#25 真夜中のお悩み相談は懈い
このままでは埒がないから、と通話を提案してみた。
向こうさんは既に寝る体制を整えていたようだが、最初にメールを寄越したのはアスタリスク——通称・アリス——こと来栖明日花だ。細かいことは御構いなし戦法である。
灰皿と、室外機の上に置いていたマグカップを台所に片付けて、ベッドの端に腰を下ろした。
アリスからの返信はまだ届いていない。考え込んでいるのか、寝落ちしてしまったのか。それとも通話できない理由でもあるのか? と勘繰ってしまうのも無理はないだろう。それだけ、アリスの変わりようは尋常ではない。
俺がベッドに座ってから五分ほど経過すると、アリスから通話が掛かってきた。返事を飛ばしての大胆な行動は俺の知るアリスらしいとはいえ、ひとまず応答する。
「もしもし」
返ってきたのは、無音、だった。
うんとかすんとか言ってくれないと、上手く通話が繋がったのかわからないじゃないか。
スマホを持つ者の九割が使用しているであろうこのメッセージアプリの通話機能は、無料であるがゆえに音質と通信が不安定で、急に相手の声が聞こえなくなるなんてケースもざらにあるのだ。
これはきっとハズレを引いたなと思い、折り返しの旨を伝えて通話を切ろうとした瞬間だった。
もしもし——。
突然、あどけなさが残る少女の囁くような声がスマホのスピーカーから聞こえて、ぞわり——、背中が粟立った。妙にクリアな音質で、まさか隣にいるとかないよな? と左右を確認して、誰もいないことの確認が取れて安堵の息が漏れた。
「——アリス、なんだよな?」
『はい。アスタリスクです……』
何度となくこの質問をぶつけてきたけれど、やはり、スマホ越しにいる少女がアスタリスク本人であるとは思えない。デンティ・ディ・レオーネで出会ったアリスはもっとはきはき喋っていたし、自信にも溢れていたようにも思う。が、スマホ越しにいる少女は、自信なさげな活力のない声をしている。
「ほ、ん、と、う、に、アリス、だよな?」
『はい。ほんとに、アスタリスクです……』
ええぇぇ……。
「バーで会った時と今では、かなり印象が違うんだが」
『よく言われます……』
だろうなぁ!? と胸中で絶叫した。帰宅途中にパンクロックのスピリットを何処かに落としてしまったのでは? と疑うほど、声に覇気を感じられない。
「…………」
『…………』
いや、何か喋れよ!?
『あ、あの……!』
俺の悲痛な叫びが届いたのか、アリスは決心したように声を大にする。ようやく酒場で会話した時と同じ音量になって、耳をスマホに押し当てずに聞けるようになった。
『バーでは、失礼なことばかり、言ってしまって、その、ほんとに、ごめんなさい……!』
「いや、全く気にしてないから。むしろ、アリスが大丈夫か?」
『そう、ですよね……。やっぱり、気になります、よね……』
「気になるは気になるけど、無理に言わなくてもいいぞ?」
などと、心にもなく相手を気遣ってみたものの、内心は気になってしょうがない。変貌ってレベルじゃねーぞ!? こんな状態で社会人をやっていけているのか憂慮してしまうほどに!
