼンシュタイン侯からは何かと御贔屓にしていただいているのよ。御子息が店に来たことがあったかはちょっと分からないけど、年齢的には来ても可笑しくないかしら?」
リーゼは思わず冷や汗を掻いた。本当は来たことがあるどころの騒ぎではない。
そんなリーゼの表情変化に気づいたのか、ガブリエラが微かに眉を顰めた。
「……ごめんなさい、怯えさせちゃったかしら? 表に出ることがなければリーゼがここに務めていることはバレないと思うけど……まぁ、用心するに越したことはないわ。リーゼもより一層、気を付けてちょうだいね?」
ガブリエラの気遣いに胸がちくりと痛む。だがフェリクスとの仲を打ち明けるわけにはいかず、リーゼは神妙な顔つきで頷くに留めた。するとガブリエラは今度は何故か一転して悪戯っ子のように目を細める。
「それとも、フェリクス様が娼館を利用してるかもってことがリーゼには嫌だったりするのかしら?」
「えっ!? ……あ、いや、その……」
言葉に詰まったのは、実際に想像してしまったからだ。
娼館を利用するフェリクス――それはつまり、ガブリエラのような妖艶な美女と夜を共に過ごすということ。
(……む)
正直、胸のあたりが少しモヤモヤしてしまった。
この気持ちを端的に評するなら――そう、面白くない、だ。
(これはなんだろう……あれか、飼い主を取られた犬の気持ち……?)
この三ヶ月ですっかり飼い慣らされてしまったとでもいうのだろうか。そんな戯言を即座に否定出来ない自分が悲しい。
確かにフェリクスとは急速に距離が近くなった。餌付けされている自覚もある。自分自身、ちょっと彼には素で懐いているという感覚も、ある。
「あらあらぁ? もしかしなくても、リーゼったらお年頃ねぇ……!」
何故か大変ご満悦そうなガブリエラに「違いますから!」とリーゼは慌てて声を上げる。
「別に先輩が誰とどこで何をしようが、私には関係ないですよ」
「でも今の反応は明らかにフェリクス様を意識していたでしょう?」
「……まぁ、最近は何かとお世話になっているので。そういう人のこう、女性関係を少し想像してしまって思わず気まずくなったというか、思考が停止しそうになったというか」
自分でもなんでこんなに必死で言い訳をしているのだろうかと思いつつ、リーゼはガブリエラに拙い言葉を返す。その様子すら、ガブリエラにとっては興味深い見世物だったようだが。
「うふふ……春ねぇ」
「もうすぐ夏ですよ」
裏に隠れた言葉の意味をバッサリと切り捨てながら、リーゼは僅かに赤くなった頬を隠すように俯く。しかし次の瞬間にはガブリエラについと頤を指でなぞられた。必然的に上向いた顔をまじまじと見ながら、ガブリエラが柔らかく微笑む。
「――やっぱり前よりも少し健康的になったかしら? 肌艶も良くなってるわねぇ」
「そっ……そうですか……?」
「これが恋の力ってやつかしらねぇ」
「いやだから違いますって!!」
どうにもそっち方面に話を持っていきたいらしいガブリエラの手から逃れつつ、リーゼは小さく嘆息した。
「今の私に恋愛なんてしてる余裕ないですって……それに、先輩は公爵家の人ですよ? 恋愛対象にするなんて恐れ多すぎます」
「そう? 恋に身分は関係ないわよ? 想うだけなら誰にだって権利はあるわ」
「それは、そうかもしれませんが……」
確かに想うだけなら自由かもしれない。けれど実ることのない想いを抱き続けることに何の意味があるというのだろうか。そんな暇があったらリーゼは魔法実技の訓練に充てたい。切実に。
「……それとも、リーゼには別に気になる人が居るのかしら?」
ガブリエラのそんな何気ない言葉で真っ先に思い浮かべてしまった人物に、
「っ~~!!」
「リーゼ!?」
リーゼは思わず机に頭をぶつける勢いで突っ伏した。
突然の奇行にガブリエラも驚きの声を上げるが、正直それどころではない。
(……なんでジークの顔とか思い浮かべちゃったかなぁ私!!!)
いや親しい男性なんてフェリクスの他にはジークヴァルトしかいないので、当然と言えば当然なのだが。しかし彼だってフェリクス同様に貴族であり恋愛対象になどなりえない。
「これはもしかしなくても……図星だったのかしらぁ?」
ほどなく落ち着きを取り戻したガブリエラの楽し気な声が頭上に降って来る。
「ねぇねぇ、どんな人? どんな人なの?」
「……あーもう! この話はおしまいです! お仕事しましょう、お仕事!!」
リーゼはガバっと顔を上げるとその勢いのまま立ち上がった。気持ちを切り替えるためにも一度、顔を洗って出直すべきだろう。
そんなリーゼの脳裏に未だちらつくのは、古代魔術理論の試験結果を見せてきたジークヴァルトの表情だ。
『――ありがとな、お前のおかげだ』
照れくさそうに微笑んだジークヴァルトは年相応の少年のようで、可愛くて。
こんな顔を見せてくれるならいくらだって力になるのにと思ってしまったのも事実である。
(ギャップ……ギャップに弱いのか私……)
フェリクスといい、ジークヴァルトといい。
普段周囲に見せる側面とは違う種類の顔を見せてくるから性質が悪い。
(しかも来月は――って、そうだった!)
重大なことを思い出したリーゼは、事務室を出る前にガブリエラの方を振り返った。
「ガブリエラさん、大変申し訳ないんですが来月の第三週で三日間、お休みをいただけないでしょうか?」
リーゼの突然のお願いにキョトンとしながらも、ガブリエラは「それは別に構わないけど」と返す。
「学院は来月から長期休暇だったわよね? 何か大切な用事でもあるのかしら?」
その問いに、リーゼはコクリと頷いた。
「実は二回生と三回生の合同演習があるんです――泊りがけの」