勉強会2日目
勉強会二日目も初めは順調だった。
昨日で数学はある程度の目星がついたため、今日は古代魔術理論を中心に教えることになった。
どうやらジークヴァルトは数学よりも古代魔術理論の方が苦手らしく、質問の頻度は明らかに多くなった。
古代魔術理論は現代魔法理論の前身となる学問だが、使用言語が古語であるために解釈に悩む記述も多く、取っつきにくい学問であることは間違いない。
ジークヴァルトが引っ掛かっているのも古語に関する部分が多かったため、リーゼは解釈に迷う場合は都度古語辞典を引く癖をつけたほうがいいとアドバイスをした。
「現代魔法が使えれば、古代魔術なんてもんは必要ねぇと思うんだがな」
辞書をぱらぱらとめくりながらジークヴァルトが珍しくぼやく。彼の気持ち自体には共感する。確かに普通に生きていく上で古代魔術が役に立つことはかなり少ない。
「けど、古代魔術には浪漫があるよ。現代魔法では再現出来ていない大規模魔術についての論文とか、詠唱ではなく魔術陣を用いた儀式魔術についてとか……」
「……そういうの好きなのか?」
「うん。昔から学ぶことは好きだし魔法は私にとって唯一の武器だから」
普通、平民として生まれれば職業の選択肢に魔法士は入らない。しかし幸運にもリーゼは魔力と素養に恵まれた。国家公認の魔法士となれば生涯食べるのにはまず困らないし、平民では知りえない知識や経験も積むことが出来る。
それが分かっていたからこそ、亡き母もリーゼが国家公認魔法士になることに協力的だった。
金銭的に困窮しながらも学ぶための費用は惜しまなかった母に、リーゼは深い感謝と尊敬の念を抱いている。その想いは一生、変わることはないだろう。
「古代魔術理論の研究が最新の魔法理論に影響を与えることも少なくないし、学んで損をするということはないと思う。ただ、やっぱり学ぶ上でのハードルは高いからね。興味が持てないなら、試験で及第点を取る目標でも構わないんじゃないかな?」
特待生であるリーゼとは違い、ジークヴァルトはそこまで全教科にこだわる必要はないだろう。
そもそも彼は実技が飛びぬけているので座学の成績がイマイチでもおそらく卒業出来るはずだし、国家公認魔法士の試験も実技評価のみで突破出来る可能性が高い。いわゆる推薦枠という形で。
逆に実技に不安が残るリーゼは座学で上位を取らなければ国家公認魔法士の資格取得は難しいだろう。魔法士は座学よりも実技が優先される職種なのだ。
「ジークも魔法士の資格は取るんだよね?」
「…………ああ、一応は」
何故か回答までに妙な間があった。しかし特に気にせず、リーゼはへらりと笑う。
「私も目指してるから、一緒に合格できると良いね」
言って、リーゼは続きをやろうかと勉強に戻るようジークを促す。
彼はそんなリーゼをどこか眩しいものを見るようにしながら、
「心配しなくても、お前なら合格するだろ」
そう当たり前のように口にした。リーゼはその言葉が嬉しくてさらに笑みを深める。
そこから二人は勉強に集中した。心なしか始めた時よりもジークヴァルトは熱心に教科書を捲り、リーゼに疑問をぶつけてくる。積極的に学ぶ姿勢を受け、リーゼの指導にも熱が入った。
そのまま小一時間ほど経過し。
流石に疲れが見えたので少し休憩しようかと、リーゼがジークヴァルトに声を掛けようとした時だった。
教室の出入り口付近に人影が見えた気がして、自然とリーゼの視線はそちらへと向く。
「――え」
思わず反射的に声を上げてしまったのは、そこに立っていたのが予想外の人物だったからだ。
リーゼの異変にジークヴァルトも顔を上げたのが視界の端に入る。
「……なんでアンタがここに居るんだ」
威嚇混じりの声を向けられても、その人物はどこ吹く風とばかりに余裕ある笑みを決して崩さない。
それどころかジークヴァルトを鼻で嗤うかのような傲慢さで、
「そんなの決まってるじゃないか。ただの暇潰しだよ」