『実は——……』
そうして、来栖明日花は訥々と語り始めた。
* * *
来栖明日花は自分のことが嫌いだった。
いつまでも幼い顔、伸びない身長、成長してほしくない部分ばかり育ってしまい、男子からは好奇な目で見られる毎日に辟易し、高校生活の半分は自宅で過ごしたという。
何とか高校を卒業し、大学へと進学しても、自分を見る周囲の目は変わらなかった。『気にしなければいい』と母親は思い悩む娘に何度となく進言するも、それでは根本的な解決にならない。現代を生きる若者たちに時代遅れの根性論を説いても無意味なのだ。それを母親が理解していれば、来栖明日花の人生は、多少なりとも良い方向に進んでいったかもしれない。
母親の言いつけを守るわけではないが、いつまでも周囲の目を気にしているわけにもいかない。それは、来栖本人が一番わかっている。どうすればいい、どうすればいい——往々と悩み続けた来栖だったが、大学二年を迎えたとある春の日、運命とも呼べる出会いを果たした。
この時、来栖は過剰なダイエットを行なっていた。胸についた余分な肉を減らすべく、好奇な目を向けられなくするべく、水とサプリメントだけを飲む生活を二週間続けていた。が、体重は減っても、削ぎたい部分は落ちない。
最初に落ちるのはバストだ、と、ネットに書いてあったのだが、来栖の体質がそうさせているのか、胸部だけは忌々しくも確然と、己を主張するかのごとく残り続ける。
これではいけないと思った来栖は、近所にあるドラッグストアにダイエットサプリメントを購入しようと向かっていた。
春とはいえ、気温は初夏を彷彿とさせる暑さ、来栖は汗をかくべく分厚いパーカーと裏起毛のズボン、中にはタイツも穿いている。水とサプリメントだけの栄養では、外の暑さと内側に籠る熱に対処できない。その結果、来栖は道半ばで倒れてしまった。
どれだけの時間倒れていたのかと目を醒ますと、飛び込んできたのは自室でもなければ病室でもなく、見知らぬ誰かが寝泊まりしているであろうアパートの一部屋。壁には海外のバンドのポスターが貼ってあり、ぱっと見では男性の部屋だが——。
自分が置かれている状況が掴めずに部屋を傍観していると、部屋主だろうか、誰かがドアの鍵を開けて入ってきた。——その人こそ、のちにパンクロックを来栖に教えた人物である。
部屋主が女性と知って安心した来栖は、迷惑をかけてしまったことを謝罪した。しかし、部屋主の女性は気にする様子もない。それどころか、親しげに来栖を歓迎した。
ちゃっかりシャワーまで借りた来栖は、髪を乾かしたら出て行く予定だった。けれど、部屋主の女性はそれを許さず、炬燵テーブルの上に広げた二人分のお弁当を一緒に食べようと言うではないか。助けてもらって介抱もしてもらい、更には食事までお世話をされたらどう恩返しすればいいのかわからない。
それに、来栖は現在ダイエット中である。高カロリーなコンビニ弁当など天敵以外の何者でもないわけで、手渡された経口補水液だけで充分だと主張したのだが……喉の渇きが癒されてしまうと、目の前にある弁当を欲するように、腹の虫がぐうと鳴る。
過激なダイエットと精神的ストレスでいっぱいいっぱいだった来栖は、部屋主の強引な手引きによって弁当に口をつけた。本来であれば、胃が吃驚しないように、おかゆやうどんといった消化に良い物が好ましいのだが、部屋主はそこまで気が回らなかったとか。
ちょっとがさつで、笑った顔が向日葵のよう。太陽みたいに周囲を照らす彼女は『ジェシカ』と名乗った。勿論、本名ではないと来栖も理解していたが、どうしてその偽名を使ったのかと、ジェシカに真意を訊ねる。
『バンドやってるから』
返ってきた答えは単純で明快。その答えしかないというジェシカの表情に、来栖は自分を省みた。自分はずっと胸のことで悩み、暗闇の迷路を延々と彷徨い続けていたのに、ジェシカの回答を聞いた瞬間、胸中にこびりついてものが剥がれていくような清々しさを覚えたのだった。
「それで、アリスもジェシカさんの影響を受けてギターを始めたと」
『パンクファッションをしている時だけ、自分が強くなったように感じるのも、ジェシカさんの影響です……』
なるほどなぁ……。三越や大河内のときもそうだったが、人には人の歩んできた道があるものだ。
「もしかして、アスタリスクって活動名も?」
『ジェシカさんが付けてくれた、大切な名前なんです……』
ジェシカとの出会いは、アリスにとって青天の霹靂であり、自分の殻を破るきっかけになったのだろう。しかし同時に、『アスタリスク』と『来栖明日花』の間に隔たりを生じさせてしまったのも事実だ。
良き理解者を得られたのは素直に喜ばしいけれども、ジェシカとの出会いによって隔離した『来栖明日花』は、当時ほどの悩みはないにせよ、根本的な解決には至っていない気がする。
『ちょっと喋りすぎてしまいました……』
「そうだな。そろそろ寝たほうがいい」
『あ、あの、また連絡しても、いいですか……?』
うん?
「それは構わないけど、どうして俺なんだ?」
そういうと、アリスはすっと黙り込んでしまった。
「おい、アリス?」
『たーくんは、とても、聞き上手なので……』
はて、そうだろうか。
自分を聞き上手だと思ったことはない。どちらかといえば煙に巻いてとんずらするほうだと自負しているのだが、よくよく考えてみると、自分が喋るよりも相手が一生懸命話している場面が多いように思う。
俺が話し下手だからこそ、相手に負担を強いているとすら考えていただけに、アリスが言った『聞き上手』と言う答えは、妙な説得力があった。
【修正報告】
・報告無し。
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by 瀬野 或




