変化後の日常は意外と悪くない
『仲良しアピールで敵さんホイホイ作戦』の成功を機に、リーゼの周囲はとても静かになった。
直接的なものは勿論、些細な嫌がらせすらもなくなり大変快適である。
時折ヒソヒソと陰口は叩かれているようだが、それはフェリクスと関係する前から続いていたことなので、総合的に見れば快適度は増しているとさえ言えた。
なお、例の令嬢達の本来のリーダーであるパラッシュ侯爵令嬢から後日内々に謝罪を受けた。
パラッシュ侯爵令嬢自身は令嬢達の暴挙を知らなかったらしく、フェリクスが公式に処分を発表したことでようやく把握に至ったらしい。
『元々はフェリクス様のご尊顔を拝謁しながら食事を美味しくとることが目的の集まりだったのです……それがいつの間にか規模が膨らんでしまって。大前提としてフェリクス様には迷惑を掛けない、というスタンスのもとに活動していたのですが――まさか、こんなことになるなんて』
忸怩たる思いを表情に浮かべながら、パラッシュ侯爵令嬢は丁寧に頭を垂れた。
『この度のことで活動自体を自粛することといたしました。私としても責任を持って彼女達を監督いたしますので、どうぞご容赦くださいませ』
正直、こうして直接話をするまではパラッシュ侯爵令嬢も他の令嬢達とさして変わらないものと思っていた。だがその真摯な言葉と態度に、偏見を持っていたのは自分の方だったとリーゼは深く反省する。
『ところで……リール嬢は本当にフェリクス様のことをお慕いしておりませんの? あの方のお傍にいて少しも心を動かされないとは、俄かには信じがたいのですが』
パラッシュ侯爵令嬢の疑問にリーゼは苦く笑うことしか出来ない。確かに外面完璧超人であるフェリクスにまったく魅力を感じないと言えば嘘になる。だが、
(それをかき消して余りあるほど、あの人性格歪んでるからなぁ)
本性を知る身としては素直に同意することは出来ない。
それ以前に仮にフェリクスに惹かれたところで彼は次期公爵である。これほど不毛な恋心もないだろう。そういう意味では、フェリクスの性格が悪いことはリーゼにとっては幸運だったかもしれない。
『私にとってフェルゼンシュタイン様は尊敬すべき先輩です。それ以上でもそれ以下でもありません』
結局、パラッシュ侯爵令嬢にはそう伝えるに留めたのだった。
そんな一幕も挟みつつ、学業と生徒会と娼館勤務という三つを掛け持ちしながらの生活を続けて早三ヶ月。
「――先輩、ちょっとご相談があるのですが」
今日も今日とて放課後の生徒会室で分厚い紙束に目を通していたフェリクスの前に立ち、リーゼはそう切り出した。ちなみに彼が現在手にしているのは生徒会の書類ではなく、次期公爵として父親から任されている案件の報告書らしい。最近は生徒会業務もだいぶ落ち着いており、フェリクスは時折こうして別の仕事をするまでになっていた。
「珍しいね。何か分からないことでも?」
「いえ、生徒会業務のことじゃなくて。再来週から期末試験が始まるじゃないですか」
「それが?」
「出来れば試験一週間からの放課後、早めに上がらせて貰いたいんです」
「……何故?」
不思議そうに小首を傾げる彼はそれだけでも大変絵になる。
「君の成績については把握してるけど、今更試験直前に詰め込むような勉強の仕方はしてないだろう?」
「いやそうですけど……って、なんで先輩がそれを把握してるんですか……?」
「三ヶ月も共に過ごしていればね。空いた時間には勉強や自主訓練を積極的に行なっていることも知っているよ。君のような優秀な生徒ばかりならば我が学院も安泰なんだけど」
思っていた以上にフェリクスから評価されていたようで、リーゼの胸に高揚感が広がる。
実務におけるフェリクスの判断や評価は非常に的確だ。そういう点における彼の言葉は素直に信じられるので、リーゼとしても自信に繋がる。
「……なに緩んだ顔してるの。それよりも、僕の質問にちゃんと答えてくれる?」
どこか胡乱な目つきでそう切り返され、リーゼは気を引き締めるように軽く咳払いした。
「ジークと勉強会をしようと考えてまして。実技で何かとお世話になってる分、座学に関しては力になりたいなぁと」
「は? 却下」
「なんでですか!?」
フェリクスの即断にリーゼは堪らず抗議の声を上げる。
「期末前は生徒会の仕事も落ち着く時期ですよね? ちゃんと業務に支障が出ない範囲でやりますから」
「そこを疑ってるわけじゃないよ。ただ単に僕が面白くないから却下ってだけ」
「そんな子供みたいな理由で!?」
あまりにも理不尽かつ横暴なフェリクスの発言にリーゼは別の意味で驚愕する。
普段の彼はなんだかんだと合理的な思考の持ち主なので、まさか感情論を持ち出されるとは思ってもみなかった。
「ど、どうしても駄目ですか?」
「駄目」
「えー……」
理屈じゃない分、これは説得が難しそうである。
「なら、昼休みの方を」
「そういう問題じゃないから。とにかく駄目なものは駄目」
取り付く島もないフェリクスにリーゼは頭を抱える。
諦めることは簡単だ。そもそも勉強会はジークヴァルトに頼まれたわけでもなくリーゼが自主的にしようと思っているだけである。実技に比べてジークヴァルトの座学はクラス平均くらいなので、そこを手助け出来れば実技での大きな借りを返せるのではないかと。
(まさか却下されるとは……しかも面白くないからなんて、どんだけ私で遊ぶ気なんだこの人……)
フェリクスの本性を知る者は限りなく少ない。だからきっと、彼も素を見せられるリーゼと一緒にいるのは気楽なのだろう。そこは理解出来る。
(だからって、こういう風に行動を制限されるのは困るんだけどなぁ)
しかし弱みを握られている以上、最終的な判断はフェリクスに委ねざるを得ない。
リーゼは肩を落として自席に戻ると黙って作業を開始する。その傍らで勉強会が無理ならばせめてジーク用に試験対策ノートでも作ろうか――などと、代案を考えつつペンを動かしていた時、
「……はぁ」
これみよがしな溜め息の音が耳を掠めて、思わずムッとしながら顔を上げた。溜め息を吐きたいのはこちらの方である。そう主張するように鋭い視線を向ければ、相手もこちらをジッと見据えていた。
「三日間」
「……え?」
「一週間は長い。三日間なら許可するから」
「!!」
思わぬ譲歩に目を輝かせれば、何故かフェリクスは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「そんなにシュトレーメルの力になりたいのか、君は……」
「??? はい、学院で唯一の友人ですので」
「友人、ね……ちなみに僕は君にとってなんなのかな?」
「…………横暴な上司?」
「やっぱり全部却下しようかな」
「嘘です冗談です心優しい飼い主です!!」
慌てて叫べばフェリクスの表情が途端に柔らかくなる。
こんな風に他愛のない軽口を叩き合えることが、実はとても嬉しい。
リーゼは許可のお礼も兼ねて彼が好きな紅茶でも淹れようと軽やかに立ち上がった。