勉強会1日目
「――つまり、この手の問題ならこっちの式を代入すれば良いわけか」
「そう。これ系統は絶対引っかけ問題で出ると思うから」
「分かった、覚えとく」
期末試験開始三日前の放課後、二回生Aクラスの教室内で。
リーゼはジークヴァルトと二人きりの勉強会をしていた。
最初は遠慮していたジークヴァルトだったが、どんな教科でも教えられるとリーゼが自信満々に胸を張るので、それなら苦手な数学と古代魔術理論を教えて欲しいと返してきた。
という流れで早速、数学を教えているわけだが――
(……思ってたよりも全然出来てる。これ、私が教える必要なかったかも)
真剣な表情で問題に向き合うジークヴァルトを見つめながら、リーゼは気づかれないように嘆息した。
普段の魔法実技演習で、リーゼはジークヴァルトにこれでもかというほど世話になっている。
とにかく彼の実力は二回生はおろか三回生、もしくは講師陣にも匹敵していた。そんな彼がペアということでリーゼにほぼ付きっきりで実技の補助やアドバイスをしてくれているのだ。
おかげでリーゼの実技の成績はここのところ上昇の一途をたどっている。ペアでならクラス一位を取ることも珍しくはないほどに。不安だった実技が好成績ということはリーゼの特待生としての地位も安泰ということ。まさにジークヴァルトはリーゼにとって救世主と呼べた。
……だからこそ。リーゼはジークヴァルトに少しでも恩を返したいと考えている。その一端として今回の勉強会を申し出たわけだが、もしかしたら余計なお世話だったかもしれない。
「……リーゼ? どうかしたか?」
「ううん、なんでもないよ。分からないところがあったら遠慮なく聞いてね」
「それは助かるんだが、お前は自分の勉強しなくていいのか?」
「そこは大丈夫! 私はこれでも特待生だし……」
言いながら、リーゼは鞄の中に入っている一枚の紙を思い起こす。数日前、フェリクスが気まぐれに寄越してきたそれは、去年の出題範囲とその試験傾向を簡単にまとめたものだった。
講師のよっては試験の出題範囲を敢えて生徒に伏せる者もいる中で、この情報は大変有益なものだ。
人によっては喉から手が出るほど欲しがるそれをリーゼになんの見返りもなく渡してきたフェリクスを最初は訝しんだが――
『仮にも僕が推薦して生徒会入りさせたんだ。少しでも順位を落とすような無様は晒してくれるなよ?』
軽薄な笑みと共にそう挑発されたので、これはもう絶対に学年一位を取るしかないと決意した。
そんなわけで、今回の試験に対しては準備にもだいぶ余裕が生まれたのである。今ジークヴァルトに教えている数学のヤマについても、フェリクスの資料は大変役立ってくれた。
「去年の試験範囲と傾向について教えてくれた人がいたから。せっかくだし今回は学年一位をめざそうと思ってるよ」
そんなリーゼの言葉に、ジークヴァルトが僅かに目を眇めた。
「それって、もしかしなくても生徒会長からだよな?」
「うん、そうだけど?」
「……仲、いいんだな」
ジークヴァルトがポツリと零すのに、リーゼはあっけらかんと笑った。
「いやいや、別にそんなことないから! まぁ生徒会業務では多少使えると思われてると思うけど、それだけだよ?」
フェリクスにとってリーゼは都合よく働く駒であり下僕である。しかも期間限定。現在は多少打ち解けてはいるものの、対等な交友関係とは言い難い。
「私がこの学院で友達って呼べるのはジークだけだし……って、私達、友達ってことで良いんだよね!?」
実技のペアであることは間違いないが、そう言えば友達になろうというような会話をした記憶はない。もしかしたら勝手に友達認定しているのは自分だけかもとリーゼが不安になれば、
「っ……はは、なんだそれ。それこそ今更だろ」
珍しく、ジークヴァルトが声を上げて笑った。その屈託のない表情に思わず胸がざわつく。
「俺もお前以外に親しい奴いねぇよ。つーか、まともに会話すんのもお前だけだしな」
「……それはそれで、問題ある気がするけど?」
「別に困ってねぇし。とりあえずお前がいればそれでいいよ俺は」
さらりと告げてくる言葉の破壊力に、リーゼは堪らず顔を隠すように俯いた。ジークヴァルトの飾らない言動は時折、たいへん心臓に悪い。他意はないだろうけれど、聞かされる側は顔が熱くなってしまう。
