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第9話 葉桜と自転車

 結局、五限だけサボって、六限の授業はちゃんと出席した。教師には体調不良で保健室で寝ていたとか適当な嘘をついて、素知らぬ顔で六限の授業は受けた。俺たちの示し合わせたような嘘に、教師は疑りの表情を浮かべていたが、そんなことはどうだって良かった。山川たちが訝し気にこちらを見ていたが、もう何も感じなかった。

 そして、ふわふわした頭で六限をやり過ごし、放課後を迎える。

 サボった五限の間に、俺が放課後ギターの弦を買いに行くという話をすると、『それ、私もついて行っていい?』と上目遣いで問われ、とてもではないが駄目だとは言えず、桃谷と一緒に楽器屋へ行くことになった。

 念を押しておきたいのは、決して俺が誘ったのではないということだ。誘って行くのと、相手からお願いされて行くのでは、全く意味が違う。

 こちらから誘ったのでは、相手に行きたいという意思が必ずしもあるとは言えない。断り切れなくて、しぶしぶ来てくれたのではないかという疑念が晴れず、心いっぱい楽しめない。

 しかし、相手から同行を懇願されたのであれば、相手方に行きたいという意思が確実に存在し、お互いに奇妙な猜疑心を抱くことなく、心おきなく楽しめる。

 ともすれば、くだらないことだと一蹴されるかもしれないが、俺のような小心者にはこの差が天と地ほど離れている。小さな疑い一つで、楽しめるのか否かが180度変わってしまう。いや、540度変わってしまう。一周回ってさらに半回転するぐらい違う。

 そんなくだらないことを考えながら昇降口で靴を履き替えて、駐輪所に停めてある自分の自転車にカギを刺す。

 中学1年のころから4年ほど乗り倒している愛車だ。チェーンは錆びていて漕ぐたびに鈍い音を響かせるし、ブレーキのパットはすり減っていて、ブレーキをかけてから止まるまでの制動距離は100メートルほどある。加えて、半年に一回はパンクするし、椅子も錆で固まって高さを変えられない。

 それでも、この自転車だけは俺の味方だ。いや、違う。俺がこの自転車の味方だ。世界最後の日は、こいつに乗って月まで逃避したいし、俺の墓場にはこいつを埋めてほしい。ていうか、こいつと抱き合ったまま埋まりたい。なんで土葬やねん。

 脳内セルフツッコミでお茶を濁していると、背中から声をかけられる。

「そんなに自転車を見つめて何してるの?」

 不思議なものを見るように、小首をかしげた桃谷がこちらを眺めている。俺、そんなに自転車見つめてたか。恥ずかしい。

「いや、愛する伴侶に思いを馳せていた」

「伴侶?この自転車が?」

意味を理解できないといった顔で俺の自転車を見る。この娘のどこが?という意味だろうか。だとしたら、俺は人生をかけてこいつの自転車に対する偏見を解きほぐさねばならない。天に与えられし宿命だ。

「あのな、自転車というのはだな、その人間のすべてが表れるんだよ。その形、その汚れ、その乗り方、自転車に関わる全ての情報が、その人を構成する。自転車は鏡であり、オーナーの心を克明に映し出す。これが何かわかるか?そうだ、妻だ。嫁だ。伴侶だ。自転車はすべての人の恋人であり、生涯を共にするパートナーなんだよ。だからな……」

「じゃあ、もうちょっと大切に乗ってあげなよ……。ボロボロだよ……」

 論破されてしまった。ひろゆきもびっくり。

「よ、よし。じゃあ行くか」

 恥ずかしさを紛らわせるように話題を転換した。ごめんな、愛するマイバイク。俺はお前をかばいきれない……。

「鞄、かごに載せていい?」

「ああ、ええよ」

「ありがと」

 かごに対して横幅の広いスクールバッグを、立てかけるように斜めにして載せて、俺の後方に移動する。かと思えば、荷台にちょこんと横向きに座り、準備完了と言わんばかりのサムズアップをする。

 これはあれだ。二人乗りというやつだ。きっとそうだ。こんな俺でも噂くらいは聞いたことがある。ドラマとか、アニメとかでよく見るあれだ。世界は俺たちを中心に回っているぜ!と言わんばかりに青春顔をした若者たちがやりがちなそれだ。女の子が男の背中にもたれかかって、桜舞い散る沿道を進んでるのか止まってるのか分からない速度で走るやつだ。条例で禁止されているのに、青春という言葉を盾に犯罪じゃないという面をしている軽犯罪だ。

