#3 コンビニエンスストアで懈い
会社近くのコンビニエンスストアに到着した。
店内には知った顔が数人いたけれど、近寄ってきたりはしない。
知った顔とはいっても部署が違ったり、一度だけ挨拶した程度の関係だ。それに、例え同じ部署の誰かであっても、誰彼構わず声をかけるのはどうなのかとも思う。
束の間の休息時間でもあるわけで、一人で休み時間をフルに満喫したい気持ちを邪魔してはいけないし、されたくもない。
そんな俺の気持ちにまったくと言っていいほど寄り添わないヤツがいる——三越莉子だ。
一年前に入社して以来、教育係りとして世話してやっているわけだが妙に懐かれてしまって、事あるごとに嫌がらせかってくらい俺の後ろを付いてくるようになった。
頼むから一人にしてくれと突き放しても、
「こんなに可愛い後輩と食事ができるのに。遠慮しなくていいですよ」
と、うざい返しをされてしまって早々に諦めたのがいけなかったらしい。
俺も俺で先輩らしい威厳があれば、舐めた態度を取らせないのだろうけれど、女性の扱いはあまり得意とは言えない。
結局は流れに流され今に至る、という具合だ。
一人で後輩との関係性を心中で語っている最中、三越はおにぎりコーナーに並ぶ様々な具の入ったおにぎりを真剣な表情で吟味している。
俺はその様子を、おにぎりコーナーの後ろにあるカップ麺コーナーから観察していた。
「たかがおにぎり選びで、何をあそこまで悩んでいるんだアイツは」
きっと三越の脳内では、おかかにするか、梅こんぶにするか、それともちょっと冒険して、ガパオライス風にしてみようかな? と協議しているのだろう。
どうかその労力を、少しでも仕事に回したくれないだろうか。まあ、期待はしていない。
俺はいつものしょうゆヌードルを手に取って、左手に持つカゴに放り込む。いつだって冒険はしない主義だ。無難でいい。
出すぎた杭は打たれるというけれど、それは間違いである。正しくは、バールのような圧力で引っこ抜かれる、だ。
とはいえ、いつからこんな主義になってしまったんだろう。子どもの頃はもっと冒険していた気がする。これも『大人になった』ということなのか。
大人とは何だろう。概念のような気がする。マナーを守り、節度を持って行動する。それを『大人』と呼ぶのなら、完璧な大人など存在しないのだろう。
俺もまた、大人になりきれない『何者か』でしかないようだ。
「たーくん先輩っていっつもそれですよね」
俺が持っているカゴの中を覗き込んで、
「いつも同じでよく飽きませんね」
呆れたようにふっと息を吐いて笑う。
余計なお世話だ。
「別にいいだろ。あと、たーくん言うな」
「あ、たーくん先輩のおにぎりも持ってきましたよ」
「…………」
再三にわたって『たーくん言うな』と注意しても、三越は俺を『たーくん先輩』と呼ぶ。
この不名誉なあだ名を付けたのは、関取のなれの果て、細井泰が冗談めかして呼んだのが始まりだった。
俺と細井は同期で入社した。
歓迎会で意気投合して、それからずっと縁が続いている。
悪いヤツではない。悪いヤツではないけれど、善良というわけではない。そこがまた細井の長所であり短所でもある。たまに面倒臭いけど。ついでに足も臭い。
そんな細井の真似をして、三越は『たーくん先輩』と呼ぶようになってしまった。
『たーくん』なんて、幼少期、母親に呼ばれて以来だ。
友人からは『タッキー』と呼ばれることが多い。
誠に恐れ多いあだ名だ。
俺はあんなに爽やかイケメンではないのに。
ブサメンでもない、と自分では思っている。
「それで、俺には何おにぎりを選んでくれちゃったわけ?」
「これです!」
三越はお決まりのドヤ顔でツナマヨおにぎりを突きつけた。
そのポーズをするのは水戸光圀公の家臣か、野球スポコン漫画の主人公くらいなものだと思っていた。
『握った物体を相手に突きつけるヤツ』リストに、三越莉子の名前も加えてみる。場違い感が半端ないので除名した。
偉大な功績を残した暁には、改めて三越莉子の名前をリスインしておくとして——。
「どうしてツナマヨを?」
「いつも買ってるからです!」
ほう、よく見ている。
「わかってるじゃん」
実を言うと、和風ツナマヨも同じくらい好きだ。でも、ツナサンドはあまり好きではない。過剰にしょっぱく感じるから——ほらな? 出すぎた杭は取り除かれるだろ? そういうことだ。
「たーくん先輩の好みは熟知してますので」
そりゃあそうだろう。
興味を持って相手に絡んでいれば、趣味趣向を理解していくものだ。
これは処世術のようなもので、世渡り上手になりたければ習得して損わないスキルである。
部長に『煙草を買ってきてくれ』と頼まれて、『銘柄は何ですか?』と訊ね返すようではまだまだ半人前ってことだ。わかったか、三越。わからないだろうなぁ。
当たり前のことを当たり前にやる。成果と客車はあとから付いてくる。でも、結果を残せなければ意味がない。
仕事とは骨折り損を繰り返して骨を強くすることが必要だ。経験を詰めと言っているわけではなくて、図太くなれってこと。
だがしかし、この後輩は少々図太くなりすぎているようにも思う。
「まるで彼女みたいだな」
毎回『たーくん』と言われているし、少々懲らしめてやろうと真顔で言ってやる。
三越は顔を頬を赤らめて、「いやいやいや!」と両手を突き出し、 パーにした手を車のワイパーみたいに動かした。
「彼女なわけないじゃないですか!?」
「当たり前だろ」
俺と三越は先輩と後輩の関係であり、それ以上でも以下でもない。
この一線は超えてはいけないと思っている。
俺みたいな甲斐性なしを彼氏に選ぶヤツの気が知れない。自覚があるなら直す努力をすればいいけれど、無意識下にある甲斐性なしはなかなか拭えないのだ。
「ぐぬう……。いつもながらではありますが、無遠慮に乙女心をずたずたにしやがりますね」
「乙女?」
「乙女座ですし」
何を言ってるんだコイツ。
「いつまでもそこに突っ立ってないで、飲み物を取ってきてくれ」
「わっかりましたー、緑茶でいいですよねー?」
俺は無言で頷くと、スタスタっと小走りでドリンクコーナーに移動して、コンビニオリジナルブランドの緑茶を二本取り出す。
「これですよね?」
両手でお茶のペットボトルを持ち、軽く振りながら俺に見せる。
「それだ」
安いのに美味いのは、企業努力の賜物だ。
素晴らしい商品を開発した開発部に敬礼。
にこにこしながら戻ってきた三越は、何の躊躇いもなく俺が持つカゴに、二本のお茶を突っ込んだ。
「うん?」
よく見ると、三越が昼食に選んだ高菜おにぎりと、干瓢巻きも入っている。
道理でいつも以上にカゴが重たいわけだ。
「おい三越、これはいったいどういう状況だ」
「皆まで言うな、です」
言わせろよ、肉を削ぐぞ。
「なんでお前の分までカゴに入ってるんだ」
「そこにカゴがあったからです」
だったら事前に渡した五百円硬貨返せよ。
【修正報告】
・2021年9月30日……本文の微細な修正。