「だから、ありがとな。今日のこれも……正直、かなり助かる」
柔らかな声音が降って来て、リーゼはの胸がぎゅっとなる。
(誘ってみて、良かった)
先ほどまで抱いていた不安がゆっくりと解けていく。
それから二人は談笑を交えながら、試験勉強に勤しんだ。ジークヴァルトは優秀な生徒で少しの助言ですぐに問題を解いてしまうので、教える側としてもとても楽しい。
「なあ、ここの文章問題って――」
「あ、それはちょっとコツがあってね。えーと、例題だと……」
言って、リーゼが教科書をめくりながら例題を探していた時だった。
「……あ、あのっ!」
二人きりの教室内に、可愛らしい声が投げ掛けられた。リーゼが視線を向けた出入口付近に立っているのは、クラスメイトの少女。確か名前は――
「ヒルシュ子爵令嬢」
「わ、わたしのことはどうぞヘルタ、と……っ! じ、実はリールさまと、わたしお話がしたくて!」
「えっ!? 私と……ですか?」
コクコクと大きく頷く彼女はヘルタ・ヒルシュ子爵令嬢。何かと我が強いAクラスの中では大人しいご令嬢だ。昨年から二年連続で同じクラスだが私的に会話したことはない。それが今になって突然何故、とリーゼが脳裏に疑問符を浮かべていると、
「わ、わたし……一回生の頃から、リールさまと仲良くなりたいなって……思ってて」
追加とばかりに更なる驚きがもたらされる。
「でも、周りの目がこわくて……っ! だけど最近、リールさまの悪口を言う方々がほとんどいなくなって、今なら……って」
つっかえつっかえそう口にする彼女は顔を赤くしてプルプル震えていた。その姿は小動物のようで愛らしい。ついつい甘やかしたくなるような雰囲気がある。
彼女の言うことが本当であるとするならば、それは素直に嬉しいことだ。
孤立していたリーゼに話しかけられなかったというのにも筋は通る。けれども、リーゼはすぐに彼女を受け入れることは出来ない。
(……もしかしたら、新手の嫌がらせの布石かもしれないし)
そう考えてしまう程度には、この学院におけるリーゼの立場は危うい。特待生でなくなった瞬間、リーゼは学院を退学になる。些細なミスや評判も命取りなのだ。今まで無視してきた人間から急に友好的な態度を取られたら真っ先に罠を疑ってしまう。
そんなリーゼの内心を慮ったのか、ヒルシュ子爵令嬢は寂しそうな笑みを浮かべた。
「す、すぐに信用してもらおうとは……思ってません。でも、少しずつ、お話ができたら……嬉しいです」
健気な言葉と態度に人知れず罪悪感が芽生える。どちらにせよ、クラスメイトである以上は必要最低限の交流はあるのだ。その中で彼女のひととなりを見極めていけばいい。
「分かりました。そのお気持ちはとても嬉しいです。これからよろしくお願いいたしますね、ヒルシュ子爵令嬢」
「ど、どうかヘルタとっ!」
「……ヘルタ様。では、私のこともリーゼとお呼びください」
瞬間、彼女の表情がぱあっと華やぐ。同性から見ても非常に可愛らしい。これがいわゆる庇護欲をそそるというものだろうか。
「ありがとうございます、リーゼさまっ! で、ではまた明日……っ。シュ、シュトレーメルさまも、ごきげんよう……っ」
そうして突然現れたヘルタは深々とお辞儀をすると去って行ってしまった。
と、その時、今まで沈黙していたジークヴァルトがリーゼに対して問う。
「……あの女と、友達にでもなるのか?」
「えっ、うーん、どうだろう……? 彼女の言葉通りなら、仲良く出来ると嬉しいとは思うけど」
リーゼ自身もまだ少し混乱しているため、返事はどうしても曖昧になる。すると、ジークヴァルトはおもむろに右手をリーゼの頭に乗せてきた。驚いて目線を上げれば、どこか不満げな表情とかち合う。
「仲良くなるのはいいが、優先順位は間違えるなよ」
「……優先順位?」
「俺が唯一の友達、なんだろ? なら、俺の方があの女より優先されるべきだってこと」
「ッ!?」
色んな意味で驚いたリーゼが目を丸くすれば、ジークヴァルトが無遠慮に頭を撫でてくる。
髪がぐしゃぐしゃになるから止めなければいけないはずなのに、リーゼは黙ってそれを受け入れた。