 俺が心の中で悶えていると、『何してるの、早く行こう』と桃谷が催促する。こっちはそれどころじゃないんですよ……。

 それでも、俺はこのラッキーチャンスを逃すまいと何食わぬ顔をして、ペダルに足を描ける。

「それじゃ、行くか」

「うん!」

 漕ぎだした足に、いつもよりも重みを感じる。それはそうだ。いつもより一人分の重さがあるのだから。

 けれど、俺が感じた重さはそんな実在的な質量ではなく、もっと内から湧き出る重さで、それを論理的に解釈しようとすれば、緊張とか、気概とか、そいういったちゃちな言葉に

 変換されてしまう。

何でも言葉にすればいいというわけではない。胸の内に、抽象的なままとどめておく方がいい思いもある。

 ペダルが一周するたびに速度が上がっていくが、いつもよりその加速度は小さい。それなりのスピードに達するまでに、平静の倍ぐらいの労力を要する。

 太ももが痛い。漕げども、なかなか速度が出ない。

息が切れる。呼吸が苦しい。


 そこへ、左肩に手が触れる。

 温かい手。

やわらかい指が、肩を掴む。

「風、気持ちいいね」

 そっと耳もとに声が触れる。

 耳を撫でる吐息はぬるい。冷たい風に相対して、温もりがある。肩に乗った熱と相まって、俺の体温までが上がったような感覚を覚える。

「もうちょっと速度上げていい?」

「大丈夫だよ」

 息の多いその声で、また耳元に応える。

 体中の力が抜ける。

 力が抜けているのに、ペダルをこぐ足は止まらない。

「ちゃんと掴まっとけよ」

「うん!」

 元気よく返事をすると、今度は、その両手を俺の両肩にのせる。

 もたれかかるようにして、彼女の指先から肘にかけてが、俺の背中に密着する。

「此花くん、あったかいね」

 過ぎ行く自動車の喧噪に負けないよう、大きな声で彼女がそう語りかける。

 スピードを上げた自転車が、曲道に差し掛かる。俺は、わざと大きく車体を傾けて曲がって見せた。

 彼女は驚いたように、強く肩を掴む手に力を入れ、頭を背中につけた。

 そうしたかと思えば、すぐに頭を離し、手を緩める。

 後ろを見遣ると、恥ずかしそうに、顔をうつむけている。

「ご、ごめん。頭、当たっちゃった」

「お、おう。全然大丈夫」

 二人に持続的な会話はない。

 すると、大きな向かい風にぶわっと吹かれる。

 その勢いに一瞬、目をつむってしまう。砂埃が混じっていて、肌が出ている部分がチクチクする。砂が入ってこないように、口も固く閉じる。


 風がやみ、もう一度目を開けると、そこは葉桜の木が立ち並ぶ川の沿道だった。

 散った桜が道を桃色に染め、それと対比するように、鮮やかに色づいた新緑の葉が光を反射する。風が吹くたびにゆったりと枝が揺れ、そのたびに、まだ散り終えていかった花弁がはらはらと落ちてゆく。

道の先が遠く続いており、等間隔に並べられた木々がまるで永遠に終わらないかのように錯覚させる。葉の隙間を通る光がまばらに落ちてきて、自転車が進むたび、光と影が交互に二人を照らす。

「きれい、だね」

「ああ、そうだな」

 ずっと見ていたい、そう思わせるだけの説得力が、目の前の景色にはあった。

 すれ違う人がみな上を見上げ、春の終わりを目で感じている。

 すると、桃谷が顔を横に向け、傾けるようにして俺の背中に引っつける。両肩甲骨の間に触れる感触で、彼女の耳が当たっているのだとわかる。

「速い」

 彼女がそっとつぶやく。

「スピードが?」

 横目で彼女を見ながら返答する。

「ううん。心臓が」

 彼女の顔は見えない。けれど、その声から、微笑んでいるのが伝わる。

 それを受けて、俺も小さくつぶやく。

「あったかいな」

 桃谷はその態勢のまま尋ね返す。

「私が?」

 俺はいじらしく、片方の口角を吊り上げながら応える。

「いや、風が」

 俺が小さく笑うと、彼女は『もう!』と言いながら、小さく俺の肩を叩いた。

 吹き抜ける風が冷たい。背中は、言うまでもない。


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