フェリクスは堂々と言い放った。
そんなやりとりを横にリーゼはゆっくり立ち上がると、フェリクスの方へ硬い表情のまま歩み寄る。
「……三日間は自由にしていいというお話だった筈では?」
「うん。だから自由にさせてるじゃないか」
「じゃあどうしてこんなところに居るんですか」
「言っただろう? ただの暇潰しだよ。ああ、陣中見舞いと言った方が聞こえは良いかな?」
言って、彼はリーゼに小さなバスケットを差し出した。
反射的に受け取ると中からほわりと甘い匂いがすることに気づく。
「うちのシェフお手製のフィナンシェとマドレーヌだよ。糖分補給も悪くないだろう?」
「ぐっ……あ、ありがとうございます……」
美味しいものに罪はない。リーゼは納得いかない気持ちを抱えつつも素直にお礼を口にする。ちょうど休憩を挟もうと思っていたこともあり、茶請け自体はあるに越したことはない。
「……用件がそれだけなら出てってくれ。勉強の邪魔だ」
背後から聞こえてきた硬質な声はジークヴァルトのものだった。振り返れば思いのほかすぐ後ろまで来ていた彼が、リーゼの頭に軽く手を載せる。それにピクリと蟀谷を動かしたフェリクスは、
「君、それわざとやってるんだよね?」
と、何やら意味深な言葉を吐く。
対するジークヴァルトは何も答えない。だが、雰囲気がフェリクスの発言を肯定していた。
先日の一件といい、どうもこの二人は相性が致命的に悪い。
「先輩、差し入れありがとうございます。この後ふたりで美味しくいただきますね?」
だから早く帰れと言外に含ませれば、フェリクスのアイスブルーの瞳が一段、冷えた気がした。
「ふぅん。君は貰うだけ貰って僕をお払い箱にする気なんだ……いい度胸だね?」
どうやら完全に機嫌を損ねてしまったらしい。しかしフェリクスも誘って三人で休憩を、というのも空気が最悪になるのは目に見えていたので絶対に避けたかった。八方塞がりの状況にリーゼが本気で困っていると、ジークヴァルトがわざとらしく溜息を洩らした。
「……リーゼ、今日はもう終わりにしよう」
「! でも、まだ下校時間まで余裕あるのに」
「いいよ。後は自分の家でやるから」
板挟みになっていたリーゼを気遣ってくれての発言だというのは明白だった。
彼はリーゼの頭をひと撫でしてから、自席に戻ると手早く荷物を纏めて教室を出ていく。
リーゼはその背中に「ありがとう、また明日ね!」と声を掛けた。
一方、そんなこちらのやり取りを黙って見ていたフェリクスは、ジークヴァルトの姿が完全に見えなくなったのと同時に正面からリーゼの頭をガシリと掴んだ。
「なっ!? 何するんですか!!」
「躾け」
「意味わかんないんですけど!! というか、さっきの態度は何なんですか! 子供じゃないんだから後輩に失礼な態度取らないでくださいよ」
理不尽な拘束を振り解くべく強引に頭を振ろうとしても、フェリクスの手は離れてくれない。
せめてもと上目遣いで抗議すれば、
「なら、僕以外の奴に尻尾を簡単に振るな。君が懐く相手は僕だけでいい」
思いのほか真剣な顔でそう言われてしまう。
同時に彼の瞳の奥が少しだけ不安げに揺れているように感じてしまい、リーゼはなんとなくそれ以上、反論することが出来なかった。
だから代わりに、手に持ったバスケットを軽く掲げる。
「……せっかくいただいたので少しお茶していきたいと思います。生徒会室を使っても良いですか?」
本当は言いたいことは山ほどあるが、リーゼだって別にフェリクスとの関係を悪くしたいわけじゃない。だからこれは譲歩だ。ジークヴァルトに対する非礼は頃合いを見計らって注意すればいいだろう。
そんなこちらの想いが伝わったかはさておき。
リーゼの行動にフェリクスは僅かに瞠目した後で、
「――……うん。僕の分も用意してくれるなら」
と、どこかバツが悪そうに言って、こちらの頭をくしゃりと撫でた。