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プロローグ


 生まれてこの方、十七年。

 どこにでもいる平凡な少女を自称するリーゼ・リールは今現在、人生最大の危機を迎えていた。


 ここは王都でも歴史のある娼館【ブルーリリウム】――その従業員用休憩室である。

 訳あって男装した上にキャスケット帽で髪を隠したリーゼの目の前には、柔らかなプラチナブロンドの髪が印象的な美青年が心の底から楽し気な笑みを浮かべている。細められた彼の透き通るようなアイスブルーの瞳はさながら、哀れな鼠を見つけた高貴な猫のそれを彷彿とさせた。


 当然、哀れな鼠とはこの場合、リーゼのことを指している。


 己の心臓がかつてない速さで鼓動を刻むのを知覚しながら、リーゼは相手の出方をジッと待った。というよりも、そうすることしか出来なかった。主導権は既に自分にはない。すべて相手に握られている。

 唾を飲み込む音さえも拾ってしまいそうなほどの静寂の中、


「……さて、君は自分の立場を正確に理解しているのかな? リーゼ・リール」


 やや低く響く声まで美しい青年はそんな風に切り出した。

 リーゼは僅かに逡巡した後で、コクリと首を縦に振る。さらにそのままゆっくりと口を開いた。


「……フェルゼンシュタイン先輩」

「うん?」

「みっ……見逃していただくわけには、いかないでしょうか……っ!」


 駄目元の懇願に、フェルゼンシュタイン先輩とリーゼが呼んだ美青年――フェリクス・フェルゼンシュタインはその笑みをより深くした。


「それ、本気で言ってるとしたら君はなかなかに愚かだね?」

「……ですよねー」


 辛らつな言葉に思わず諦観の半笑いを浮かべるリーゼ。その間にも彼は無遠慮にこちらへと歩を進めてくる。

 この従業員用休憩室は二段の簡易ベッドが部屋の右手奥側にあるだけの狭い部屋だ。僅かな月明かりのみが照らす密室に逃げ場などなく、後方に下がったリーゼはあっという間に左手の壁際へと追いやられる。フェリクスの後方に薄ぼんやりと見える扉から今すぐ脱出したいのはやまやまだが、状況はそれを許してはくれない。


 やがて手を伸ばせば容易に捕獲されてしまうほどの距離まで互いが近づいたところで、フェリクスの足が止まる。リーゼが恐る恐る視線を上向ければ、彼は微笑みを崩さぬまま、悠然と腕を組んだ。


「言っておくけど、君の事情は知らないし特にこれといって興味はないんだよね……ただ、このまま君を安易に見逃すというのも、それはそれでつまらないだろう?」


 リーゼは即座に理解し僅かに目を眇めた。この男、想像以上に性格が悪い。

 しかしながら、同時に最悪の事態は免れられるのではないかという希望が胸中に芽生える。


 彼が()()()()()()()()()()()()であったならば、リーゼの思い描く人生設計は今ここで完全に詰んでいただろう。だが視界に映る男からは明らかに弱者(リーゼ)を弄ぼうという悪趣味さが窺える。


 裏を返せば――彼にはこの状況を簡単には終わらせる気がないということだ。


 結果として、リーゼの予想は良くも悪くも当たっていた。

 フェリクスは徐に右手を上げると軽く横に振った。瞬間、リーゼの被るキャスケット帽がまるで意思を持ったかのように浮かび上がり、彼の方へと移動する。それがフェリクスの行使する風魔法による現象だと気づいた時には、帽子の中に仕舞っていた薄茶の長髪がふわりと外気に晒された。


「っ!? 何するんですかっ」

「人前で帽子を取らないのはマナー違反だろう?」


 フェリクスは続けて右掌から小さな炎を生み出すと室内を照らすように空中に浮かべる。

 オレンジ色の熱源によって、互いの表情がくっきりと浮かび上がった。

 突然の連続魔法に動揺して肩を竦めるリーゼ。対してフェリクスは口もとに手を当てながら「ふむ」と呟く。


「色味はやや地味だけど、顔立ちは悪くないし……これなら傍においても問題はないかな」

「も、問題ないって、いったい先輩は何を言って――」


 ひとり納得するように顎を引いた彼は、未だに状況が呑み込みきれないリーゼを観察するようにじっくりと見た後で、



「――うん、決めた。リーゼ・リール、君には僕の従順な下僕(ペット)として、それなりに役に立って貰うとしようか?」



 一際美しく微笑んでみせた。


 リーゼは突然の下僕(ペット)宣言にただただ唖然しながら、一体全体どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、事ここに至った経緯を思い返しながら己が不運を呪うしかなかった。


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